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ようこそ、一人ひとりをいかす教室へ 「違い」を力に変える学び方・教え方

このやり方は、イメージは理解できるのだけれども、教師側のノウハウが蓄積していかないのではないかという懸念があります。
本人の中で、得意な人は知見を蓄積していけるのですが、それを他に伝えるのが難しいような。今でも、名物教師の名人芸といわれるものは、そんな感じではありますが。
そうして、原型とは「似て非なるなにか」が、ものすごく蔓延する可能性が大きいのでは。

まあ、翻訳ものなので、単純に日本にあてはめられないところが、前提条件にあったりもします。
例えば、子どもが何人ぐらい教室にいることが前提かとか。時間を解体してゆるやかに学ばせるためには、教科担任制では無理ですよねぇとか。
アメリカはの先生は、確か「4年生の先生」だと、ずっと、4年生専門の先生になるという話だったと思いのます。
そうすると、4年生で教えるべきことに年々、習熟できる。
日本の場合は何年生を担任するかは、基本、不明。そのため、その学年で教えるべき知識というのは、毎年、教師も深めるよりは広げるかたちで学習していかなければならない。
まあ、全体を見ることができるという意味では、日本のやり方も悪いわけではないのだが。

そこに最近は、小学校でも算数の専科なんかが入ってくる。専科の教員が少ないクラスを持っているのならいいのだが、まあ、担任と同じように25時間とかもってしまうと、もうがっつり時間割の動かしようがなくなってしまう。

そういうことも考えると、今のギリギリの人数で学校をまわしていって、それと同時に「一人ひとりをいかす」なんてのは、かなり無理がある。

本気で改革を考えるなら、予算を投入して、人数を増やすしかしかたがないと思います。