恋におちた悪魔 世界の終わりの魔法使い2
サン・フェアリー・アンとムギの最初の出会いの物語。
どうして、「世界の終わりの魔法使い」が始まったときから、サン・フェアリー・アンは、ムギに対して好意を持っていたのか、その理由がわかるみたいな。
でも、この物語でも、アンがムギのなにに惹かれたのか、とか、ムギがアンのなにに惹かれたのかとか、そういうことはわからない。説明になっていない。もともと、説明なんてできない。
まあそれは、一面の真実ではある。
サン・フェアリー・アンとムギの最初の出会いの物語。
どうして、「世界の終わりの魔法使い」が始まったときから、サン・フェアリー・アンは、ムギに対して好意を持っていたのか、その理由がわかるみたいな。
でも、この物語でも、アンがムギのなにに惹かれたのか、とか、ムギがアンのなにに惹かれたのかとか、そういうことはわからない。説明になっていない。もともと、説明なんてできない。
まあそれは、一面の真実ではある。
多分、たった1つの言葉を伝えるためだけにかかれる物語があるんだと思う。
これが、そういうお話。
彼女こそが、ぼくの奇跡。
でも、待って欲しい。
彼女と出会っただけで、夢のような冒険が始まって、すべてが満たされてしまう。
そんな素敵な彼女。
でも、からっぽの自分は、何も変わっていない。
何も変わらないまま、しあわせになるために必要な彼女なんだから。
出会った瞬間から、ぼくを信じて、ぼくだけを見てくれる。
それはなんて都合のいい。
でも、西島 大介には、
「それは、全部フェイクだよ」
と言ってしまう悪意もある。
そんな都合のいいこと、みんなにおこるわけなくて、残される人間はずっと残される。
「どうでもいいさ」
とつぶやいて。
わたしが真面目に読んだ2冊目の西島 大介です。
1冊目は、「凹村戦争」。
どこかで、この物語は、「ファイブスター物語」の様な壮大なストーリーなのだと読んだ気がします。
でも、物語がここで終わってもいっこうにこまらない。まだ、物語が始まってもいないような感じです。
ここで、「良い」にしろ「悪い」にしろ、評価しちゃいけない気がします。
でも、これで終わりという気もする。
そして、それこそ、作者の思うつぼという気も。
作者の本気度が読めない気がするのは、絵柄にごまかされているからか?
1番、テイストが似ているのは、「最終兵器彼女」だと思った。
まあ、あれは、かなりストレートに悲惨さを表現しようとしていたけれど、「凹村戦争」の場合は、かなりドライだ。
ただ、この世界の「どうしようもなさ」。そして、それでも日常を続けていかなければならない人の強さや、しょうもなさは、同じ。
そそのかす凹瀬戸先生が、素敵だ。