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魔法使いハウルと火の悪魔 ハウルの動く城

けっこうおもしろいので、修羅場にもかかわらず読み切ってしまいました。

映画のストーリーの方がいい部分もありますし、やっぱり本は、語り尽くされているので欲求不満は残らないよなぁと思う部分もあります。

映画の方が優れているなぁと思うのは、やっぱり、あの出合いのシーンですねぇ。本の方は、けっこう抑えられていて、いつ、ソフィーが恋したのか、けっこうわかりづらい。

それから、荒れ地の魔女との決戦は、「お願い」で収束しちゃう映画の方に、クラクラきてしまったので。
もっとも、荒れ地の魔女のかき方じたいが、かなり全然違っているので、このあたりは、比べたらダメかもしれませんが。

うーん。ティーンエージャー向けの本か。たしかに、それよりも年齢が低い子どもが読んでもおもしろくないかも。
ソフィーは、なんか、ずーっと、怒りっばなしだしな。
なんで、怒っているのかということが、ちゃんと自分を振り返って理解できるような年齢でないと、絶対に、おもしろくないと思います。
読み解くには、コンプレックスが必要です。

そう言えば、「戦争」も、物語の中では、語られなかった要素ですね。というか、もっと、ファンタジーよりの世界で、でも、こっちの世界と地続きだというのが、けっこう以外で、でも、ものすごく納得できました。

カルシファーの性格というか、雰囲気は、映画も原作も、かわってないですねぇ。

映画では語られなかった、ソフィーの魔法も、けっこう重要なファクターになっていました。

映画見て、あの動く城のイメージを持って読んでます。実は、「動く城」は、本では「空中の城」とか呼ばれているので、きっと、浮いているんでしょうけどね。

けっこう、オススメです。

おもちゃ日記,くさつ店OPEN1周年記念講演-岩城敏之-おもちゃ,ゆうもあ,クーゲルバーン,メルヘン,メルヘンカルテット,子ども,映画

講演は、すごい状態のなかで行われました。
子どもは、いろいろおもちゃで遊んだり、なんか、ステージの上にのぼったりしています(笑)

第1部は、「発達にあわせたおもちゃについて」というお話でした。

「わたしねぇ、おもちゃ屋さんで生まれたんですよ。」

という軽快な滑り出しは、もちろん、岩城さんの著書を読んでいる人には、きっとお馴染みです。
でも、いい話って、何回聞いても、何回読んでも、楽しんですよね。本物だ。

他の子どもたちから、羨ましがられながらも、おもちゃ屋である親からは、

そんなもので、いつまででも遊んでいるな!」

と言われ続けた子ども時代のお話からはじまって、絵本との出合い。
そして、絵本と同じように大人が真剣に子どもと向き合って作ったおもちゃがあるはずと探し当てたヨーロッパのおもちゃとの出合い。
そんな、いろいろな話が、ユーモアたっぷり、おもしろおかしく話されていきます。

「はじめ見た時ねぇ、わたしビックリしました。これ、ただ単に、ハンマーでこの杭を叩くだけなんですよ。
それで、たたき終わったらね、ひっくりがえすんですって。
そうすると、永遠に遊べるっていうんですよ!
わたし、これ見たとき思いましたね。こんなん、2回もやったら、終わりやん。買ってきて10分で飽きられてしまう。
おもちゃ屋として、せめて、もうちょっと、遊べるおもちゃじゃないといけないですよねぇ」

とは、ハンマートーイのこと。
では、このおもちゃを見た瞬間、

「お兄ちゃん、これ買って!」

と惚れ込んでいたわたしの妹っていったい……。

「これ、見てください。上から玉を落とせば、坂にそって玉が落ちていって、最後に音が鳴るだけ。
こんなん、大人が、ずっとしていたらコワイですよ!」

これは、クーゲルバーンのことです。
そして、横から肘でつっつかれて、

「りんさん、そんな大人はコワイらしいですよ~」

とつっこまれているわたしっていったい……。

「でもですねぇ、これらのおもちゃって、ヨーロッパの基本的なおもちゃなんだそうです。
基本的なということは、ずっと、遊ばれ続けている、与え続けられているおもちゃということなんですよ。
わたしは、この基本的なおもちゃということが気になったんです。
それで、実際に、子どもたちにこのおもちゃで遊ばせてみたんです」

