我が選びしこの人生

エリザベス・ムーン,小尾芙佐,読書

くらやみの速さはどれくらい

売り文句は、21世紀版の「アルジャーノンに花束を」。
うん、その言葉に負けないだけの凄い作品です。
でも、読後の印象は、かなり違うものです。

以下、ネタバレありかもしれません。


手術をして、今まで以上に才能が伸びていく。
でも、実際の変化は、手術の前にすでに始まっていて、そこで、自閉症の時になされる「選択」こそが、この物語のメインです。

いったい「自分」とはなんであるのか?

「記憶」が、「自分」なのか?

「感覚」が、「自分」なのか?

「魂」が、「自分」なのか?

大きく変化しても、自分は自分であるのだろうか?変化した自分が自分でないならば、日々少しずつ変化していく自分は、自分でないのだろうか?

この本での正解は「記憶」なのかなと思ったけれど、宇宙へのあこがれが「魂」なのだとしたら、それこそが、ルウなんだろうか?
では、受け継がれなかったマージュリの思いは、魂ではなかったのか?

実は、選択するのは、誰でもなく自分自身ということすら、「本当なの?」と思ってしまうわたしがいます。

例えば、命がたすかる確率の高い手術でも、知らないことの怖さから、子どもや判断力がないなら、それを拒んでしまうのではないか?
それならば、その判断は、専門家に任せた方がいいのではないか?

では、その判断力はどうやって見分ける?Aを選ばずにBを選ぶことが判断力があると規定してしまって良いのか?
それとも、年齢で決めるのか?IQで決めるのか?今までの生活歴で?

手術のリスクが、限りなく0パーセントに近くても、まったくの0パーセントだとしても、わたしたちは、いやがる人に無理矢理、手術を受けさせるべきではないかの?

いつも、選択できる道は1つだけ。だから、その道が本当に1番幸せに続いていかどうかは、わかりません。

……ベリイは、いったいどうなった?
ルウが、そうなった可能性も……。

みんなこの光よりも速いくらやみの中を生きています……。