源氏物語 上 マンガ日本の古典3
「源氏物語」けっこういろいろなやつがあって、読んでます。
どれも、それなりにおもしろいのは、やっぱり原作の強さだと思います。
でも、これは苦しかった。というか、後2巻もあるとか、マジかとおもうレベルでわたしには合わない。
絵のせいか?
話は普通の展開だとは思うのだけれども。
読みながら感じていたのは、やっぱり、上田ひろみシリーズ独特の生臭い感じ。
生臭いというとあんまりな表現ですね。なんというか、この人の他の作品とはちょっと違うリアルな感じといってもいいと思います。
前作の「これは王国のかぎ」は、不思議が物語の真ん中にある話なので、それでも、そんなに感じなかったのですが、今回は、不思議がないということで、よけいにそう思うのかもしれません。
それでも、これは「これは王国のかぎ」の続編であるというところは、すごい。
伝統か革命のどっちを選ぶか、みたいな話で、多分、もっと幼い頃に読んだら、あきらかに有理の肩をもっていたと思います。
ひろみが、伝統の側に自分を置くのは、多分、自分たちが恵まれているからだろうなぁと思います。そして、そのこと自体も理解して、それでも、そっちに自分を置く覚悟を決めている。
有理は、人からなんと言われようと、見られようと、やっぱり自分が欲しいものを手に入れられないという思いがものすごく強いのだろうなぁと思います。
うーん。
ものすごく基本的なプログラミングのお話。まずは、コンピュータを使わずに、プログラミングというのはどういうものかというお話から。
なるほど、こんな切り口があるのかという感じです。
まあ、役に立つかというと微妙です。
ようするに、段取りについて考えろということですね。
段取りの段階を全部スモールステップにして切り出すというのは、大事なんだけれど、なかなか難しいですよねぇ。
でも、そのスモールステップを切り出せるかどうかで、人にものを教えたりするときの効率は明らかに変わってきます。
ただ、それを明文化してしまうと、弊害もあるのもたしか。
1回プログラムが書かかれてしまえば、その部分、部分というのは、交換可能な部品でしかなくなってしまう。
まあ、それは、部品にとっては多分、大変都合が悪い様な気がします。
多分、他人を部品みたいに利用することに抵抗はなくても、自分が部品として扱われることには抵抗があるだろうしね。
頭脳の方は、動きやすい手足があれぱいいので、その手足がどんな部品からできているかは、あんまり気にしないのかもしれないけれど。
でも、プログラムすることすら、プログラムできちゃう未来がくるのかもしれない。
そうすると、頭脳すら、すげ替え可能な部品なのかもしれない。
いや、IT関連の企業の激しい移り変わりを見ると、実はもうそういうことは起こっているのかも。