クジラの子らは砂上に歌う12
ラストで、また、驚きの未来が見える12巻目。
これ、めちゃくちゃ、アニメでも続きが見たいのですが。というか、アニメしか見ていない人にめちゃくちゃ続きの物語を伝えたいのですが。
アニメで気に入った人、引っかかった人は、みんな原作を読むんだ~!!
元祖ゲームノベライズ。
かっこいいよねぇ。「ゲームの数値として、レベルっていうのがあるけれど、アレって結局なんなの?」とか、そういうことに、ものすごくストレートかつシリアスに答えています。
まあ、今ならもっとスマートにかける部分もあると思います。1それでも、なんだろう、ゲームを真面目なファンタジー小説にしたという画期的な小説なのです。
なによりも、題名がかっこいいよねぇ。「隣り合わせの灰と青春」。ファンタジー小説で、ゲームのノベライズにこの題がついているところが、今もシビれます。
まあ、「指輪物語」とかの小説から、TRPGがうまれて、そっからデジタルゲームの「ウィザードリィ」がうまれで、それがまた小説にもどるっていう構造も、面白いのですが。
そして、この小説が1988年で、たがみ よしひさの「私立北鳳高校K.I.E」が、1986年なんですよ。まじ、たがみ よしひさって、天才。
絵柄からして、ものすごく昔からいた人だと思っていて、中学生ぐらいの頃は、昔の作品が単行本化されたものを読んでいるのだと思っていました。でも、けっこうリアルタイムに作品に触れていたんだなぁということを理解しました。この感じは、あだち 充のときにも感じたな。
情報がとれる方法が限られていたということもあるし、昔はコミックスになるまでけっこう時間がかかった(特にマイナー系は)ということもあるけれど、良く考えると、あの頃と今の自分の時間に対する感じ方が、全然違っているからだろうなぁと思い至りました。
昔は、1年といえばすごい長かったし昔だったんだよなぁ。今は、あっという間というか、10年ぐらい前だと「ちょっと前」ぐらいの感じしかないです。
でも、子どもの頃に感じた時間の長さの感覚というのは、修正されることなく残っている。意識して考えると変な感じです。
だから、この本とどんな関係があるかというと、ないんだけれど。
でも、その変な違和感をいろんなところで感じさせてくれるのは、高橋 葉介かなぁと、こじつけたくなったりもします。
高橋 葉介みたいな絵柄の人はいない。高橋 葉介が、なにかに寄せてかくことはあっても、そこには必ず高橋 葉介という印がついていてひと目でわかる。
なんなだろう、魔物も人間も、背景も全部、高橋 葉介という色っぽさがあって好きです。
ものすごく、日本のいろいろな作家に影ながら影響を与えている人だと思います。
あと、諸星大二郎との対談もおもしろかった。駿夫も、読んできて欲しかった(笑)