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教師はサービス業です 学校が変わる「苦情対応術」

まあ、多分、教師の仕事の大半は、苦情対応だと思います。
苦情を上手に伝えられる人もいれば、伝えられない人もいる。
伝えられない人の苦情をどう受け止めて、どう処理しているかが問われる感じかなぁ。

まあ、教師にも感情があるってことは、保護者も子どもも忘れがちです。でも、保護者も子どもも忘れがちであるということは、ある程度教師なら織り込みずみで考えていかないといけないということかも。
常に苦情を聞く側の人間が大人でなければならない。

と、考えるとなんだかなーなのだが、どんな仕事でも、そんなものなのかもしれません。

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教養としてのプログラミング

うーん。
ものすごく基本的なプログラミングのお話。まずは、コンピュータを使わずに、プログラミングというのはどういうものかというお話から。
なるほど、こんな切り口があるのかという感じです。

まあ、役に立つかというと微妙です。
ようするに、段取りについて考えろということですね。

段取りの段階を全部スモールステップにして切り出すというのは、大事なんだけれど、なかなか難しいですよねぇ。
でも、そのスモールステップを切り出せるかどうかで、人にものを教えたりするときの効率は明らかに変わってきます。

ただ、それを明文化してしまうと、弊害もあるのもたしか。
1回プログラムが書かかれてしまえば、その部分、部分というのは、交換可能な部品でしかなくなってしまう。

まあ、それは、部品にとっては多分、大変都合が悪い様な気がします。
多分、他人を部品みたいに利用することに抵抗はなくても、自分が部品として扱われることには抵抗があるだろうしね。

頭脳の方は、動きやすい手足があれぱいいので、その手足がどんな部品からできているかは、あんまり気にしないのかもしれないけれど。

でも、プログラムすることすら、プログラムできちゃう未来がくるのかもしれない。
そうすると、頭脳すら、すげ替え可能な部品なのかもしれない。

いや、IT関連の企業の激しい移り変わりを見ると、実はもうそういうことは起こっているのかも。