途中で、長い休みが入ったからですが……。
本当は、もうちょっと、詳しく書きたかったのですが、記憶も曖昧になってきてますので、このあたりで。
あと、もうちょっとだけ、仕事が忙しいです。がんばれ、わたし(笑)
途中で、長い休みが入ったからですが……。
本当は、もうちょっと、詳しく書きたかったのですが、記憶も曖昧になってきてますので、このあたりで。
あと、もうちょっとだけ、仕事が忙しいです。がんばれ、わたし(笑)
第2部は、お待ちかね「積み木」です。
「つみきあそび」についての実演つきの講演?
それとも、岩城さんのパフォーマンス?
なんて、思っていたら甘い甘い。
「はい、ちょっと、イスを橋にやって真ん中、場所をあけてくださいね」
と、言われて場所をあけたところに、出てくるわ、出てくるわ、出てくるわ。箱いっぱいの積み木です。
3センチメートルの基尺の積み木と、4センチメートルの基尺の積み木が、まあ、会場を埋め尽くさんばかりに(笑)
そうです。第2部は、大人も、子どもも、みんなで「つみきであそぶ」のでした。
もうすでに、記憶がだいぶん、曖昧になってきているのですが、いろいろつくって遊びました。
カブラ積み木とかでよくやる「バベルの塔」。
積み木を寝かして、レンガのように積み上げていきます。
これは、わりと簡単に、自分の身長ぐらいまで積めちゃいます。
おもしろいのは、高く積み上がっちゃうと、1つや2つぐらい、なかの積み木を取っても、全然、影響がないことです。
そのまま、立っているんですねぇ。
だから、ちょっとした巨大ジェンガができます。
順番に、または、ジャンケンで負けた人は、1つずつ、中程の積み木を抜いていきます。
子どもの身長以上の高さですから、壊れるときは、ものすごい派手です(笑)
なんか、細かいお城みたいなのも作っていました。
「見て!ハウル、ハウル!!」
と、作ったお城を無理矢理歩かせて子どもみたいにはしゃいでいる人もおられました。
確かに、下の積み木を動かすと、連動して全体が動いて、「ハウルの動く城」の様です(笑)
えーと、大人が、作品作りに必死ですから、子どもたちが近づいてくると、
「ヒーッ!」
と、悲鳴です。
ということで、グループのなかで、わたしは、子どもブロック隊として活躍しておりました。
子どもが近づいてくると、とりあえずメインの建物の前に、少し積み木を積んで、子どもをブロック!!
もう、大喜びで、手でバシャーンと、なぎ倒してくれます(笑)すかさず、
「やったーー!」
と褒め称えながら、またまた、積み木を積んでいきます。
ガッシャーン
ほぼ、これの永遠の繰り返し(笑)
まだ、言葉ではコミュニケーションが取れないぐらいの年齢。積むのが難しい年齢ですが、壊すのはできる。
で、ワクワクしながら、積まれるのを待っているのが伝わってきます。
と、ところで、この子のご両親は、今、なにをされていますか?((もちろん、積み木に夢中なわけですよ))
大人のわたしの方は、何回かやってると飽きてきます。
で、ちょっと、ドミノとか、かわった技を見せようとする。
バッシーン
いや、まだ2つしか並べてないやん(泣)
大満足な、ご様子でした。
あと、長い棒状の積み木をつくって、ものすごく高い塔も最後に作りました。
下が、3つだったか、4つだったかの足で立っている塔です。
この塔は、最後壊すときに、1番下の足をみんなで持って、
「せーのーで」
で、抜くんだそうです。
そうすると、ビルを爆破してつぶすときみたいに、「ズッ!」とまっすぐに崩れていくんですねぇ。
この崩れ方も、なんか、美しいです。
ということで、われらが積み木クラブの面々も、積み木をかき集めて、高い塔作りに挑戦です。
大人の目の高さぐらいまで、積みました。
「まだまだ、いける!」
てなことを言いながら、どんどんと積んでいくと……。
ガラガラガラ
つくるのは慎重にゆっくりですが、崩れ落ちるのは一瞬です。
「あぁ、下の積み木を抜いて崩したかったねぇ」
でも、多分、どっちにしろ崩れるまで積み続けていたような気がします。
だって、みんなゲーマーだから(笑)