そうすると、子どもたちは、実に飽きずに、楽しそうに、これらのおもちゃで遊んだのだそうです。

そう。わたしたち兄妹は、子どものようなピュアのハートの持ち主なのだよ(爆)

子どもたちの発達段階のなかで、なにかを叩きたい時期というのは、必ずあるのだそうです。そんな時期に、家中のものを叩いてまわるわけにはいかない。
でも、子どもたちがなにかを叩きたいという気持ちは、実は、人間の成長にとって実は意味があるものではないか?その時期の子どもたちは、叩かなければならないのではないか?
「ハンマートーイ」は、そういう思想から生まれてきたようです。

また、「クーゲルバーン」は、このサイトでも何回も紹介していますが、子どもたち、本当に飽きずに何回も、何回も、やります。
それには、こんな説明をされていました。

この時期の子どもたちは、自分がなんでも出来ると思っている。だから、いろいろなことをやりたがる。でも、実際にやってみると、出来ないことも多い。
そんなときに、確実に同じ動きをするクーゲルバーンの様なおもちゃを子どもが遊ぶことによって、子どもは、自信と精神の安定を取り戻すのだそうです。
これは、電気で動くおもちゃのように自動で動くものではなくて、やっぱり、自分が操作した結果、確実に動いていくということが大切なようです。

わたしたちは、もしかして、未発達で、精神が安定していませんか?否定はしないですけどね……。

これは、岩城さんの話ではなくて、何かで聞いた話なのですが、日本のおもちゃの寿命は、3~6か月しかないものがほとんどなのだそうです。
そうしたなかで、どうしても売れるものは、子どもの欲しがるもの。つまり、動いたり、音が出たり、色が派手であったり、今まで見たことがあるキャラクターものということになります。

ただ、そうやって、「選ばれること」だけを念頭において作られたおもちゃは、「遊ばれる」ことが少しないがしろにされているようです。
おもちゃ自身が勝手に動いて、子どもを遊ばせてはくれるのですが、子どもがおもちゃで遊ぶ余地がとても少ない。だって、動いている電車は、手に触れられることを拒絶しています。

それは、テレビなどのメディアにも言えることだと思います。
たしかに、宮崎駿の映画は素晴らしいかもしれません。たしかに、良質な番組は、あるのかもしれません。
でも、たとえ良質なものであったとしても、やっぱりそれは、自分からかかわっていける種類のものではないのです。

というのは、岩城さんの受け売りかも(笑)

まあでも、「トトロ」を10回1人で見るよりも、保護者と一緒に森を散歩する方が、きっと、子どもにとって幸せになれることなんだと思います。

おもちゃは、大人が選んで子どもたちに与えていくというのは、とても大切だと思います。
ただ、わたしたちの世代って、やっぱり自分たちがジャンクなおもちゃで育ってきたので、おもちゃ見る目も、あんましないのかなぁという気がします。
自分を振り返っても、キャラクターものとか好きですからね。

そうそう、最初に遊んだ「メルヘンカルテット」にも、ちゃんと意味がありました。
それは、子どもたちがどうすれば、他の子どもたちと仲良くできるのかというお話でした。

子どもが(というか人間が)、他の人と仲良くするには、「イメージの共有」と「ルールの共有」の2つが大切だという話でした。

ルールの1番簡単なものは、順番。
小さい子には、これが理解できない。

「ぼく、ぼく、ぼく……」

で、他の人がやろうとすると、パニックになっちゃいます。
1番最初に理解できる順番は、

「お母さん、ぼく、お父さん、ぼく、お母さん、ぼく、お父さん、ぼく……」

なんだそうです。
つまり、絶対すぐに自分がまわってくる。

なるほど、小さいことゲームするときは、2人でする方が子どもが落ち着く気がしたのは、発達段階だったんですねぇ。

それがやがて、

「ぼく、お母さん、お父さん、ぼく、お母さん、お父さん……」

と、ちゃんと順番が守れるようになってくる。

何人までで上手に遊べるかという目安は、だいたい年齢と同じ人数までなんだそうです。
1歳で、1人。2歳で、2人。3歳で、3人。4歳で、4人。

こういうのは、これからの「ゆうもあ」の活動に、けっこう役立つかもしれませんねぇ。

さて、こうやって、大人たちが、岩城さんのお話に引き込まれている間も、子どもたちの方は、会場をところせましと動き回っています。

ステージに上がって、マイクのプラグを抜いたり……、岩城さんのしゃべっている演台の周りをグルグルまわったり。
そして、それがいちいち、岩城さんの話を証明するという……まあ、岩城さんが、その動きに会わせて、臨機応変に話されていたということもありますが……。

