笑う雑学
「一行知識」に比べると、ちょと薄味な気がするのは、きっと、興味があんまりない(自分に知識の下地がない)ことが多かったためでしょうね。
うむ。友だちは、本よりもテレビの「トリビアの泉」の方が楽しいと言っていました。
そのあたりの感覚は、人それぞれかな?
まあ、わたしがあんまりテレビを好きではないというのがありますけどね。
「一行知識」に比べると、ちょと薄味な気がするのは、きっと、興味があんまりない(自分に知識の下地がない)ことが多かったためでしょうね。
うむ。友だちは、本よりもテレビの「トリビアの泉」の方が楽しいと言っていました。
そのあたりの感覚は、人それぞれかな?
まあ、わたしがあんまりテレビを好きではないというのがありますけどね。
今日は、「ゆうもあゲーム会・京都」の勉強会兼、忘年会がありました。
遊んだゲームは、
「キュージェット」
「すなばでかくれんぼ」
「子やぎのかくれんぼ」
「ラビリンス」
「ピクショナリー」
「ビーバーバンデ」
「マウ・マウス」
「ハリガリ クリスマスエディション」
などなどでした。
そして、わたしは軽いゲームがほとんどですが、後ろでは、長時間ゲームがまわっていました。
場所をかえて、お食事会アンド忘年会では、今、ちまたで話題の
「ごきぶりポーカー」
をさわりだけプレーしました。
なかなか充実した1日で、積み木部に続いて、マンガ部が発足しました。
↑ 信じないように(笑)
ということで、書く暇ないということで、「読書」ネタで更新です。
そうそう、「ゲームリスト」も、更新しました。
なんと、はじめてメビウスでゲームを購入したという(笑)
メビウス訳のゲームは、いっぱいあるんだけどなぁ。
1巻目の感想を載せたのが、9月ですねぇ。
で、その直後から2巻目を読み始めたはずですが、今までかかったのは、途中で思いっきり修羅場をはさんでしまったせいですね。
1話ごとの感想も、読んだ直後には書けなくて、かなり後になってから、書いたものになってしまいました。
それでも、1話ごとに感想を書いていくのが楽しいのは、やっぱり安房直子さんの作品が好きだからなんでしょうね。
こういう単純な不思議さが好きです。
こんな魔法なら、わたしたちの周りにけっこうあるのではないかと思えてきます。
ライナスの毛布のように、ギュッとウサギを抱きしめる女の子。
ウサギと女の子の間に、どんな物語があったかは、けっして誰にも気づかれない。
ひぐれのお客
すごいさり気ない話です。
ほとんど、ストーリーなんてない。
でも、
「色っていうのは、ふしぎなものだな。」
というのは、安房直子さんの色に対する感じ方の深さをきっと表していて、やっぱり、読んでいる方も、しあわせな気分になるのでした。
大好きなネコと別れなければならないのは、いつだって耐えられないぐらいにさみしいものです。
でも、人はネコと暮らすことをやめられない。
そして、想い出を蓄積させていく。
なんでも吸いとる吸いとり紙も、「想い出」までは吸いとらないのでした。
ますむら・ひろしさんの画集かなにかに、
「家出したネコは、時々、手紙を書いて欲しい…」
みたいな文章があったのを思い出しました。
突然、家からいなくなったネコが、こんな風にしあわせであってくれたら、わたしたちは、どんなに安心することだろう。
そういう優しいお話です。
なんか、奥さんも、うさぎ屋も、ちょっとモラルが壊れていて、オイオイと笑ってしまいました。
そして、安房直子は、自分の物語のなかに、いろいろな願いは入れても、「教訓」みたいなものは入れたくなかったのだなぁという気が少ししました。
人は、忙しさ、そして、収入が入ってくることを「しあわせ」だと思いがちだけど…。
もちろん、それがしあわせの1つの形であることは、否定できないです。
でも、別の形もあるのかも。
わたしは、ホッとするような生き方ができるといいなぁ。
なんていう優しい話だろうと思います。
童話のなかの無垢な動物たちは、さびしい心に感応するのかなぁ。
そして、優しい嘘は、つき続けることが出来ればきっと、最後には本当になるのでしょう。
日本的な風景と、発電所という組み合わせ。
こういう組み合わせの不思議が、安房直子さんの作品にはありますね。
そして、最後に、お手玉でおわるという。
いい風景だ。
読んでる最中は、いいかげんなオリオンにすごく軽いものを感じていたのですが、読み終わって、実は、これって、すごくリアルな話なのではないかと思ったりもしました。
なんだか、こういう生き方をした写真家って、本当にいそうだと思いませんか?
