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星の時計のLiddell1

「空の色ににている」を読んでから、もう1回読み返そうと思っていた「星の時計のLiddell」全3巻を読みました。

以前読んだときは、ストーリーを追っていくことが出来ず、なんだか登場人物たちの話す難解なセリフのなかに大切な話が入っているのかなぁと思っていました。

さて、今回、「はたして理解できるのか?」という疑問をもちながら読み返したのですが、なんと、自分のなかでストーリーがスーッと通りました。
ただし、自分のなかで通っただけで、それが人のストーリーとあわせてみて、正しいのかどうかというのは、わかりませんが……。

えーと、映画で「ミツバチのささやき」というのがあります。
これは、とても好きな映画で、これまで3回ぐらい見ました。そして、いっつも、わたしはすごくおもしろいと思っているのに、途中で眠ってしまいます。
この映画、不思議なことに、ストーリーを語り出すと、わたしの語るストーリーと兄貴の語るストーリーと映画の紹介文のストーリーでは、全然、別の話になってしまいます。

これは、例えば、「『はみだしっ子』で、なんで、グレアムがあんな行動をとったか?」みたいな登場人物の心理に関して解釈が違うというようなものではなくて、本当に、受け取った物語のストーリーそのものが、全然、別個のものになっているというキツネにつままれたような経験です。

そして、多分、この物語も、受け取る側によって、ストーリーそのものが変わってしまうような微妙な部分があるような気がします。

まあ、「空の色ににている」を読んだときほど、これはわたしに向かってかかれている物語だと強く感じたわけではないのですが。
そのあたりは、この物語が再読であることなども、もしかすると関係しているかもしれません。

少女マンガは、何回も読んである瞬間スーッとストーリーが理解できる瞬間というのがあります。
これは、こっちの成長が、少女マンガに追いついたということなのだと思います。
1番最初にこの経験をしたのが、萩尾望都の「トーマの心臓」でした。
少女マンガには、物語のなかで語られていない(というか、成長しないと見えてこない)「ブランク」があって、しかも、その部分が物語の核心の部分とつながっていたりします。
「星の時計のLiddell」も、今回読んでみて、

「あぁ、以前は、ここがひっかかって理解できなかったんだろなぁ……」

という部分が、たくさんありました。

それから、ビックリしたのは、書かれていることの新しさです。
例えば、睡眠時無呼吸症候群なんてのは、最近では、日常的に聞くようになりましたが、この当時からあったんだ。
西洋人と日本人の言語における脳の使い方の違いも、わたしは、つい最近、ニュースで知ったばかりのことです。

書き始められたのが、1982年。今から、22年ほど前なんですよ。
ものすごく過去を指向していく物語のようでありながら、その目は、未来に向かっても開かれているのがわかります。

今回、わたしの持っている本を見直してみると、1987年10月25日 第8刷発行となっています。
まあ、発行されてすぐに買ったかどうかはわからないのですが、本自体は、今から、17年前に出されたようです。

前にここにこの本のことを書いたときは、「大学を卒業して大人になってから読んだはず」と書いていましたが、もしかすると、高校、大学ぐらいでこの本に出会っているのかも。
「好み」そのものは、もうこれぐらいの年齢で完成されていた気もしますが、このころなら、まだ理解できなかったのもわかる気がします。
なんというか、考え方そのものは、この頃にかなりできあがっているのですが、この後、自分の情報収集能力というのは、飛躍的にのびている気がします。
まあ、のびているのが、情緒面ではなく、そういった能力的な部分であるというのは、かなり情けないことではあります。

さて、物語は、「幽霊になった男の話をしよう思う」というナレーションからスタートします。
そして、語り部であるウラジミールが、街に戻ってきます。
街に戻った彼は、その街にすむ友人のヒューとお酒を飲み交わす。
ヒューは、まるで、ウラジミールが2年間もその街にいなかったことなど気にしていないように、まるできのうも出会ったかのように彼を受け入れる。

わたしを混乱させる罠は、しょっぱなから張ってある。
実は、ウラジミールは、とっても現実的な人間で、一方、ヒューは、夢想家です。

旅に生きる人間は夢想家。土地に落ち着いて暮らしている人間は現実的。
多分、そんな刷り込みが、以前読んだときは、この2人の性格を誤解させたのだと思います。

そうか、旅から帰ってきたのは、ヒューじゃなくて、ウラジミールだったのか。

今回、読んでみて、そういう印象の違いは、たくさんありました。

えっ、葉月ってヒューの彼女じゃなかったの?

