ノスフェラスへの道 グイン・サーガ97
実は、マリウスは、けっこう好きです。
ということで、今回は、ちょっと名誉挽回の巻でした。
ただ、あの詩は、あんまりにも解説しすぎで、ちょっとおさえた方がという気がしました。
文庫版「イティハーサ」最終巻です。
黄実花という存在は、お話のなかのアクセントぐらいに思っていたのですが、どうやら、そうではない様です。
那智も、アオヒコも、確かに、黄実花の話をすごく重要視しているんですね。
今回、気がついたのですが、アオヒコと桂のラストシーン。あのとき、セリフに書かれていない言葉。
あのときに、なんて言うべきなのかを教えているのが、黄実花なんです。
そういえば、アオヒコにしろ、一狼太にしろ、トオコにしろ、鷹野にしろ、「救い」を求めているキャラクターのなかで、黄実花は、あんまりその部分に必要を感じていないんですよね。(まあ、キョウジも、あんまり救いの必要を感じていないかも…)
そういう意味では、とても自然体で、ニュートラルなキャラクターとして、設定されているのかもしれません。
そういえば、亜神、威神(そして、目に見えぬ神々)の間で揺れ動くキャラクターたちのなかで、黄実花のみが、どの神にも属していないのでは?
「この物語は、ファンタジーではなくて、SFとして完結しなければならない」
みたいなことを確か水樹和佳子がインタビューで言っていたのを見た気がします。
そのときは、そのSFの意味、こだわりがわからなかったのですが、人の心の動きという物語のなかに、もう1つ、大きな物語があるんだよという意味だったのかなぁ…というか、これは、水樹版「百億の昼と千億の夜」だとい宣言だったのかなぁと思います。
うーむ。
1つの物語が終わった。感慨深いものがありますね。
ところで、わたしの持っている本ですが、初版で、誤植があります。
それも、1番最初の口絵のページに(笑)
「第4部 目に見える神々」
………。
見えるんかい!!
新しい版は、修正されているようでした。
昔、読んだときは、単純な物語しか理解していなくて、鷹野の桂に対する思いとかは、全然理解していなかったなぁと思います。
弟ではなくて、並んで立つ者になりたかったんだとやっと気づきました。
そして、その想いの元は、ずっと前に見た桂の後ろ姿からきていて、本当に、シーンに1つも無駄がないマンガだったのだと思い知らされます。
そういえば、なんで、こんなに執着しあいながら、最後に結ばれるのが、鷹野とトウコではなくて、ヤチオウとトウコであったりするのかがとかいうのは、やっぱり、ずっと理解できなくて、理解できなかった故に、ずっと、心の中にトゲとして刺さっていたのでした。
今回、読み返してみて、「イティハーサ」は、水樹版「百億の昼と千億の夜」なんだなぁと、そういう読み方をしてはじめて、スーッと理解が通ったところがたくさんあります。