天の覇王2
拳王とサウザーの対決からはじまります。
見事に、物語と物語の間を縫って、ストーリーを作っているなぁと思います。これって、散々、同人誌がしてきたことかもしれませんが。だから、これが、同人誌レベルといわれる理由も、わからないわけではありません。
でも、やっぱり、こういうお話は楽しいのです。
こうやって、世界の空白が色々な物語で埋められていくのを見るのは好きです。
なんか、そういう空白を埋めたい欲望が、どうも、わたしにもあるみたいです。
拳王とサウザーの対決からはじまります。
見事に、物語と物語の間を縫って、ストーリーを作っているなぁと思います。これって、散々、同人誌がしてきたことかもしれませんが。だから、これが、同人誌レベルといわれる理由も、わからないわけではありません。
でも、やっぱり、こういうお話は楽しいのです。
こうやって、世界の空白が色々な物語で埋められていくのを見るのは好きです。
なんか、そういう空白を埋めたい欲望が、どうも、わたしにもあるみたいです。
「プロローグ」を読んで、しばらく日を置いて。
一章を読み出したら、毎日一章ずつ。
でも、6日目だけは、止まらずに一気に「エピローグ」まで。
あぁ、十数年前も、確かこんな読み方で、この物語を読んだなぁと。
ジュブナイル小説は、眉村卓の学園SFシリーズとか、筒井康隆の「時をかける少女」なんかを読んでいたのですが、あのあたりは、どっちかというと、大人が書いた子ども向きの小説みたいな感じがありました。
「星虫」は、そんななかで、なんというか、大人ではない人が書いた「切実さ」みたいなものがあったのが、印象に残っていました。
だから、ものすごくおもしろかった覚えがあります。
今、こうやって読んでみても、おもしろさはやっぱり変わっていません。
ただ、自分のなかの「切実さ」は、確実に年とともに減ってきている気がします。
そして、この物語のいろんな荒さも、ちょっとみえる気がします。
例えば、友美と秋緒の関係。いつの間に、秋緒は、あんなに友美のことを認めたんだというところとか…。
それでも、充分におもしろく、ストーリーを知っているにもかかわらず、ドキドキしました。
あの時代の自分の感受性は、やっぱり、今より敏感だったようです。
メガネの女の子が、星虫をとってしまって、泣き崩れてしまうシーンがあったのですが、このシーン、星虫が落ちた瞬間に、女の子の視力がガタッと落ちた(元にもどった)という描写があったはずだと記憶していたのですが、まったくの記憶違いでした。
気になって、元の新潮社版の方を見てみても、同じ描写でした。
むかしは、わたしもそういう書いてないところまで想像して、読んでたんだなぁということ、今は、けっこう考えずに、感じずに読んでるところがあるなぁと、よくわかりました。
まあ、だからといって、あの時みたいな読み方に戻れるわけではないんですけどね。
それはそれで、辛いことも多いので、わたしは、今の感性も好きです(笑)
まあ、もっとも、もうすでに1冊持っている本ですから、普通は、これだけでは、購入して読もうとは思わなかったはずです。
買ったのは、「イーシャの船」が、続けて刊行されたからです。
「星虫」は、「おもしろい」。だけど、「イーシャの船」は、「好き」なのです。
ケンシロウも、拳志郎も、ちゃんと北斗神拳を伝承させるつもりがあるんだろうか……。
一子相伝といいつつ、けっこう、傍流の人たちが伝承させている気がする北斗神拳であったという。
あれ、リュウケンと拳志郎の関係って、なんだっけ?
おいとおじさんだったかな。
あぁ、これは好きです。
「裏庭」で気になっていた、「あちら側の世界」がないというのも大きいのですが。
なんとなく読みながら、コエーリョの「アルケミスト」を思い出しました。
そう、「賢者」には、こんな風に、生活に根付いたところにいて欲しいものです。
実は、ここにかかれている不思議というのは、全然、不思議ではないのかもしれません。
おばあちゃんぐらい先が見通せる人なら、あらかじめそうしておくことも可能かと思います。
でも、そうだとしても、やっぱり「不思議」は残ります。
そういった不思議をいっぱい積み重ねて、今のわたしたちがあります。
自分らしい自分を受け入れること。
でも、自分らしいとはいったいどういうことなのかを問い続けること。
自分で、決めること。
最後の1ページ。
次に書かれている文字は、めくる前から、きっと読者にもわかっています。
でも、それを目にした瞬間、ブワッときてしまいました。
「西の魔女が死んだ」の後日譚です。
しかし、潔いほどおばあちゃんの影はでてきません。もちろん、その影響は、空気のように物語の中に、まいに浸透しているのですが。
まいの心が軽くなった分、物語的にも、軽くて明るい色合いが感じられて、このお話好きだなぁと思いました。
ある意味ストーリーがよめちゃう部分もあるのですが、それが、スッキリとはまってとても気持ちいいです。
「裏庭」を読んでいたときの違和感はなかったです。
ということで、もうちょっと、梨木香歩を読み続けてみようと思いました。
「ウィッチブレイド」といえば、わたしにとっては、1999年にメディアワークスから出ていた「ウィッチブレイド日本語版」です。
これは、色っぽいアメコミとして、わたしの印象に残り続けています。
アメコミの女性って、けっこう色っぽそうで、実はコードがけっこうガチガチなので、あんまり色っぽくなかったりします。
でも、この原作コミックの主人公サラ・ペッチーニは、なんというか、すごい色っぽさを感じたのを覚えています。
で、この「丈流」です。
日本の土着的なお話とからめて、けっこういい感じに作ってあります。
ベッチーニは、もともと乱暴者(笑)だったのですか、この話の丈流のように、普段おとなしいのに……という方が、その落差もおもしろいかもしれません。
でも、あのとき感じた「色っぽさ」は?
と聞かれると、けっこう難しかも。
日本のマンガの方が、アメコミよりも直接的な表現は多いのですが、わたしには、アメコミ版の方が勝っているような気がします。
このあたりは、刷り込みなのかもしれませんが……。
「ウィッチブレイド日本語版」の続きは、出ないのかなぁ。
いろいろ展開している今こそ……。
どうよ、ジャイブ。
↑ でも、ジャイブは高いので、本当は、新潮社か、小学館プロダクションから出たらいいなぁと思っています。