すごい。

そのあと、子育て相談なんかもあって、いよいよ、第2部の「つみきあそび」です。

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ハウルの動く城

修羅場の中、突然思い立って「ハウルの動く城」を見に行きました。

今まで、映画館で見た宮崎映画は、「ラピュタ」と「もののけ姫」。
「ラピュタ」は、今ひとつ、爽快感がたりない映画でしたし、「もののけ姫」は、情念がこもっていて好きなのですが、どっちかというと「ビョーキ」に傾きすぎている失敗作だと思っています。
「紅の豚」は、「ビョーキ」に傾きすぎているけれど、成功した作品かな。

実は、傑作だといわれている「魔女の宅急便」、「となりのトトロ」、「千と千尋の神隠し」なんかは、まだ、まともに通してみたことがないという……。

ということで、わたしが見に行こうと思ったこの宮崎映画は、実は、失敗作かも……。
てな心配をしながらみにいっていたのですが、なかなか、軽快な楽しめる映画で、よかったです。

ただ、「なんで?」という部分もたくさん残ったのは、確かですね。

たとえば、主人公の少女ソフィは、荒れ地の魔女の呪いによって90歳の老婆に姿を変えられてしまいます。
で、いきなりとった行動が、「家出」。
なんで?

なんとなく、姉妹や母親との関係のなかで、あんまり助けをもとめられないような状態であるようなのは、なんとなくわかるのですが……。
でも、説明不足だ~。

そういえば、家出したときに、あんなに魔法使いを嫌っていたのに、なんで、カブが連れてきたハウルの動く城に、入る気になったのかというのも、けっこう不思議です。

カブにしても、誰に、なんで、あんな呪いをかけられていたのか?
というのは、なんにもフォローなし。

そういえば、マリクルが何者かということも、わかりませんでしたねぇ。

ハウルは、戦争をしている飛行船に突っかかっていくのですが、なんで、彼が自分の身を削ってまであんなことをしているかも、わかりません。

あと、ハウルが女の子の心臓をとるとかいう噂も、結局なんだったんだろう?

このあたりは、きっと原作を読んだらわかるのかなぁ。
すごく、うまくまとめられていると感じる反面、そういう部分で、ストーリーは、水のようにサラサラと流れていくのですが、そういった深い部分での感動というのは、ちょっと薄味な作品になっています。

でも、ですねぇ、瞬間瞬間の説得力というのは、さすがに宮崎アニメです。
はっきりいって「未来少年コナン」の時から変わらない画面の作り方や、作画で、演出していく手法です。

まずは、ハウルとソフィーの邂逅シーン。
うぉ。ハウル、王子さまのようだ。いっぺんに、恋におちるソフィー。このあたりの見せ方は、ほんとにうまいですよね。
木村拓哉の声も、なかなか、かっこよくて、あっていてビックリ。

90歳になってしまったソフィは、これから、体力的に斜陽に入っていく大人にとっては、滑稽に見えるよりも、多分、痛々しく感じるほどです。

そして、ハウルの動く城。本当に、よく動きます。このあたりは、宮沢アニメのイメージの勝利なのだと思います。
多分、原作を読んでも(まだ、わたしは読んでないので断定できないのですが)、あんな映画のような動きの城を考える人は、ほとんどいないような城をつくっちゃったんではないかと思います。

