陰陽師 太極の巻
「二百六十二の黄金虫」は、「陰陽師」の1冊目を読んだときの気分を思い出させる一編でした。
以前は、けっこういろいろな物語の運び方があったのですが、最近は、もう完全にパターン化しています。
意識してそうなっているというよりも、落ち着くところに流れたら、こうなったという感じでしょうか?
ところで、博雅って、歌がさっぱりわからないっていう設定なかったですっけ?
それは、マンガだけだったかな?
文庫本は、4巻にわかれているわけですが、こうやって4巻にきると、ちゃんと巻の終わり終わりが物語の大きな区切りになっていて、山岸凉子が、計算し尽くしてこのマンガをかいていたことがわかります。
今の「舞姫 テレプシコーワ」も、長いからそういう構造的なものは見えてこないけど、まとまったら、しっかりとわかるのかもしれません。