どろろと百鬼丸伝11
おもしいろです11巻目も。
本当に、「どろろ」リメイクというか影響受けた作品って、尻切れトンボで終わるものが多いだけに、11巻目がこんなにおもしろいというのが、嬉しい。
百鬼丸、多宝丸、醍醐、みんなキャラが立っていて、どこに行こうとしているのか、気になって仕方ない。
特に多宝丸、かっこいいですよねぇ。
「どろろ」の呪いに打ち勝って欲しいです。
2024年(にわたしがやって)のベストビデオゲーム、「Chaos;Child」の後日談の小説。衝撃的なゲームで万人にはお奨めしないけれど、それでも、心をえぐられるというか、考えさせられるお話でした。
まあ、科学アドベンチャーのシリーズがゲームかどうかというと微妙なのですが、ストーリーは、どれもおもしろいです。わたしのなかでは、ゲームというよりは、小説に近いです。
事件に関わって、未来が閉ざされた者がいた一方、未来をもらった者たちのその後が語られていきます。
大きな物語の動きというのはなくて、夢から覚めて、現実のなかを生きていくのは、なかなかつらいという話が割と淡々と語られていきます。
でも、つらい現実でも、「彼」が自分の全てを犠牲にして託した未来だから、それでも、生きていかなければならない。
新しい友だちを受け入れて、現実を受け入れて、そして、立ち向かう。
それは、いろんな絶望的な状況から、生存した人たちへの応援歌のようでした。
13世紀。
モンゴルが、ジョージア王国に侵攻したした時代のお話。
ジョージア王国って、どこよと思って調べてみたら、アジアとヨーロッパの間の国のようですねぇ。まったく知らない歴史です。
まあ、トマト・スープのかく歴史物は、いつも、なかなか日本で注目されていないところを中心に光をあてていく感じです。
「天幕のジャードゥーガル」も、モンゴルの大侵攻のお話なので、今、関心の中心は、世界中に広がっていくモンゴルという存在にあるのかなぁと思ったりしています。
ところで、13世紀ということで、実は、「天幕のジャードゥーガル」と「奸臣スムパト」は、どこかでリンクしたりするのかもしれない。
さて、奸臣スムパトは、モンゴルの中でどんなことをしてくれるのか。「奸臣」というのは、今、裏切ったからなのか、モンゴルも裏切るのか。
期待しています。
日常の中にロボットが出てくる傑作マンガが3つあって、「ちょびっツ」、「僕の妻は感情がない」、そして、「まるいち的風景」。
ロボットの性能という意味では、まったくどれも違うのですが、本質は、どれも同じことを伝えようとしているような気がします。
ちょびっツのパソコンたちや、ミーナたちが人間に恋することができるのかどうかはわからない。でも、高度な彼女たちは、人間を守ろう、出来る限り傷つけないようにしようと行動する。また、まるいちたちにできるのは、ただの人間の行動のトレースです。
でも、多分、魂はあって。
多分、その魂を宿らせてしまうのは、人間(ユーザー)の方で。
魂が宿ってしまったものを人間は、大切にせずにはいられない。
それはもしかすると人間のバグかもしれないとも思うのですが、そこが、面白いところだとも思えてきます。
魔法使いとして修行を始めたチセ。チセと接することで、変化していくエリアス。
両方が、少しずつ感情をお互いに伝え合えるようになってくる3巻目。
チセにとっては、ルツという絶対的に信頼をおける存在を得たことも大きかったんだなぁと。
アニメ版を見ていたときは、エリアスはルツに嫉妬しないのかとか、嫉妬しないのはやっぱりチセのことをどうとも思っていないからなのかとか思っていたました。今回読んでいて、そうではなくて、ルツという存在は使い魔になった時点でチセと切り離せないチセの一部になったということなのかなぁという解釈になりました。