とか。
ション・ピーターのピュアな部分というのは、何となくヒューのような主人公が持ってるべき資質だと思っていたのかもしれません。

そう。わたしは、単純な「物語とはこういうものだ」という常識に囚われすぎていてたようです。

でも、それらは、登場人物たちをとっても厚みのある生身の人間(というと少しニュアンスが違うかも。リアルな?これも違うか)にしています。

メインのヒューに向かう物語とは別に、登場人物は1人1人それぞれの物語ももっていて、それが、同じ重さで物語のなかで語られたりすることがあって、どっちに属する話なのかが混乱してわからなくなってしまっていたようです。

例えば、葉月は、恋人のジョン・ピーターには見せない(見せるときっと彼を傷つけてしまうと感じている)一面を現実主義者のウラジミールには見せたりします。
そういう話が、めちゃくちゃさりげなく入っていて、人物を浮き立たせています。

ヒューは、古い夢を見て、夢に惹かれています。
何度も、何度も繰り返される夢。夢のなかの彼は、とても、幸せそうです。

でも、現実の世界の彼が、不幸そうかというとそんなことは、全然ない。
わたしには、夢のなかの彼と同じように、自然体で幸せそうに見えます。
このあたりは、他の人と解釈が違うかも。

でも、ヒューには、「いつか自分が向こう側に行ってしまう」という予感があったのかもしれません。
その「予感」をウラジミールや、ヒューの母親は、「死の予感」と感じたのではないかと思います。
そして、葉月たちにとっては、それは、「未来への予感」。

だから、彼が、どうしても、「あちら側」に行かなければならないと思ったのは、「あちら側」の人間であるリデルが彼を呼んだからではないかと思うのです。

ヒューは、世界中にあるものをすべて等価に愛する。
これは、本当は、ヒューではなくて、「草迷宮・草空間」の主人公の草が、友だちに言われていた言葉だと思うのですが、多分、ヒューもその解釈で間違っていないと思います。

だから、ヴィとはつきあっていた(?)というもののそれは、

「彼女がヒューを必要としていた」

からであって、彼女が自立して、ヒューを必要としなくなった(?)とき別れを切り出されても、それほど取り乱したりしません。

もちろん、彼女のことを心配しているのですが、なんとなくそれは、誰にでも向けられる思いのような気がするのです。

そして、そんなヒューに対して、ウラジミールは、心理学など現実的なアプローチで、ヒューに迫ろうとしています。
そして、多分、そのアプローチでは、ヒューの見ているものを本当に理解することは出来ないのだと思います。

以前は、ウラジミールが何を調べているのかということも、何で調べているのかということも、ちっとも理解できていませんでした。
ウラジミールの趣味か?とか思っていたようです。
そして、ウラジミールは夢想家という誤解な刷り込みが、どんどんなされていくという。

あと、今回は、「相手が思いをかけているから、その人が夢の中にあらわれる」といセリフは、つい最近読んだ本の「手のとどかないものは、こちらが一方的に焦がれているものとは限らないよ。あの星は、おまえに思いを寄せているのさ」というセリフと自分のなかでは、ぴったりと重なって、ちょっとビックリしました。

こういうことがあると、今、運命的に(というとオーバーか)正しい時期にこの本を読み返したのだなぁと思います。

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と、まぁ、色々なことがおこりながらも、イベントは続きます。

