イティハーサ4
言葉を口にすることの重さと大切さがあります。
言葉は、大好きな人への呼びかけであったり、自分の想いであったり。
言葉のもつ意味は、思われて、口に出されて、音になって、少しずつその力を強めていきます。
だから、口から出る言葉は、出来る限り「いい言葉」であってほしいと思います。
難しい世の中なので、そういうわけにはいかないのですが。
それが、どんなに実現不可能そうにみえても、万感の思いをこめて、
「大丈夫だよ」
と。
おもしろいです。
もちろん、物語もなのですが……。
きのう、「ぼくを探しに」のカケラの話をかいて、今日、この本をよむというのが……。
ここでも、カケラの話がありました。
青比古という登場人物がいて、この人は、とても穏やかな人なのですが、ひとつの疑問にとりつかれている。
それは、簡単にいうと、
「人はどこから来て、どこへ行くのか?」
みたいな問いなのですが、もうその問いに囚われちゃっているんです。
だからといって、その問いに囚われて他人との交流を絶っているかというとそんなことはなくて、その問い故に、世界に対して自分をオープンにしてしまっています。
その彼が、
「おれの魂は、人としての何かが欠けているのだ」
というんです。
彼を理解している那智が、それを聞いて、
「おまえはこの美しい天地と調和できる唯一のヒトかもしれぬ。
その欠けている魂ゆえに…」
というようなことを考えるわけです。
ここでは、欠けていることは、青比古の原動力としてかかれています。
なんか、こういうタイミングって、あるもんだなぁと思います。
この時点で、亜神が古き神の跡を継ぐよき神々で、威神がそれに対立する悪しき神々。
そして、その2つの神々の下にいる人間たちも、同じように、威神のところには、悪役がいる……。
そんな風に見えるようにかきながら、作者の目は、しっかりと遠くを見ていたんですねぇ。
すべてを受け入れて、肯定し、許す神。その姿からは、決してそうとはうかがいしれないけれど。
そう。「百億の昼と千億の夜」で阿修羅王が必死な思いで守ったあの世界は、56億7千万年の後に滅びてしまったのですが、もしかすると、この世界は……。
あの思想に負けずに、生き延びていくのかもしれない。
それが、誰にも支配されない「神名を持つ國」の意味というか、存在理由なのかもしれません。
再読です。
こうやって、時間をおいてから読むと以前は理解できなかったことがよく見えてきます。
たとえば、この話がかなり細部まで作りこまれたうえでかかれたものだということは、もちろん以前も感じていたのだろうけど、こうして物語を知ったうえで読むと「ここまで考えられていたのか」というところがたくさんあります。
たとえば、鷹野の感じているトウコを威神に連れて行かれてしまう不安や、トウコの感じているもう一人の自分に対する不安などは、最初に読んだときは、1人の人間のなかにある二面性みたいなものを示すために出てきているのかなぁと思ったりしていました。
でも、実際に読み進めていくにつれて、実は、それが形をもったものであるということがわかっていきます。
また、桂の弟の話とかも、以前は、出てきたときにはすっかりその伏線を忘れていて(笑)、
「なんで、こいつが桂の弟なんだろう……」
とか思ってましたが、ちゃんと、こんなにも前にフリがあったのですね(笑)
以前は、ファンタジーとして読んでいたのですが、今回こうして改めて読んで見ると、これもまた「百億の昼と千億の夜」みたいな壮大なSFなんだなぁということがよくわかります。
すべてが、あのラストに向かって収束していくようすが、とってもよく見えます。