更新雑記

とりあえず、今思いつくことは、書けました。
また、なにか思いついたら、続きを書くかも。

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星の時計のLiddell3

ヒューは、ウラジミールのことを「最大の理解者」と、呼びます。
ウラジミールが、ヒューのことや、ヒューに似た人間たちのことを調べていくのは、彼がヒューを理解したいと思っているからです。

たしかに、ウラジミールは、ヒューがどうしたいと思っているのかが、わかります。
でも、どうしてヒューがそういう結論に達するのかについては、理解できないと思っていて、それを理解するために、いろいろなことを調べようとします。

でも、ヒューがどうしたいと思っているのかがわかる時点で、実は、その答えは、心理学の本のなかにではなくて、ウラジミール自身の心のなかにあるような気がします。

3巻目は、いよいよはじまった家探しと、その結末について。

その家に住んでいたカーロフ家の家族は、ずっと、幽霊たちの存在を見つめながら育っています。
その幽霊たちというのが、どうやら、ヒューとリデルであるらしい。

さて、ここから先は、もしかすると解釈が違ってしまう人が出てくるかも。
間抜けなことを書いていたら、申し訳ないです。
うーむ。この手のお話の感想を書くというのは、自分のいろんな内面的なレベルをさらけ出しているような気がして困ります。

その家のカーロフ家の家族以前の持ち主は、スターリング・ノースという名前でした。
そして、カーロフ家の祖父は、幽霊のことを「スターリング・ノース」と呼んでいた。
そして、スターリング・ノースは、当時13、4歳の少女と一緒に住んでいた。

ということは、スターリング・ノースとヒューは、もしかしたら、イコールということなのでしょうか?

物語の最後で、ヒューは消えてしまって、あちら側の世界に行ってしまったことが示されます。
そして、スターリング・ノースも、屋敷内にはお墓が見あたらずに、消えてしまったようです。

ヒューは、ただ単にいきなりあちら側の夢の世界に旅立ったのではなくて、現実の世界のなかで家を見つけて、それを足がかりにして少しずつ消えていきました。
もしかすると、彼の幻視の力というのは、何か足がかりにしないと発動しないものなのかもしれません。

だからわたしは、この世界から消えたヒューは、過去に戻ってスターリング・ノースになったのではないかと思うのです。
リデルを見つけて、家に住む。

そして、もう1度、彼はその世界からも消えて、リデルと2人で本当の幽霊になったのではないかと思うのです。

世界から消えるたびに、ヒューの存在そのものは、本当に幽霊に近づいていく。

もしかすると、その幽霊屋敷そのものをスターリング・ノースたるヒューは作った(または、幽霊屋敷そのものになってしまった?)のではないか?

それどころか、幽霊屋敷を含む、そして現代のウラジミールをすら含むこの世界そのものを、その過去の時点でのヒューが作ってしまったのではないか?と思えます。

これは、因と果が、逆転しています。
または、卵が先か、ニワトリが先か。

でも、時間を思いで越えてしまう、未来が過去にある人にとっては、ある意味、当然のことなのかもしれません。

それにしても、リデルがずっと待っていたのが、ヒューではなくて、ウラジミールだというのも、ものすごく意表をつかれます。

スターリング・ノースは、また、幽霊としてのヒューは、きっと何度も、ウラジミールのことを少女に語ったに違いありません。

キンモクセイのかおりが、小さな時から好きです。
キンモクセイのかおりが、する季節には、校庭のキンモクセイのオレンジ色の花の近くでネコがマタタビをすったような状態に毎年なります。
雨が降って花が一斉に散ってしまうまでのしばしの贅沢です。

そのキンモクセイのかおりが見せてくれる夢のような?
そんな話には、本当は、こんな無骨な「解釈」は、必要ないのかもしれません。

ある意味、この物語は、マンガで語れることの天辺を語ってしまっています。

今回、この物語を読む徒然にいろいろと調べてみたのですが、この内田善美は、この作品のあと「草空間」をかいて、その後、マンガをかいていないようです。

なんとなくですが、これ以上、かくことがなかったのかも。そう思わせるような完成度の作品です。

「空の色ににている」にしろ、「草迷宮・草空間」にしろ、この「星の時計のLiddell」にしろ、今では、絶版で手に入りにくいマンガであるようです。

特に、「空の色ににている」は、自分が持っていないこともあり、めちゃくちゃ気に入ったこともあり、「絶版なのは罪だ」と思ってしまいます。

人気も高くて、復刊ドットコムでも、投票が集まっているのですが……。

交渉結果は、作者と連絡が取れず……。

ウワサによると、作者自身が、自分の全作品の再発行を望んでいないとか……。

なんとなく、この作品の作者らしいとも思います。
きっと、作者自身も、「幽霊」になりたかったのかも。

ところで、ずっと疑問だったのですが、内田善美って、男の人ですか、女の人ですか?

更新雑記

えーと、ここまでの原稿を書いて、15日の12時の30分前ぐらいに起きて、あと付け足して更新しようと思っていましたが、寝過ごして、起きたら16日の3時でした。

強引にきのうの日記に書き込もうとも思ったのですが、まあ、こんなこともあるさということで、ズルをしないで1日おやすみをいただきました。

内田善美,読書内田 善美,星の時計のLiddell,鏡の国のアリス,集英社

星の時計のLiddell2

夢の世界の女の子リデルですが、わしはなぜか、名字がリデルで、名前はアリスなのだと思っていました。

アリス・リデル。ドジスン教授のアリスは、本当は、挿絵のような金髪の少女ではなくて、黒髪のおかっぱの少女だったようです。

今回、読み返してみると、どうやら名前がリデルみたいですねぇ。関係ないのかな?
でも、LIddellは、リデルとも、リドルとも訳されています。
だから、もしかするとリデルのイメージは、これもまた別世界の物語である「鏡の国のアリス」のアリスのイメージがあったのかもしれません。

すると、ヒューとリデルの関係は、ドジスン教授とアリスの関係とダブるのか?
ドジスン教授は30歳のときに、当時13歳だったアリスにプロポーズしたという伝説が、まことしやかに語られています。

では、ヒューも、リデルに恋をしていたのか?

ヒューは30歳ではないし、リデルも夢の中で13歳よりは、もう少し娘らしく成長しています。

また、ヒュー自身が語っているように、彼は人に傾倒する人間ではありません。
思いは、家の方に向いている?

どうしても、あの家にたどりつかなけばならないと思ったのは、リデルが、助けを求めたから。
そして、多分なのですが、彼は助けを求められたら、それが誰であれ、その助けが彼に向けられたものである限り、行かなければならないと思うような人物なのではないでしょうか?

そう考えると、それは、やっぱり簡単に恋愛感情とか、そういうものでは語れないようです。

もっとも、実は、ドジスン教授がアリスにプロポーズしたという話は、いろいろな真面目な研究の結果、今では、デタラメであるということが、わかっています。
でも、世間に一度流布したウワサというのは、なかなか、消せないものです。

内田善美は、なんとなくそんな話すら知っていて、リデルの名前を使った様な気もします。
なによりも、「鏡の国のアリス」というのは、何とか時間を止めようとする話ですから。

更新雑記

えーと、本当は、3巻分の感想を全部今日書いてしまおうと思っていたのですが、長くなりすぎるのと、けっこう混乱しているところもあるようなので、3回ぐらいにわけて書いていきたいと思います。

平日なので、本当はゲームの話をするところなのですが、今回は、まずこっちから書かせていただきます。