スタッフが、交代でお昼のお弁当を食べに行くころには、もう、すっかりとゴザの上は、人で一杯です。

スタッフも含めてですが、30以上の人が、ずっとゴザの上で遊んでいる状態が、イベント終了の5時前まで続きました。

『ゆうもあ』での定番ゲーム、「ミッドナイトパーティ」と「ヒューゴー」は、両方持って行ったのですが、やはり、両方とも、とても遊ばれていました。
これは、1回遊ぶと、固定客がついて、何回も遊ばれるという本当にすごいゲームです。もちろん、「ねことねずみの大レース」は、いうまでもありません。

お昼からは、いっそう、お客さんが多くなってきたということで、なんと「わくわく!木の遊園地」のスタッフの方が、ゴザの隣にブルーシートをひいて、場所を拡張してくださいました。

ブルーシートの方では、まだゲームが難しいかなというぐらいの年齢の子たちが、組み立て式クーゲルバーンや、ハバの積み木で、遊んでいます。

「ゆうもあゲーム会・草津」ではおなじみのクーゲルバーンも、チロロロン、チロロロンと綺麗な音をひっきりなしに立て続けておりました。

それから、こちらでなぜか人気があったのは、ハバのリトルシリーズです。あのカンカンの箱は、カードゲームをしたことない子どもたちのハートも、わしづかみにしたようです。
「そっとおやすみ」のスタートマーカーのピエロを持って遊んでいる子や、「動物列車」のライオンのペンダントを誇らしげに首にかけている子どもたちが見られました。
カードは、カンカンに入ったままなのね。

となりのブースが、カブラ積み木の遊び場ということで、子どもたちは、積み木を持ったまま、こっちのブースから、あっちのブースへ(笑)

「まざるとこまる~」

ということで、あわてて、

「こっちの積み木と、あっちの積み木をまぜないで~」

とか言っていましたが、まあ、子どもには、あっちとこっちの違いは、あんまりわからないですね。

あと、「カヤナック」も、ゴザの上があんまりにも満員状態だったので、ごく自然に、休憩所のテーブルまで、持って行かれようとしているところを保護されました(笑)

まあ、このあたり、普段のゲーム会とは違って、どこにでも自由に行けるイベントということで、なかなか、スタッフ的にも、苦労するところも多かったです。

でも、本当にたくさんの方に会えたというのは、すばらしいことでした。
『ゆうもあ』のチラシも、すべてなくなってしまいました。

ネットとメールでしか、お会いしたことのなかった方も、今回は、小さいお子さんを連れておこしいただいたりして、いろいろお話をすることができました。

「不破さんは、イメージ通りだったけど、
 りんさんは、ちょっとイメージと違った」

だそうです。
おそろしくて、どういう風に違っているのかは、聞けませんでした。

まぁ、普段、善人面して書いている(はず)のこのサイトの様子と、どっから見ても悪者(?)な実際の姿とは、ギャップがあるかもしれません。
普段は、言葉遣いも、乱暴ですから。

でも、見かけだけで人を判断してはいけません。
あのお肉とお肉の間には、ピュアなハートが隠れているんですよ!!
もうちょっと、ダイエットしたら、その輝く美しい心が見えるかもしれません(笑)今のところ、その予定はありませんが。

まあ、子どもを相手にしているときと、大人を相手にしているときの二面性が、よけい人から邪悪にみられたりするところですが。

まあ、「イメージと違った」という話をされただけで、どう違ったかは聞いていませんので、もしかしたら、「イメージよりも、優しそうだ」とか、「イメージよりも、若くてかっこいい」とか、「イメージよりも、ガラスのように繊細だ」とか……まあ、もう、やめておきます。

その方は、サイトのイメージ通りの素敵なお母さんでした。
終了時刻は、17時。

それまでの間に、定番ゲームは、何回も。
それから、「マンカラ」や、「オール・ボール・コール・ゲーム」。1
「にわとりのしっぽ」。「ラビリンス」など、何回も、何回も、いろいろなご家族と遊ぶことが出来ました。

