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タブラの人狼

夕食を食べた後、岡山現代玩具博物館の方々も、『ゆうもあ』の一行の泊まっている宿泊施設の方に遊びにこられて、いっそうにぎやかになりました。

たくさん人が集まれば、滅多に遊べないあのゲーム「タブラの狼」です。これは、「汝は人狼なりや?」という名前でも有名です。

このゲームは、人を疑うことを楽しむゲームなのです。
だから、教育上ちょっとなぁとも思ったりしたのですが、何回かやってみてわかったのは、

「人が人を疑うとき、けっこう根拠なしで思いこめてしまう」

ということです。
で、そういうことが客観的にわかるこのゲームというのは、実は、教育的にはとてもすぐれているんじゃないかと思ったりもしています。

えーと、つまりですねぇ。実際に、実生活で人を疑うような状況になったときに、このゲームをしていると、自分がゲームと同じようになんの根拠もないのに「なんとなく」人を疑っているときがあるというのが、わかるようになると思います。

でも、ゲームでそういう状態を経験していない人は、

「わたしの感覚は、絶対に正しい(根拠はないけど)」

と思いやすい気がします。
本当かといわれると、なかなか、証明は難しいのですが。

前に、「ことしのぼたん」で、考えたのと同じように、表面的な表現だけを拒否して、どうしても、大切なことを忘れてしまっているような気がします。

えーと、今回は、めちゃくちゃ女性比率の高い「人狼」でした。

オオカミ2人組のうち1人は、女の子の小学生オオカミでした。
これは、なんとこの子のお父さんが誘導して、退治していました。お父さんは、やっぱり、娘のあやしいところを感じられるのでしょうか?どっちかというと、つっつきやすいところをつっついただけかも(笑)

で、もう1人の人狼に、次々に犠牲になっていく村人たち。
わたしも、中盤ぐらいに、リンチにかけられて脱落してしまいました。

生き残ったのは、3人の女性たち。
このうち1人が人狼。

最後の昼。
ここで、人狼を退治できれば、人間たちの勝利。
でも、退治できなければ、その夜には、人狼が、勝利の雄叫びをあげます。

1人ずつ、最後の一言を。

「わたしは、村人ですよ」

この人は、過去、村を滅ぼしたことがある人狼でした。まさか、連続でそんな……。

「わたしも、村人ですよ」

この人は、小学生少女人狼のお母さんです。まさか、人狼というのは、遺伝なのか……。

そして、最後に弁明するのは、現代玩具博物館のスタッフの人です。

「わたしは、まだ27歳なんです」

……なんか、おもしろいこと言おうとしています(笑)

「わたしは、まだ若いんです。だから、殺さないでください!!」

その時、あとの2人の顔に、ピキッと微笑みが凍りついたように思ったのは、わたしの気のせいでしょうか?

そう。多分、その瞬間、「だれが人狼であるか?」という以上の重要さでもって、2人の女性が、結束したのです。
消える人は、決まりました。
現代玩具博物館のスタッフの方です。

そして、結果は……。

その夜。
もうなにも隠す必要のなくなった人狼は、最後の犠牲者に食らいついたのでした……。

人狼は、あの以前も村を滅ぼした女性でした。

伝説がまた……。

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チキン・メモリー

これは、近所で一緒によく遊んでいる小学2年生の子が、

「あたしのうちにも、ゲームあるんだよ」

と持ってきてくれたものでした。1
この子は、カードゲームの「ピノキオ」とか、「リトルゲーム・ニャーニャー」とかも持っていて、宇治や草津のぱふにも、家族でいったりしているらしいです。
うーむ。英才教育をうけてますな。(^_^;)\(・_・) どんなだ?

わたしは、この子は「あ・そ・ぼ」の影響で、ゲーム好きになったのかなぁと思っていました。
いやぁ、マズいなぁ。わたしの影響で、新しいおもちゃを買ってとか保護者にねだっていたとしたら、保護者の理解がなければ、文句言われるかもしれないとか思っていたわけです。
でも、実は、元々ご家族にそういう文化があったようですね。
それで、「あ・そ・ぼ」に出会って、周りの子たちがそういうゲームをするようになってきて、しばらく遊んでいなかったゲームをまた遊びはじめたみたいです。
そういうご家族が、実は近くにけっこうおられるということは、心強いことです。

ニワトリの記憶ゲームということで、けっこう、「ぱふ」など木のおもちゃ屋さんには、問い合わせがあるそうです。
最近、再販されたという話で、けっこう入手しやすいそうです。
わたしは、ちょっと売られているところを見たことないですが、ぱふ・阿倍野店などにあったという情報をいただきました。