そして、その写真家は、星のなかに人を、人のなかの星を見つけたんです。
そんな気がする。
テーマが、前面に出ている安房直子さんにしてはめずらしい作品。
その分、実は、ちょっとドラえもんのような安易さがあると思ったりもします。
まあ、のび太くんは、努力しない人なので、この主人公とはちょっと違うか。
でも、エッセイを読むと、安房直子さんは、この作品をかかなければならなかったんだなぁということがよくわかる気がします。
夢オチ?とも思えるような、不思議な感じの話なのですが、1つ1つのイメージに、意味をつけていくことも可能のような気がします。
たとえば、スコップでほっていくと、おもちゃがいっぱい出てくるシーン。実は、ほっているのは地面ではなくって、記憶ではなかいと思ってしまいます。
そして、1番すごいと思ったのは、シャベルをおいて帰っちゃうところですねぇ。
その欲のなさが、実は、安房直子作品の透明さにつながっています。
人さらいの話だ(笑)
いや、ちょっと違うか?
こういう、どこかアヤシイお話は、やっぱり好きです。
「そこ」にしか、本当に幸福はなかったのか?
それは本当に幸福なのか?
という疑問は、どうしても残ってしまうのですが。
それでも、わたし自身も、そんなふうに連れて行って欲しいと思う気持ちもあるのでしょう。
ただ、その時の現実の生きづらさというのは、心のトゲとして残しておかなければならないと思います。
「あんたの味方は、もう妖精だけだよ。」
そういう恋もあるのだなぁと。恋は、盲目といいますから。
でも、その時、不思議と孤独感はないんだろうなぁ。
「しかたないさ。結婚していっしょに暮らすとなったら、どっちかがどっちかの大きさになるしかないさ。」
わたしのピアリピアリは、見つかったかな。
行って帰ってこない話。
実は、こういうお話にも、すごく惹かれます。
帰ってこない限り、彼らの物語は終わってないのですから。
母親の思いの話は、すごく共感しました。
やっぱり、わたしに子どもがいても、同じように育てるのだと思います。
この日、2つ目のゲームは、「子やぎのかくれんぼ」。
なんと、はぷさんなど、木のおもちゃ屋さんで売っている子ども用のゲームです。
すごく簡単なメモリーゲームで、ルールだけ聞くと、
「それっておもしろい?」
と思うようなゲームなのですが、やってみると、大人でも充分に楽しめます。
侮れないぞ。子ども用ゲーム(笑)
今、プレイスペース広島の紹介を見てきましたが、ゲームのテーマは、「オオカミと7ひきの子ヤギ」だったのですね(笑)
えーと、ふせられた6つの缶の下に、子ヤギのコマを各5つずつ入れます。
そして、サイコロを振って、指定された缶の下にいる子ヤギの数をあてるだけ。
「それ、おもしろいの?」
というか、
「缶の下の子ヤギの数は、5つに決まってるやん!!」
という声が聞こえてきそうですが、その通りです(笑)その通りなんかい!!
えーと、正解すると、その缶から1ぴき子ヤギを助けることが出来ますので、だんだん、缶の下の子ヤギの数は変わっていきます。
はやく7ひき子ヤギを集めた(助けた)プレーヤーが勝ちです。
これでも、まあ、注意深い大人なら、どこに何個入っているか、場所が6つぐらいなら覚えられそうです。
さて、ここからは、ルールブックに書かれていない「大人ルール」です。
えーと、誰かが、子ヤギを半分ぐらい集めたら、なんと、6つの缶の場所をシャッフルするのです。
缶は、6つとも色が違いますので、色と数の関係さえしっかり覚えていたら、場所が変わっても平気なはず……ですが、人間の記憶って不思議ですねぇ、こうすると、もう、どれが何個だったのかわからなくなっちゃいます。
嘘だと思うでしょう?試してみて下さい(笑)
えーと、まあ、わたしとかは、記憶力がないので、全然、缶を動かさない状態でも、ナチュラルに間違って、爆笑されたりしますけど……。
なんか、サイコロの目って、偏って出るんですよねぇ。前の人と同じ目を出すと、前の人が直前で開けた缶の中身を当てたらいいだけなので、とっても簡単で、ラッキーです。なぜか、連続して出る人には、この目が出る(笑)
しかーし、間違っているわたしたちを尻目に、ベテランゲーマーさんは、シャッフルにもめげずに、1回も間違えずに子ヤギを7ひき集めておられました。
あれはきっと、常人とは記憶の仕方が違うのですね。
多分、赤、青、赤、黄という感じで、サイコロで出た色を順番に全部覚えているんだと思います。
あぁ、そうすればいいだけか~~。
……、無理です。
子どもとやっても、大人とやっても、けっこう楽しめるゲームだと思います。