もちろん、たまには、積み木で遊んだり。

後かたづけがはじまるギリギリの時間まで、お客さんたちは、楽しんでくれました。

ブースの後かたづけ。そして、「わくわく!木の遊園地」全体の反省会にも、顔を出させていただきました。

なんと、この日の入場者数は、これまで最高の1100人を超えていたそうです。

次の日の日曜日が「わくわく!木の遊園地」のなかで最高記録の1200人以上だったそうですので、多分、期間中2位の記録的な日だったと思います。

なかなかに、オープンなスペースでするイベントということで、スタッフみんな、けっこうヘロヘロになっていたと思いますが、すごく充実した1日でした。

  1. 「マンカラ」のルールがわからなかったので、「オール・ボール・コール・ゲーム」のルールで遊んでいましたが。 []

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なくしてしまった魔法の時間 安房直子コレクション1

「ゲイルズバークの春を愛す」で、結構、味をしめたので、読んですぐの感想を書いています。

といっても、大好きな安房直子の作品集ですから、それがなくても、しっかりと1つずつ書いているかもしれません。

安房直子の作品を意識したのは、中1のときに廊下に飾られていた中3の人の描いた絵でした。
多分、その頃、中3の最後には、ポスターカラーで、「課題なし」の絵が描けたんだと思います。

「課題なし」。なにを描いたって自由なんです。
もー、アイドルの顔から、マンガのキャラクターまで、メタクタの無法地帯です(笑)
特に、わたしたちが中1の時の3年生というのは、もう、本当にワルい人たちばっかりですから、すごい出来(笑)さすがに、ヌードはなかったけれど、けっこう、きわどい水着とかは、あった記憶があります。

まあ、放課後の3年生の廊下を歩いて、

「いいなー。俺らも、好き勝手に絵を描きたいよな~」

なんて言いながら、絵を見て回っていたわけです。

その中に、1つ。
忘れられない絵がありました。

それは、縦長のキャンパスに描かれた作品でした。
青紫色の霧のような不思議なひしがたの窓。
その窓のむこう側には、花束を抱えた1人の髪の長い女の子。顔は、大きな麦わら帽子の影になって見えません。

扉の横には、詩のような言葉。

桔梗の花で 指を染めて
その指で 窓をつくると……

絵の題名は、「きつねの窓」でした。

そのとき、なにか記憶の底から、

「このお話、知ってる…」

と訴えかけるものがあったのです。

それから、毎日、3年生がいなくなるのを見計らって(1年生が3年生の教室のある廊下を歩くなんて、怖くて出来ないような中学校でした)、その絵を眺めに行っていました。

どこで、「きつねの窓」なんて話をしったのか?
多分、小学校時代の教科書だと思います。
ただし、わたしの教科書ではなくて、おそらく兄貴がもっていた教科書に載っていたようです。

子どもの頃にすり込まれた好みと、大人になってから出来上がった好みとがあると思うのですが、安房直子は、こうやって、子どもの頃にすり込まれた好みです。

心にトゲとしてひっかかっていた、「きつねの窓」、「夕日の国」、「小さい優しい右手」、「北風の忘れたハンカチ」といった話が、実は同じ作者の作品だと知ったのは、なんと大学の時に、児童文学の講義をうけたときでした。

好みの話っていうのは、確かにあるのですが、ここまでひっかかっていた話全部が、同じ作者だとは思ってもいませんでした。
しかも、話自体は、よく覚えているのに、いつ読んだのか?どうやって読んだのか?だれかに話して聞かされたのか?ということは、まったく覚えていないんですね。

大学になって、安房直子の名前を知って、作品を読みあさりました。
でも、そのころには、そろそろ絶版になり始めていたりして、なかなか、読めない作品も多かったです。

ずっと、安房直子の全集が出ないかなぁと思っていたのですが、偶然、復刊ドットコムで、この安房直子コレクションが、出ていることをしりました。

けっこう、経済的に苦しいときでしたが、購入を決めるのは、速かったです。

日本のなかで1番好きな作家。
わたしにとって、安房直子は、そんな作家さんです。

さんしょっ子

「さんしょっ子」は、ストーリーだけ追って読むと、実は、ちょっとかみ合っていない話だと思います。

でも、安房直子のなかで、大好きな人に読んで欲しいなぁとわたしがオススメするのは、この文句なしに「さんしょっ子」です。

すずなの心の中に秘められた想い。三太郎のすずなへの想い。そして、さんしょっ子の三太郎への想い。

秘められた悲しみは、透明な朝の空気のように綺麗です。

思わず、すべての文章を声に出して朗読してしまいたくなります。

ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
見わぁたすかぎり よめ菜にたんぽ
妹のすきな むらさきすみれ
菜の花さいた やさしいちょうちょ
九つ米屋 十までまねく

