日露戦争物語10
相手の思惑(罠?)に載っての戦闘開始。
やっぱり、大切なのは諜報戦とメディア戦ということなのかも。
相手の思惑(罠?)に載っての戦闘開始。
やっぱり、大切なのは諜報戦とメディア戦ということなのかも。
ということで、華やかな時代にかげりが見えてきたあたりで、戦争の影が。
そう思うと、今の日本よりも、バブル期の日本の方が、戦争を呼び込んでしまう可能性というのは大きかったような気もします。
ホンマに、アメリカについていく気なんでしょうか?
と、本とは何の関係もない思いを書いていますな。
まずは、「レーダー作戦ゲーム」を。
見てるだけ。
この日の消極的なところが、よく出ているスタートですな(笑)
親子対戦をされていたので、子ども(幼稚園)のこの後について、お父さんの示した座標がどかなのかを示してあげる役をしました。
ルール自体はシンプルなのですが、相手が言った爆撃地点のチェックと、自分が言った爆撃地点のチェックと、2通りのチェックを交互にしないといけないので、ちょっと小さい子には、それが難しいようです。
具体的には、チェックのピンを、自分のボードの下の部分にさすのか、上の部分にさすのかが、こんがらがっちゃうんですね。
でも、それさえ教えてあげれば、作戦自体は、幼稚園の子でもいろいろ考えてできていました。
最初の方は、けっこう勘が良くって、当てずっぽうでも相手に爆撃が当たっていたので、けっこうビックリしました。
1つでも爆撃があたれば、そこから確実に1隻ずつ潰していくことができます。
さらに、この子の艦隊の初期配置が、なにを考えたか、全部、壁際。
大人はだれも、そんな置き方するとは思いもしないので、わかりにくい、わかりにくい。
ということで、けっこう楽しんで対等に遊べていました。
ただ、ちょっとマスが多すぎるという気はしますねぇ。ぼくらが、ノートに描いて遊んでたときは、これの半分ぐらいの大きさだったと思います。それでも、充分、遊べていたような記憶が。
まあ、落ち込んでいたので、ゲームが重たく感じたという気もします。
そして、自分で遊ぶゲームは、軽いゲームばっかりを選ぶという……。
戦鬼が、でかくてビックリしました。
これは、原作のキャラクターを使いながら、原作とはまた違うストーリーになっていて面白いです。
原作の永井豪の「手天童子」は、後半、伏線とはこうやって生かすものだ的な展開が子ども心にすごくワクワクした思い出があります。
さて、「降魔伝」の方は、はじまったばかりですが、これから、時間を越えて展開していくのかどうか、期待しています。
独立を守るためといいいながら、干渉していく。
人も、国も、関わりの中であるものなので、自分が何かをなそうとしたら、否応なしに、他人や、他国を巻き込んでいくことになる。
必ずしも、不干渉が正義であるとは思えない。
不感症になってしまってはいけない。
しかし…。
うーむ。トップに情報が入ってこないシステムというのは、その時点で間違っているのかもしれない。
しかし、トップだけが、情報を握ってしまうというのも、不完全だ。
悪ガキ時代が懐かしい。