魔界水滸伝20
まあ、そういうラストしかないよねぇという感じのひろがって終わるエンドです。
じゃあいったい、前半に出てきた巻物(?108人の名簿)とかはなんだったのかとか、途中出てきた異界の日常みたいなのはなんのためにあったのかとか、いろいろあるのですが。
うーん、名簿はやっぱり役の行者が作ったのかなぁ。
さて、「新・魔界水滸伝」は、どう繋がるのか、繋がらないのか。
未完出しなぁとも思いますが、次は、それを読みます。
クトゥルーが、しゃべるんだぜい(笑)とか思っていましたが、この巻ではほぼ、クトゥルーが、そのあたりのおっさん化しております。
すまなさがったり、あせったて大慌てしたり。
なんか、スケール感が、凄い……というか、スケール感が、無茶苦茶です。
いや、おもしろいです。
大笑いして、こんなクトゥルーいないとか思いながら、いやいるということに気づいてしまう。
ラノベ系の軽いクトゥルーって、こんな感じ。そして、ラムレイも、こんな感じですよねぇ。
栗本薫って、多分、ホラーには向かない。そして、ラムレイも。
目指すのは、ダイナミックな「物語」なんだなぁとあらためて思います。
もしかすると、今の日本のクトゥルーのブームの元は、栗本 薫なのかも。
多一郎さん、復活。と思ったらフリーズ。
とりあえずの完結まであと1巻。どう、決着がつくのでしょうか。
魔都ツアー。なかなか、いっこうに多一郎さんのところにはたどり着きません。
が、それぞれが、自分のラストシーンを見たりと、お話的には、進んでいるといっていいのかな。
まあ、加賀 四郎が話し出すと楽しそうではあるのですが、なんか、グルグル同じところを回り出したなぁという感じもしなくもない。ホラーの構造としては、正しいかも。あんまり、怖くはないけれどね。
藤原 華子とかも、なんか愛嬌のあるキャラだと思います。どうやら、先住者も、旧支配者も、旧神も、同じところから出ているということらしい。でも、道具を使ったりする人間や先住者と、自分の体を変化させ合体していく旧支配者は、違うともいう。
そのあたり、若干、加賀四郎の詭弁という気もしますが。