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寺田寅彦 ちくま日本文学全集35

寺田 寅彦といえば、「帝都物語」で、震災後の街を地下に建設しようとしたかわったおっさんという印象しかありません(笑)
その話も、ちゃんとあって大満足。

いろんなことに、

「おもしろい!おもしろい!」

と顔を突っ込んでいく物理学者のお話です。

今につながっていく発想もあるし、今でも新しい発想もあると思います。

解説は、ちょっと辛口ですが、わたしはもうちょっと甘い点数でよいと思います。

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多重化するリアル

昔ほど、香山 リカの言うことが理解できなくなってきたのは、多分、わたしが大人に変わったからだろうと思います。

彼女が扱うサブカルな世界に、以前はどっぷり浸かっていたのに、今は遠い感じです。
追いかけていくのは、やっぱりパワーと時間がいるわ……。

だから、多分、彼女が指摘する問題は、今も本当はリアルにそこに「ある」のだと思います。

感受性が麻痺してきても、「ある」ということだけは忘れないようにしなければ。

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別世界通信

荒俣さんが、楽しそうにファンタジーを語っています。こういうの書かすと、本当にうれしそうだな。
今みたいに、ファンタジーが知られている時代ではなかったので、よけいに、力がはいっているのかもしれません。

新井 素子、江戸川 乱歩、荒俣 宏と、好きな物語のことを語らせたら、いつまでも、語っていそうな感じです。

わたしは、「ウロボロス」もまだ読んでない。
読むべきファンタジーは、いっぱいあります。

大岡昇平,読書ちくま日本文学全集,大岡 昇平,戦争,文学,日本文学,日露戦争物語,筑摩書房

大岡昇平 ちくま日本文学全集34

名前は、聞いたことあるような…。「レイテ戦記」というのは、聞いたことあるような……。
と、存外、文学にくわしくないことを露呈してしまうわたしであった……。

人物評、戦記物、エッセイみたいな感じで並んでいて、1番、たくさんページをさかれているのが、戦記物。「野火」というのと「レイテ戦記」のエピローグです。
で、これが、まるでおもしろくない(爆)
「レイテ戦記」のエピローグなんて、まるで資料の羅列。なんじゃこりゃという感じで、とばし読みをしてしまいました。
例えてみるならば、後半の江川達也の「日露戦争物語」みたいな感じ。

でも、人物評とか、エッセイとかは、けっこうおもしろいです。特に人物評では、「中原中也の思い出」がよかった。

後半の「一寸法師後日譚」は、好きな話です。
ちょっとエッチで、ちょっと怖くて、ちょっとユーモラスです。

「成城だより」(一部)も、おもしろい。
けっこう、最近まで、生きていた人なんだ。しかも、ものすごく、好奇心旺盛にいきていた人なんだということがわかります。

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柳田國男 ちくま日本文学全集33

柳田 國男の名前を知ったのは、きっと大塚 英志経由だと思うので、高校生ぐらいの時かな?多分、大塚 英志のマンガを民俗学的に読み取るという評論のなかだったと思います。

そして、「遠野物語」は、高校の時の読書感想文の課題図書の中にあった。実際にわたしが読書感想文を書いたのは、カフカの「変身」で、他の本は読んでいません。
そして、「遠野物語」と「変身」以外は、題も著者も覚えていないのだから、「遠野物語」は、そのときから、ずっと引っかかっていたのだと思います。

内容は、なんとなく聞き知っていた。なんか、昔話みたいな話らしいと。

大学で、「文化人類学」の講義をうけて、おもしろかった。そこで、日本にもよく似た「民俗学」という学問があると聞いた。その大家が、柳田 國男らしいという話も聞こえてきた。
「民俗学」というものの輪郭が、なんとなく朧気に見えてきた。

「遠野物語」。いつか読んでみたいと、新潮文庫の本も持っていたと思いますが、読む機会がないままウン10年。

今回、やっとこさ、その「遠野物語」と、柳田 國男の作品に触れることが出来ました。

昔話だと思っていました。
違っていました。
ここで語られる遠野のお話は、もっともっと身近なこととして語られていました。

そして、アウトローに生きることすら認めてしまう大きさ。
嘘を笑い飛ばして、生きていく強さ。

そこはかとないユーモア。

「草の名と子供」を最初に読んだとき、いや、草の名は子どもが考えたのではなく、大人が考えたのだろう。昔の人は、今の人以上に草と接している時間があったのだからと、思いました。
それから、フッと自分の間違えと、柳田 國男の正しさに気づきました。
そう、昔の子どもは、大人以上に、ずっとずっと草と接し続けていたのだと。そして、そのまま大人になっていたのだと。

この人の目は、決して優しい目ではないと思う。
でも、なんでも、受け入れてしまう大ききな大きな目です。

そして、今、自分がこの年齢だから感じられることもいっぱい入っていると思います。
出会えて、よかったです。