いろいろな場所に続く扉を、ソフィーがおもしろがって開けてみるシーンなんかも、あぁ、あの中には少女の好奇心が生きているのだなぁと思えて、楽しかったです。

城のひっこしの場面は、大好きなシーンで、また、見てみたいなぁと思ったシーンでした。

そして、ソフィーの姿ですが、90歳……と、安心していたら、大間違い。
なんと、シーン、シーンによって、顔が違う。そう、70歳ぐらいにも、40歳ぐらいにも、17歳ぐらいにも見えるのです。
それをめちゃくちゃさりげなくやっているまさに、演出マジック。
わたしは、引っ越しのあとの場面からしか、もとの姿と90歳の姿の他に、いろいろな姿があるということは、気づきませんでした。

そうですね。
ストーリーを追いかけていくというよりも、いいシーンがいっぱいあった映画だと思います。

マダム・サリマンと対決するペンドラゴ婦人。
「お母様、あなた、恋されていますね?」

「ソフィーは、キレイだよ!」
怒ったようにいうハウルの声。

今までは、この手の戦艦みたいなのがでてくるアニメなら、正しく先頭シーンでカタルシスを感じさせるのですが、今回は、そこではないところに収束していきます。

すごいなぁと思ったのは、荒れ地の魔女から、ハウルの心臓を取り返すシーンです。
以下ネタバレありです。

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発売日 : 2012-03-10

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デビルマン

ということで、でこねぇさんも見たという(笑)「デビルマン」をわたしも、見てきました。

そういえば、永井 豪の原作映画では、「キューティハニー」が、ちょっと前にありました。
あれは、けっこう予告編の

「愛の戦士、キューティハニーさ!」

っていう決めぜりふが、かっこよくて、ちょっと見に行きたかった映画でした。

あのときは、見たい映画がいくつかあって、妹が「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を選んだんですね。そして、その後、「セラ」を買ったという……。
1人で映画を見に行けない人なので、一緒に行く人のいいなり(笑)まあ、全部見るわけにもいかないし、取り立ててどれという執着もないので、全然、気にしない。
まあ、多分、1人ならどれも行かないという選択肢になりますから。

で、今回は、「デビルマン」。
これは、原作の洗礼を受けているわたしたちの世代は、見に行かないわけにはいきません。
本当に、今見る、少年マンガのいろんなところに、わたしたちは「デビルマン」を見つけます。

ということで、期待もあり、でも、実写だしなぁという不安もありで、見に行きました。

見てきた結論から書くと、

「うーむ。やっぱり、難しいよなぁ…」

ということで、ツッコミどころ満載でした(笑)

「オレの親友の飛鳥 了は、小さなときから変なヤツだった…」

飛鳥 了ですが、今は、金髪にそめているのですが、子ども時代はなぜか、白髪なんですよ。
なんというか、苦労したんだねぇ(笑)

そして、彼は、高校にオープンカーで通ういかしたヤツです(笑)
そらもう、デーモンの危機に気づく前から。
えーと、サタンらしく、車のナンバーが、「3」だった(3からはじまってただったかな?)と、一緒に見ていた子が後から教えてくれましたが、本当だろうか?

「3」……。サンタ?

明くんの日常牧村家は、明くんの誕生日のシーンから、牧村パパと牧村ママの顔は、原作そっくし(笑)
美樹ちゃんが、明くんのためのお料理を作っています……牧村家では、お料理作るときは、あんなでっかいコックさんの帽子をかぶりますか?
コ、コスプレ好き?

明くんが、なんで、人間を捨ててまで戦うのかというと、この美樹ちゃんの存在がでかいわけですね。
でも、映画の美樹ちゃんは、うーむ、不思議なキャラクターでした(笑)
正義感みたいなのは強そうなのだが、今ひとつ、それが表現できていない…。
明くんへの想いや、明くんの美樹ちゃんへの想いも、???