本当に、欲しいと想っているものは、手に入らないもの。
子どもの頃にわたしに刺さった、安房直子作品のトゲは、多分、この作品の頃から、その物語の底に流れ続けているのだと思います。

きつねの窓

最初にも書いたように、「きつねの窓」は、安房直子という作家の印象を強烈にわたしにすり込んだ作品でした。

あとで、大学の課題として自分たちで紙芝居をつくったりした記憶もあります。
あの紙芝居は、結局、わたしの元に返ってこなかったなぁ……。

むかしは、このラストを読んで、過去ばっかりを見つめる「きつねの窓」が消えてしまったことは、主人公にとっては、しあわせなことだったんじゃないかなぁ……とか、思っていました。

でも、今の年になると、自分がこんな窓を持っていたら、やっぱり手放すことは出来ないのだろうなぁと思ったりもします。

空色のゆりいす

目の見えない女の子と「色」のお話。
これは、この本で始めて読みました。と思ったら、講談社文庫の「ハンカチの上の花畑」に載っていますか?
あれ、読んでるはずですね。
でも、新鮮な気持ちで読めました。

目の見えない子と「色」のお話は、「マスク」というライオン症の男の子の話にもあって、あれも大好きでした。

女の子が、ばら色のいすにこしかけるところ。「赤」を感じるところ。
それから、だんだんうすれていくゆりいすにすわって、ため息をつくところ。
思わず、涙が出てしまいました。

実は、その2つの場面をここに書き写そうと思ったのですが、もう1回読み返してみて、もったいなすぎるので、やめることにしました。
ここで、その短い言葉だけを読むよりも、やっぱり、物語全体を味わって欲しいと思います。

「赤」を感じるところは、生き生きとはねるような描写です。
これも、もったいなすぎるので、ここには引用しませんね。

そして、ため息をつくところは…。
けっこう切ないシーンなんです。
でもそれは、幸福な記憶というものは、どんなに薄れてしまっても人の心に残るのだというメッセージも含んでいる気がします。

そして、最後の1行まで大好きでした。

これは、わたしにとっては、あんまり印象に残らない小品という感じですね。

でも、「耳のなかにある秘密」とか、「耳のなかをのぞくと海岸が見えて」というのは、けっこう好きです。

夕日の国

この話も、作者知らないまま、いつ読んだかもわからないまま、ずっと気になっていた話です。

「きつねの窓」を探す過程で、このお話にもたどり着いて、

「同じ作者だったんだ!!」

とびっくりした覚えがあります。
まあ、ある程度、好みに一貫性があるということでしょうね。

咲子は、ルビではちゃんと「さきこ」って書いてあるのですが、自分のなかでは勝手になぜか、「さっこ」と変換されています。
このモジャモジャ頭の女の子は、けっこうわたしのタイプの女の子の原型かもしけない……。と書いて、神坂知子のシルクロードシリーズの金目のツヴィとか、大島弓子の「たそがれは逢魔の時間」の邪夢とかのことを思い出して、自分が思っている以上に本当にそうだと気づきました……。
これが、もしかしたら、原点かも(笑)

でも、今回、イラストを書いている北見葉胡さんの絵の女の子よりは、ちょっとバタくさいイメージがあります。
でも、北見葉胡さんのイラストも、ちょっと大人ぶったところがでていて好きです。

これは、子ども心になんというか、女の子の魅力を感じさせてくれた物語です。
印象に残る物語で、感動タイプとトラウマタイプがあるとしたら、これは、完全にトラウマタイプ。
最後も、けっこう「どうしようもない現実」を子どもの前に見せてくれます。

