ふぶきのあした シリーズ あらしのよるに 6
そうか。最終的に、こうなっちゃったか。
なんか、こうなってみると、こうなることは、はじめからわかっていたような気もします。
ネタバレします。
これから、読もうと思う人は、以下は読まない方がいいですよ。
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歴史物語を書いていくと、きっと、自分がドンドン歴史に詳しくなっていくのだと思います。
そうすると、そこいらじゅうに、もったいないぐらいおもしろい話がちらばっていることに気付きます。
また、ささやかなエピソードに見えて、とても重要なエピソードも見えてきます。
そして、読者も同じ様におもしろいだろうと、いろいろエピソードを重ねるわけですが……。
実は、読者はそんなにおもしろいとは、思わないという……。
もちろんそれは、読者の勉強不足なんだと思います。
知れば知るほど、おもしろいのだと。
でも、それは、「物語」として正しいのでしょうか?
何が言いたいかというと、
「ノボさんや、主人公は、今なにしてんの?」
ってことです。
もちろん、物語によっては、主人公が全然でてこない展開もあり得ます。
でも、その時には、それでも主人公的に大きく物語を動かしていく人が必要なのだと思います。
この巻みたいに、小さなエピソードの連続は、歴史的には正しいのかもしれないけれど、あんまりおもしろいとは思えません。
いや、わたしの頭が悪いだけかもしれませんが。
昔読んだ紫堂恭子さんのインタビューに、
「ファンタジーを書くのは、主題をストレートに表現できるから」
というような発言がありました。
この物語……というか、童話、絵本も、もしかするとそうなのかもしれないと、「どしゃぶりのひに」を読みながら、ちょっと思いました。
自分の信じている、自分の知っている彼。
それから、今までの友だちが知っている、世間の人が言っている彼。
どちらが、真実の彼なのでしょうか?
友だちは、とても親切です。いつも、わたしのことを考えてくれていっています。
「お前は、人がいいから」
「だまされてるんだよ」
わたしの目が、本当に曇っているかどうかなんてことは、多分、だれにもわからないのだと思います。
わたしだって、友だちが、同じようなつきあいをしていたら、きっと、「その人のために」と思って止めると思います。
それとも、痛い目を見るまでは、ほっておくしかないのでしょうか?
で、痛い目を見てから、助けの手を出した方がいいのでしょうか?
友だちが、不幸になることを予想しているのに、それを放置しておくことに、わたしは、たえられるのでしょうか?
友だちは、そうなるまで放っておいたわたしのことを、また「友だち」と呼んでくれるのでしょう?
もちろん、すべては、取り越し苦労かもしれないし、いつか、そんな心配もしたんだよと、笑って話せたら、それに越したことはないんだけど……。
そんなことをぐだぐだと考えてるわたしを飛び越えて、ガブとメイは、とっても透き通った姿に見えます。
ふたりは……
1月のレポートも書かないうちにですが、2月のMMGテーブルゲーム会に参加してきました。
今日は、1時ごろについたら、すでにたくさんの参加者の方がきておられて、びっくりでした。
今日、ここしかできないゲームとして、「スカッド・セブン」というアクションゲームがたっていました。
あんな激しいアクションゲームは、はじめてみました。
「コンチェルト・グロッソ」よりも、はげしかったです。
激しすぎるので、残念ながら参加はしませんでした(笑)
「マネージャー」
「ファミリービジネス(幕末版)」
「カフェインターナショナル」
「プール・ポジション」
「サムライ」
「タブラの狼」
「にわとりの餌場」
「エクストラ」
「カフェインターナショナル」、「サムライ」ともにやってみたいゲームでしたので、プレイできてよかったです。
おもしろかったけど、どっても、思ったよりは重たかったです。子どもとするのは、難しいかな。
わたし的には、「ファミリービジネス(幕末版)」が、大うけでした。
新選組~。
「クク」は、今日もできませんでした。