と、こんな感じで、けっこうたっぷり積み木で遊びました。
ネフの積み木は、テーブルの上で作品を作り上げていくような楽しさがあるのですが、基本の積み木を使った遊びも、またそれとは違った、なんだろう、すごく根源的な楽しさがあるなぁと感じました。
まあ、遊ぼうと思うと、かなりの量の積み木が必要になるわけですが……それから、場所とか……。
「使用した積み木を安売り!」ということで、大人たちが、積み木に群がっておりました(笑)
その後、もちろん、ぱふによって、たっぷりと遊んで帰ったのでした。
また機会があれば、岩城さんのお話は、生で聞きたいですねぇ。
本文中、岩城さんがしゃべった内容についてなのですが、公式な記録に基づいて書いているわけでも、詳細な記録をとってそれを元に書いているわけでもなく、ただひたすらに、わたしの記憶を元に書いています。
ですから、思い違いや、もしかすると岩城さんの意図とは離れてしまっている部分もあるかもしれません。
あくまで、文責はりんにありますので、そのあたりをどうぞご考慮して、お楽しみ下さいませ。
あと、ボードゲームのネタを期待して来てくださっている方々には、申し訳ないです。
でも、この話も、書いていると、わたしはけっこうしあわせな気分になります。
講演は、すごい状態のなかで行われました。
子どもは、いろいろおもちゃで遊んだり、なんか、ステージの上にのぼったりしています(笑)
第1部は、「発達にあわせたおもちゃについて」というお話でした。
「わたしねぇ、おもちゃ屋さんで生まれたんですよ。」
という軽快な滑り出しは、もちろん、岩城さんの著書を読んでいる人には、きっとお馴染みです。
でも、いい話って、何回聞いても、何回読んでも、楽しんですよね。本物だ。
他の子どもたちから、羨ましがられながらも、おもちゃ屋である親からは、
「そんなもので、いつまででも遊んでいるな!」
と言われ続けた子ども時代のお話からはじまって、絵本との出合い。
そして、絵本と同じように大人が真剣に子どもと向き合って作ったおもちゃがあるはずと探し当てたヨーロッパのおもちゃとの出合い。
そんな、いろいろな話が、ユーモアたっぷり、おもしろおかしく話されていきます。
「はじめ見た時ねぇ、わたしビックリしました。これ、ただ単に、ハンマーでこの杭を叩くだけなんですよ。
それで、たたき終わったらね、ひっくりがえすんですって。
そうすると、永遠に遊べるっていうんですよ!
わたし、これ見たとき思いましたね。こんなん、2回もやったら、終わりやん。買ってきて10分で飽きられてしまう。
おもちゃ屋として、せめて、もうちょっと、遊べるおもちゃじゃないといけないですよねぇ」
とは、ハンマートーイのこと。
では、このおもちゃを見た瞬間、
「お兄ちゃん、これ買って!」
と惚れ込んでいたわたしの妹っていったい……。
「これ、見てください。上から玉を落とせば、坂にそって玉が落ちていって、最後に音が鳴るだけ。
こんなん、大人が、ずっとしていたらコワイですよ!」
これは、クーゲルバーンのことです。
そして、横から肘でつっつかれて、
「りんさん、そんな大人はコワイらしいですよ~」
とつっこまれているわたしっていったい……。
「でもですねぇ、これらのおもちゃって、ヨーロッパの基本的なおもちゃなんだそうです。
基本的なということは、ずっと、遊ばれ続けている、与え続けられているおもちゃということなんですよ。
わたしは、この基本的なおもちゃということが気になったんです。
それで、実際に、子どもたちにこのおもちゃで遊ばせてみたんです」
そうすると、子どもたちは、実に飽きずに、楽しそうに、これらのおもちゃで遊んだのだそうです。
そう。わたしたち兄妹は、子どものようなピュアのハートの持ち主なのだよ(爆)
子どもたちの発達段階のなかで、なにかを叩きたい時期というのは、必ずあるのだそうです。そんな時期に、家中のものを叩いてまわるわけにはいかない。
でも、子どもたちがなにかを叩きたいという気持ちは、実は、人間の成長にとって実は意味があるものではないか?その時期の子どもたちは、叩かなければならないのではないか?