だって、作者自身がそう信じているのなら、あの描写はしないだろう~。

でも、たとえ「夕日の国」が、女の子のついた嘘であっても、その世界があって、その世界が本当に見えたことは、主人公の男の子にも、読者にも残るわけです。

作り話をしてしまう人に惹かれるのは、実は、その人のなかに「孤独感」を感じるからかもしれません。

だれも知らない時間

太鼓の練習の時間をもらうことと、壺のなかの女の子のことは覚えていたのですが、結末をなんにも覚えいませんでした。

というか、安房直子さんの作品は、パーンと印象に残るシーンが、1枚の絵みたいにあって、それ以外の部分は、けっこう残っていないこともありますね。

この話のでは、それは、壺のなかの女の子の姿です。

ときに、このカメは、すごく怖くも見えるし、すごく優しくも見えます。
「時間」そのものなのかもしれません。

雪窓

なんとなく、話としては通っていない気がします。
全部を見通してお話を作っていく人と、書きながらお話を生み出していく人とがいるのですが、多分、安房直子さんは、後者なのだと思います。

だから、ときに自分でも思っていない方に物語が転がっていく。
でも、転がっていく先をとてみ信じているのだなぁとも感じます。

雪窓の屋台のなかの手袋をした女の子。
歌うようなセリフ。
多分、何年かたてば、ストーリーは全部忘れて、そんなシーンだけが残るのです。

どうも、わたしは、フレームのなかの女の子のイメージに弱いようです。
そして、安房直子さんは、初期の作品では、小さなものの中に世界を写し取るということに、情熱があるみたいです。

てまり

これも、「小さなものの中の世界」の話だ。
そして、夢がつながっている話。

今読んだところなのに、最後の印象が残っていなくて、今、どんなだったっけと読み返しました。

ファンタジーであるのに、どこか現実と通じている。
現実と通じているからこそ、ファンタジーの部分が、ものすごく切ないです。

赤いばらの橋

小学校の時、部屋に兄貴のお古の子ども向けの世界文学全集みたいなのが並んでいました。
それから、従姉の家からもらってきた本も。

ただし、本は、新しい方が魅力がある。
ということで、自分の選んだ本は、けっこう読んでいたのですが、この手のお古の本には、全然、興味がなくて、普段は並んでいるだけでした。

子どもの頃、朝、不思議と休みの日曜日には、早く目が覚めました。6時ぐらい。
親は、休みの日は、ゆっくりと寝ていたので、起きてくるのは8時ぐらい。
で、その2時間というのは、なんというか、不思議な「秘密の時間」だったわけです。

外に散歩にいったりもしていた記憶もあるのですが、そんなときは、普段あんまり読まない本棚のお古な本を引っ張り出して、読んだものです。

今にして思うと、「小さい魔女」や、「巣立つ日まで」とか、ルナールの「にんじん」など、おもしろい話は、自分の選んだ本よりも、こっちの方にたくさんあったような気がします。

そのなかの1冊。従姉の家からもらった本の中に、「北風のわすれたハンカチ」というのがありました。
このころはまだ、作者を意識して読むということはしていなくて、これが、安房直子さんの作品であることを知ったのは、やっぱり大人になってからでした。

この「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていた1編です。
たしか、3編のお話が入っていたのですが、これが1番印象の薄い話です。

もう1つの「小さいやさしい右手」の印象が強すぎるということもあるのですが。

でも、この話も、「小さいやさしい右手」も、なんか、なんでお母さんがあんなにいじわるなのかが、よくわからないんですねぇ。
無条件な悪意?