だって、デーモンに合体されたクラスメイト、ミーコの家をのぞいた後、教会へ。
そこで祈ったことが、

「いつかこの教会で、明くんと結婚が出来ますように…」

オイオイ!
これは明らかに、演出の順番の配置ミスのような気もしますが……。

飛鳥了ですが、キレるこわいヤツです。
わたし的には、クールなイメージがあるのですが、短い時間のなかで、明くんへの執着を見せるとしたら、それもありかなぁ。

でも、いきなりなんの説明もなしに、サンタだからなぁ。しかも、サタンが両性具有だという話がどこにもないので、なんか、2人の関係が……。変な感じ。

ちなみに、飛鳥 了も、コスプレ好きです。あるときは、警察官の格好をして、そして、またあるときは、神父の格好をして……あんまり、意味があるとは思えんが……。

映画を作っている人のなかで、前半のデーモンを憎み恐れている飛鳥 了と、後半の人間を憎んでいる飛鳥 了との区別かついていない感じで、好き放題、やっています。

できたら、サタンの計画は、計算づくのものであって欲しかったのですが、なんか、

「驚いたことに、人間同士が殺し合いをしはじめたのさ!」

って、オイ、驚くなよ。

そんななかで、けっこうオリジナルっぽかった、ススムくんとミーコの話の部分は、見れました。
なんか、明くんと美樹ちゃんよりも、こっちの方が、心情が迫ってくるという…。

ショッキングなあの「魔女狩り」のシーンも再現されているのですが、なんか、美樹ちゃんの心の動きが違う……。変だ。

よく考えると、あれ、原作では、両親が捕まっていて、牧村家には美樹ちゃんとタレちゃんと不良さんたちしかいない状態で起こっているんですね。
だから、親に守ってもらうという状況ではなくて、タレちゃんを美樹ちゃん自身が守らなければならない。
だからこそ、あそこで、

「わたしは、魔女だ!」

と決意するわけです。
それは、偏見に対する戦いというだけではなくて、やっぱり、自分よりも弱いものをいわれない暴力から守ろうとする戦いで……。
という美樹ちゃんらしさが出ていたのですが、それが、今回はなかったなぁ。

デーモン同士の戦いのシーンは、すっごく、良かったです。
というか、あのデビルマンのデザインの勝利というのは、すごくあったと思います。

まあ、サタンに胸がなかったり、シレーヌがブラしてたりという問題はあったにしろ(笑)

動きはというと……。まあでも、最初の明くんに合体してくるデーモンのイメージとか、そういうのは、すごくいいです。

ただし、シレーヌ戦は途中で終わっちゃうし、ジンメンはパンチ一発でやられちゃうし……。
そこが見せ場という感じではないんですねぇ。
シレーヌ戦は、もっと魅せても良かったと思うのですが……お金の問題かなぁ。

ジンメンなんて、トラウマになるほどこわい話じゃないですか?せっかく、青春ドラマまでして引っぱったウシくん(?)というキャラクターを、あそこまであっさり捨てていいのか?

もう1こ、つっこむと、デーモンとデビルマンの違いが、あんまり明確ではないんですね。
というか、原作を読んでいるのが前提なのかなぁ……。

デーモン軍団、デビルマン軍団の激突というのもなくて、最後は、サタンとデビルマンの一騎打ち。

パンチ1発で、火の玉になっていく地球……。
あぁ、そういえば、なんか、デーモンで作ったビルみたいなのが建ってたか?
2人で、世界を創造、破壊していくみたいなイメージなのかな?

そして、静寂のラストシーンに入るのですが……。

「死ぬな明!お前は、デビルマンなんだろう!」

叫ぶ(いや、叫んではなかったか?)、飛鳥了……。いや、お前がやったんやん!

そうです。なぜか、ラストシーン、この人は、飛鳥了に戻っているんです。なんか、スーツ着てるし。

うむ。ストーリーを見に行く映画ではないですね。

でも、退屈で死ぬ~というと、そんなことはなくて、けっこう、笑いどころも満載です。

えーと、教会には神父さんがいて、1人めっちゃくち意味ありげに出てくる存在感のある人がいるのですが、別にストーリーに絡んできませんでした。
永井 豪、その人だ(笑)

それから、普段はおしゃれな今時の青年明くんですが、牧村家でくつろぐときは、ファッションには気を遣ってないようです。
黄色のTシャツには、「A」の文字が……そう、原作、テレビシリーズと、ずっと明くんが着ていたあのTシャツです(爆笑)

「デビルマン」が、これで終わるわけがない。
きっと、何年か後、また復活することと思います。

それまでは……

「今日もどこかで デビルマン
今日もどこかで デビルマーーーン」

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デーモン聖典4

Aユニットの話なんかをみてると、このお話も「デビルマン」のように展開していくのかという期待が……。

多分、その期待は間違いだろう……。

「デビルマン」の映画にも、ちょっと期待しているわたしでした。