Harlem Beat 28
これも、購入していたもののしばらく行方知らずになっていたマンガでした。
この巻まぜて、あと2巻で完結するというのに……
成瀬いい人だと思っていたのに、最低のことしていますねぇ。
まあ、物語としては、もう終わっていて、「まとめ」に入っているから、どうでもいいのかというのはありますが……。
オフィシャルは、一方のチームの味方したらダメです。
これは、実際にあり得る話なので、よけいにダメだ。
これも、購入していたもののしばらく行方知らずになっていたマンガでした。
この巻まぜて、あと2巻で完結するというのに……
成瀬いい人だと思っていたのに、最低のことしていますねぇ。
まあ、物語としては、もう終わっていて、「まとめ」に入っているから、どうでもいいのかというのはありますが……。
オフィシャルは、一方のチームの味方したらダメです。
これは、実際にあり得る話なので、よけいにダメだ。
ちょっと、一条ゆかりの「こいきな奴ら」を思い出しました。1977年から1983年までの作品が掲載されています。時代的にも、もしかしたら、一緒なのかも。
中山星香というひとは、かなりしっかりとした「自分のかきたいもの」があって、でも、それはその時代の少女マンガの枠からは、はみ出してしまうものだったようです。
それで、少女マンガという枠組みは崩さないで、そこに少しずつ自分のカラーをいれていくことで、読者や、編集者の枠を広げていったみたいなところがあります。
この本に入っているお話は、そんな時代のお話なのかなぁと思います。
だから、作者にとっては、不本意とはいわないまでも、「かきたいことが全部かけた」とは、微妙に言えないのではないかと思います。
でも、そうしてできた物語が、決して悪いものではなく、多分、その時代にとっては、バランスのいいものにしあがっていると思います。
もちろん、本当の傑作は、自分を解放したときにできるのだと思いますが、こういう試行錯誤の時期というのは、とても大切なのだと思います。
あすな ひろしは……全然、知らないです。
「ジャンプ」とか、「マンガ少年」だとかの名前が挙がっているので、絶対にどっかで見ていても不思議でない人なのですが。
今まで特集されてきたマンガ家は、ほぼ知っている人ばっかりだったのですが。この人は、絵柄も含めてしらないです。
でも、こうやって、みなもと 太郎が解説すれば、少女マンガの原型も、青年マンガの原型も、作ったようなすごい人のようです。
みなもと太郎の知識はすごいです。
これで、この「comic新現実」という雑誌は終了なのですが、この雑誌で1番の収穫は、このみなもと太郎の対談かも。
この対談が本になっているのなら、探さねば。
帝月、もし、ヨミをしたとき、死人がろくな事をしゃべらなかったら、いったいどうしていたんだろう……とか、けっこう思いました。
でも、もしかすると、彼自身には、ヨミなんかしなくても、ずーーっと、そういう世界が見えているのかもしれません。そうすると、それはそれで、けっこう重たいですねぇ。
天馬が、神剣を持っているのと同じぐらい重いかも。
この巻で、とりあえず「天狗の里」のお話は終わりのようです。
柴田亜美のマンガって、終わりが近づくにつれてシリアスになっていくじゃないですか。緊張感が出て来ます。
「カミヨミ」は、その緊張感がずっと続いていて、いい感じです。
「ウィッチブレイド」といえば、わたしにとっては、1999年にメディアワークスから出ていた「ウィッチブレイド日本語版」です。
これは、色っぽいアメコミとして、わたしの印象に残り続けています。
アメコミの女性って、けっこう色っぽそうで、実はコードがけっこうガチガチなので、あんまり色っぽくなかったりします。
でも、この原作コミックの主人公サラ・ペッチーニは、なんというか、すごい色っぽさを感じたのを覚えています。
で、この「丈流」です。
日本の土着的なお話とからめて、けっこういい感じに作ってあります。
ベッチーニは、もともと乱暴者(笑)だったのですか、この話の丈流のように、普段おとなしいのに……という方が、その落差もおもしろいかもしれません。
でも、あのとき感じた「色っぽさ」は?
と聞かれると、けっこう難しかも。
日本のマンガの方が、アメコミよりも直接的な表現は多いのですが、わたしには、アメコミ版の方が勝っているような気がします。
このあたりは、刷り込みなのかもしれませんが……。
「ウィッチブレイド日本語版」の続きは、出ないのかなぁ。
いろいろ展開している今こそ……。
どうよ、ジャイブ。
↑ でも、ジャイブは高いので、本当は、新潮社か、小学館プロダクションから出たらいいなぁと思っています。