蛇足ですが、最近は、ニワトリの記憶ゲームということで、「にわとりのしっぽ」も、けっこう問い合わせがあるらしいです。こっちは、木のおもちゃ屋さんではなぜかあつかっておられないんですよねぇ。けっこうふさわしいゲームだと思うのですが……。

円いニワトリの巣をかたち取ったタイルと、スタンドに立てたニワトリを使って遊びます。

タイルをバラバラに、場にならべます。
タイルには、巣が描いてあるのですが、ヒヨコのいる巣となんにもいない巣があります。ヒヨコのいる巣の上に、ニワトリを立てていきます。ニワトリのスタンドが、ちょうどヒヨコの描かれている上にのっかって、上手にヒヨコが隠れるようになっています。

手番のプレーヤーは、ニワトリを1ぴきつかまえて、空の巣に移し替えます。ニワトリを動かしたとき、巣の中にヒヨコがいたら、その巣をもらうことができます。

最初は、簡単です。だって、全てのニワトリの下にヒヨコがいるはずですから。でも、遊んでいるうちに、動かしたニワトリがどれかわからなくなってきてしまいます。

こうやっていって、ニワトリと場にある巣の数が同数になったら、ゲーム終了です。
手元に取ったタイルのヒヨコの数を数えて、多い人が勝ちます。たしか、ヒヨコは、1ぴきだけしかいない巣と、2ひきぐらいいるラッキーな巣があったような気がします。
勝った人は、チップがもらえます。

これを何回戦か続けていって、1番チップをたくさん集めた人が、勝ちです。

さて、実際にゲームをしたのですが、実はこの2年生とは、昔、「にわとりのしっぽ」をしたことがあるのを思い出しました。
その時の様子は、実は、「あ・そ・ぼ」にかいております。9月11日の日記です。

この子は、この日記の中の突然暴走しだした子です。

はい、結果がどうなったのか、もうおわかりですね。

記憶力ゲームでは、わたしは、この子に勝てません……。

「2回戦目するとき、イチイチ、ニワトリをおきなおしていたらめんどくさいやろう。
 だから、2回戦目は、ヒヨコのいない巣を見つけたら、もらえることにしたらいいねんで」

なるほど。2ひきヒヨコがいたりするボーナスの部分はなくなってしまいますが、それなら、自分の取ったタイルを場におきなおすだけで、スムーズに、ゲームを始めることができます。
そういう、ファミリールールができるぐらい、お家でやりこんでいるということですね。

うーむ。この子の記憶力のよさというのは、案外とこうやって、ゲームで鍛えられたものなのかもしれないですねぇ。

  1. 「ゆうもあ」では、家に眠っていてやったことのないゲームや、オススメのゲームを持ってきてプレイしていただいてもけっこうです。ただし、ゲームの棚においちゃうと、色々な参加者の方が自由に使ってしまうので、コマがなくなったり、破損したり、劣化したりということがおこりえます。その場合、こちらとしては、責任を持つことができませんので、充分ご注意ください。 []

松井るり子,読書シュタイナー教育,七歳までは夢の中,子ども,学陽書房,教育,松井 るり子

七歳までは夢の中 親だからできる幼児期のシュタイナー教育

なかなか、優しくするのは難しいと感じます。

イジワルする子の寂しさ、不安に想像がいきながら、それでも、その子を叱ってしまうのは、本当は、その子のことを思っているのではなく、周りの目を気にしているからかもしれないとも、思います。

理想への道は遠いですね。
自分の中に、本当にそんな力があるのかと不安になることもあります。

大村祐子,読書「人はなぜ生きるのか」シュタイナー,ほんの木,シュタイナー教育,シュタイナー教育に学ぶ通信講座,教育

「人はなぜ生きるのか」シュタイナー教育が目指すもの シュタイナー教育に学ぶ通信講座6

シュタイナーの哲学や、思想なんかを眺めて、神秘的な部分は、かなり「アヤシい」と思うのですが、不思議なことに、人に対する洞察などは、「その通り」とコトリコトリと腑に落ちるというか、共感できます。

シュタイナー教育に学ぶ通信講座(6)

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「子どもの暴力」をシュタイナー教育から考える シュタイナー教育に学ぶ通信講座5

とりあえず、子どもと接する機会が多い大人は、優しい気持ちになれる本や、物語をいっぱい吸収しておく必要があると思います。

浅い読み方ですが、わたしのシュタイナー教育のとらえ方は、そんな感じです。

それでも、実際に目の前にある暴力を、優しい気持ちでなんとかできるのかどうかというのは、わからない。
ただ、自分がそれに巻き込まれて、激高するのは防げるか?

でも、そうして感情を抑えることが本当に正しいかと聞かれると、それもわからないというのが、正直なところです。

シュタイナー教育に学ぶ通信講座(5)

大村 祐子 / ほんの木(2000/02)