きのう、10月29日(日)、京都ゲーム会(仮)に初参加させていただきました。
京都で、こんなゲーム会をされておられるご家族たちがあったとは、知りませんでした。
小学生や、就学前の子どもたち、お母さんたちもおられて、楽しい雰囲気でした。
遊んだゲームは、
「ウボンゴ」
そして、「ゲシェンク」大会に参加。「ゲシェンク」を4回。
「ピクショナリー」
「ブロックス」
「レース・ギャロッホ」
「ハイパーロボット」
「ピクショナリー」
「カタン」
「グラシアス」
などなどでした。
きのう、10月29日(日)、京都ゲーム会(仮)に初参加させていただきました。
京都で、こんなゲーム会をされておられるご家族たちがあったとは、知りませんでした。
小学生や、就学前の子どもたち、お母さんたちもおられて、楽しい雰囲気でした。
遊んだゲームは、
「ウボンゴ」
そして、「ゲシェンク」大会に参加。「ゲシェンク」を4回。
「ピクショナリー」
「ブロックス」
「レース・ギャロッホ」
「ハイパーロボット」
「ピクショナリー」
「カタン」
「グラシアス」
などなどでした。
以前に遊んだ、以下のゲームの評価を書きました。
「ミノタウロスロード」
http://www.gamers-jp.com/playgame/db_comment.php?comm_id=4786
ちょっと、一条ゆかりの「こいきな奴ら」を思い出しました。1977年から1983年までの作品が掲載されています。時代的にも、もしかしたら、一緒なのかも。
中山星香というひとは、かなりしっかりとした「自分のかきたいもの」があって、でも、それはその時代の少女マンガの枠からは、はみ出してしまうものだったようです。
それで、少女マンガという枠組みは崩さないで、そこに少しずつ自分のカラーをいれていくことで、読者や、編集者の枠を広げていったみたいなところがあります。
この本に入っているお話は、そんな時代のお話なのかなぁと思います。
だから、作者にとっては、不本意とはいわないまでも、「かきたいことが全部かけた」とは、微妙に言えないのではないかと思います。
でも、そうしてできた物語が、決して悪いものではなく、多分、その時代にとっては、バランスのいいものにしあがっていると思います。
もちろん、本当の傑作は、自分を解放したときにできるのだと思いますが、こういう試行錯誤の時期というのは、とても大切なのだと思います。