名作の生まれるところ

竹宮惠子,読書

少年の名はジルベール

おもしろい。
天才が、しのぎを削っている感じがあります。ときには、精神的なダメージを受けながら。

そして、その真ん中に、増田 法恵という人がいる。
ものすごいイメージをもち、まわりに影響を与えながら、完璧主義過ぎて自分では作り出せない人。
多分、「わたしが作った作品は、 竹宮 惠子」と言いたい気持ちもあるのではないかと思う。1そして、ある面から見ればそれは真実。

竹宮 恵子は、表現したいことは渦巻いているけれど混沌としていて、それをどう形にしたらいいかで悩む。未熟でもいいので、ひたすら創造していく。増田の言葉が、そのグツグツした渦巻きに形を与える。

萩尾 望都は、常に揺るがない表現の核があって、それは誰の言葉でも揺るがない。意味があるのは、表現したものだけで、表現されていない物語に、あまり価値を感じない。でも、ものすごい繊細な感受性をもっていて、そのくせ、天才故に嫉妬心や猜疑心がわからない。

そりゃ、名作が生まれるわと思うし、そりゃ、別れていかないと生きていけないわとも思います。
多分、なにも嘘は書いていなく、ある意味、懺悔も入っているのかもと感じながら読みました。

ということで、これは竹宮 惠子サイドからみた、大宮のあの頃。次は、萩尾 望都「一度きりの大泉の話」。
萩尾 望都も、でも、2人のことが好きだったのだと思います。だからこそ、封印までしなければならなかった。

増山さん、2021年の6月にお亡くなりなっていた様ですね。
わたしは、「神の子羊」の続きが読みたかった……いや、読みたいです。

  1. 勝手な、読者の想像ね。 []