物語としての正しさ

ジョディ・ピコー,川副智子,読書

私の中のあなた 下

久方ぶりに、ねる時間を削って、最後まで読みたいと思わせる小説でした。
ラスト以外は、ずっと映画とかぶっているにもかかわらず。ものすごく、ドキドキしながら最後まで読みました。

ケイトの恋愛が、たった一章で終わっちゃったのとかは、まあ、そうなんだろうと思うけれど、なんていうかやりきれない感じです。
そして、それでも語り出さないケイト。

衝撃のラストは、本当に、予想外でした。
わたしは、もっとオカルトチックなことが起こるのだと思っていました。
そして、ラストでやっとケイトが語り出す。かなり、計算し尽くされた効果でした。

賛否両論は、うなづける。

うーん、お話としては、ものすごく正しい終わり方だと思います。
映画と本と、どっちを先に読んだかで、多分、感想が左右されてしまうぐらい微妙なバランスの上にあると思います。

そして、わたしは映画を先に見た人です。
以下は、それを前提に。

ネタバレありです。


映画で見たこの物語は、わたしの中では、かなり本当のことだったのです。
うーん、上手に伝えられないけれど、フィクションでなくて実話として受け取ったわけです。
で、それをひっくりかえされるのには、ちょっと違和感があります。
映画を先に見ていなかったら、それもありだったのかも。しかし、俗っぽくなっちゃった気もします。でも、どっちを俗っぽく感じるかは、好みの問題なのかもしれませんが。

物語としては、ものすごく正しいです。最後に、ケイトが語ったように、それは、まさに、

「だれかが逝かなければならなかった」

であって、そして、「だれかが逝った」ことによって、バランスが取れた。

ただリアルなだけの話なら、アナも、ケイトも助からない。そんな、ひどいことがおこったお話で終わることもできたわけで、でも、それは、あきらかに物語として間違っていると思います。

でも、治癒する理由が、作者にすら「だれかが逝かなければならなかった」だとしたら、ちょっと弱い気がする。もちろん、「遅発効果がある意味で寄与している…」という説明があったにせよ。
そう感じてしまうのです。

なんていうのかな。物語として間違っていないけど、本当にあったことから、良くある物語に変わっちゃった気がするのです。

あと、この物語だと、アナって、やっぱりそのためだけに生まれてきたのか?とちょっと、悲しい気持ちになります。
奇跡は起きなかったけれど、やすらぎはあるんだよという映画の方が、好みです。