昔話なら、ままははであったとか、いろいろ意地悪な理由がつけられているのですが、いっさい説明なしで、抑圧するものとしての母親が描かれています。
このあたりは、けっこう子ども心に怖かったようです。

小さいやさしい右手

これも、「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていました。

子どもの頃の印象は、怖い話(笑)
よく切れるカマで、右手を落としてしまうシーンが、やっぱり、強烈に焼き付いています。

だから、ラストはほっこりと暖かい「北風のわすれたハンカチ」の作者とは、違う人なのだと思っていたようです。

今読み返してみても、やっぱり、怖いです。
でも、怖いのは、魔物ではなくて、人間なのかもしれません。

「ぼくには、とってもできないな。」

そう言う魔物の心は、自分の心とやっぱり重なります。
だれにとっても、多分、そうであるように。

そして、このお話は、大人に向かってではなく、子どもに向かってこそ語られるべきお話なのだと、そう感じました。

子どものなかに、小さなトゲを残します。
そして、いつか、そのトゲのことを思い出し、深く考えるときがあるのです。

北風のわすれたハンカチ

素敵な青い馬に乗ったお客さんがたちが、メチャクチャ迷惑な人たちなので、ビックリした思い出があります。

「これは、ひどい……」

と子ども心に思ったものです。
そのころ読んでいたファンタジーは、けっこうほのぼの系が多かったのでしょう。
だから、女の子のお客さんが来たときには、とってもホッとしたものです。

ハンカチをテーブルに載せて、魔法がかかるかどうか、試してみたと思います。
もちろん、北風のわすれたハンカチではなかったので、ホットケーキは、出てこなかったのですが。

あと、きっと、このお話を読んだ後、

「ホットケーキが食べたい」

なんて、言っていたんだろうなと思います。

大人になった今は、クマの孤独がとても心にしみて理解できます。
多分、わたしは、こういうヤツです。

ここまで、穏やかではないのが残念ですが。

エッセイ

エッセイを読む機会は、本当にすくないので、こんな風にいっぱい集まっているのは、とってもうれしいです。

そして、エッセイの言葉が、ファンタジーを作ってるときの言葉と、本当に同じだということを知るととても安心します。

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きのうと今日、ゆうもあスタッフの研修ということで(笑)、岡山県に行ってきました。

どうして、わざわざ、合宿に岡山県にまで行ってきたのかといいますと、岡山県に現代玩具博物館・オルゴール夢館というところがありまして、そこの見学ツアーも、あったわけです。

1日目、岡山入り。深夜まで遊ぶ。
2日目、現代玩具博物館見学。帰る。

というスケジュールで、2日間、ゆつくりと楽しんできました。

1日目に遊んだゲームは、

「気分は億万長者!」
「ワンだふるライフ!」
「サンクトペテルブルグ」
「タブラの狼」
「頭脳絶好調」
「サンファン」
「ブラフ」
「バトルライン(日本版)」
「カルカソンヌ・契約の箱」

などなどでした。

「みんなで遊ぼう」さんの日記帳の写真を見て思い出しました。
10人で「ピット」なんてのもしました。

ビバリー新作、「カルカソンヌ・契約の箱」以外は、わりとスタンダードなゲームが並んでいる気がします。

2日目の朝から

「サンクトペテルブルグ」

を。
そして、博物館へ。

わたしたち、ゲーム野郎(?)が、玩具博物館に行っておもしろいのか?
それが、めちゃくちゃ、おもしろいのでありました。

特に、ネフの積み木を使った積み木のパフォーマンスは、まさに動く芸術!!

一見の価値有りですよ。

ということで、いきなり、ネフの積み木購入に踏み切られたご家族や、買うつもりのなかったネフ積み木を買う人たちが続出(笑)

と書いているわたしも、気がつくとなぜか、グレイのキュービックスが!!

あと、ダイヤモンドがそろったら、基本の5種類がそろうって?
いや、次は、キーナーモザイクにはしりそうなわたしでした。

もう、2日とも、大充実でした。

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彼氏彼女の事情7

キャラクターが増えてくると、それぞれの個性が目立たなくなってくるものなのですが、この作品の場合は逆ですね。

まほの性格も、最初に出てきたときよりも、すごくよくわかります。
しかも、あさぴんがこんなにかっこよく見える日が来るとは!!

芝姫だけは、なんか別人になってしまってますが……。