「ハンマートーイ」は、そういう思想から生まれてきたようです。
また、「クーゲルバーン」は、このサイトでも何回も紹介していますが、子どもたち、本当に飽きずに何回も、何回も、やります。
それには、こんな説明をされていました。
この時期の子どもたちは、自分がなんでも出来ると思っている。だから、いろいろなことをやりたがる。でも、実際にやってみると、出来ないことも多い。
そんなときに、確実に同じ動きをするクーゲルバーンの様なおもちゃを子どもが遊ぶことによって、子どもは、自信と精神の安定を取り戻すのだそうです。
これは、電気で動くおもちゃのように自動で動くものではなくて、やっぱり、自分が操作した結果、確実に動いていくということが大切なようです。
わたしたちは、もしかして、未発達で、精神が安定していませんか?否定はしないですけどね……。
これは、岩城さんの話ではなくて、何かで聞いた話なのですが、日本のおもちゃの寿命は、3~6か月しかないものがほとんどなのだそうです。
そうしたなかで、どうしても売れるものは、子どもの欲しがるもの。つまり、動いたり、音が出たり、色が派手であったり、今まで見たことがあるキャラクターものということになります。
ただ、そうやって、「選ばれること」だけを念頭において作られたおもちゃは、「遊ばれる」ことが少しないがしろにされているようです。
おもちゃ自身が勝手に動いて、子どもを遊ばせてはくれるのですが、子どもがおもちゃで遊ぶ余地がとても少ない。だって、動いている電車は、手に触れられることを拒絶しています。
それは、テレビなどのメディアにも言えることだと思います。
たしかに、宮崎駿の映画は素晴らしいかもしれません。たしかに、良質な番組は、あるのかもしれません。
でも、たとえ良質なものであったとしても、やっぱりそれは、自分からかかわっていける種類のものではないのです。
というのは、岩城さんの受け売りかも(笑)
まあでも、「トトロ」を10回1人で見るよりも、保護者と一緒に森を散歩する方が、きっと、子どもにとって幸せになれることなんだと思います。
おもちゃは、大人が選んで子どもたちに与えていくというのは、とても大切だと思います。
ただ、わたしたちの世代って、やっぱり自分たちがジャンクなおもちゃで育ってきたので、おもちゃ見る目も、あんましないのかなぁという気がします。
自分を振り返っても、キャラクターものとか好きですからね。
そうそう、最初に遊んだ「メルヘンカルテット」にも、ちゃんと意味がありました。
それは、子どもたちがどうすれば、他の子どもたちと仲良くできるのかというお話でした。
子どもが(というか人間が)、他の人と仲良くするには、「イメージの共有」と「ルールの共有」の2つが大切だという話でした。
ルールの1番簡単なものは、順番。
小さい子には、これが理解できない。
「ぼく、ぼく、ぼく……」
で、他の人がやろうとすると、パニックになっちゃいます。
1番最初に理解できる順番は、
「お母さん、ぼく、お父さん、ぼく、お母さん、ぼく、お父さん、ぼく……」
なんだそうです。
つまり、絶対すぐに自分がまわってくる。
なるほど、小さいことゲームするときは、2人でする方が子どもが落ち着く気がしたのは、発達段階だったんですねぇ。
それがやがて、
「ぼく、お母さん、お父さん、ぼく、お母さん、お父さん……」
と、ちゃんと順番が守れるようになってくる。
何人までで上手に遊べるかという目安は、だいたい年齢と同じ人数までなんだそうです。
1歳で、1人。2歳で、2人。3歳で、3人。4歳で、4人。
こういうのは、これからの「ゆうもあ」の活動に、けっこう役立つかもしれませんねぇ。
さて、こうやって、大人たちが、岩城さんのお話に引き込まれている間も、子どもたちの方は、会場をところせましと動き回っています。
ステージに上がって、マイクのプラグを抜いたり……、岩城さんのしゃべっている演台の周りをグルグルまわったり。
そして、それがいちいち、岩城さんの話を証明するという……まあ、岩城さんが、その動きに会わせて、臨機応変に話されていたということもありますが……。
すごい。
そのあと、子育て相談なんかもあって、いよいよ、第2部の「つみきあそび」です。
そろそろラストスパートにむけて、キャラクターの整理が始まった感じですねぇ。
前の巻の感想にも書いてしまっていますが、実は高橋留美子は、ものすごく王道なマンガをかく人だったのだなぁと改めて思います。
ストーリー的なものでいえば、「悪は自らを蝕む」という基本的なテーマ。
絵でいえば、必ず何らかの感情の出ているキャラクターの顔。
特にシリアスだと、中間の表情って、本当にないです。パシッと1枚1枚の絵が決まっています。それが、必ずしも、いいことではないのですが……。
まあ、あれだけギャグがかけるということは、王道をちゃんとしって、そこからそらせることができるということなんだと思います。
ところで、神楽って、殺生丸のこと……。
なんか、唐突な感じがしたのですが、伏線あったかな。