宝石の国13
やっと出た最終巻。
最後は、なんかものすごく哲学的な話になったような気がします。
結局、人間が救いを求めてしまうということが、全ての歪みの原点だったということかなぁ。
救いを求めないことで救われる。生々流転。
難しいよね。
古典の部類に入るSFです。
今回、作者が書いたシリーズがⅠ冊にまとまった本ということで、今回、Kindleで購入、車の中でアレクサに読んでもらっていました。
アン・マキャフリーは、「パーンの竜騎士」のシリーズの短編をなにかのアンソロジーで読んだことがあるはず。
そして、「歌う船」も、最初のお話は読んだことがあるはずと思っていたのですが違っていたみたいです。記憶がない可能性もあるのですが、けっこう最近読んだ本ではない記憶はしっかりしているので(笑)
いや、女の子が電脳に繋がれているイメージは、けっこう強烈に覚えていて、多分、それは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」ですね。
これが、ずっと「歌う船」を読んでいるあいだ、イメージの中にありました。
「接続された女」は、けっこう酷い話(出来の善し悪しではなくて鬱よりな話という意味)で、ずっとその話がいつはじまるのかと、ちょっとドキドキしながら聞いておりました。
「歌う船」は、そんなに酷い話ではなかったです。
短編の連作集で、歌う船と呼ばれたヘルヴァという女の子が主人公のお話です。
この女の子は、生まれたときに障害があって、一生、宇宙船の「頭脳」として生きることを運命づけられている。宇宙船型のサイボーグなんですね。でも、女の子。そして、「筋肉」と呼ばれる宇宙船のクルーとバディをくんで、宇宙を飛び回る。
もちろん恋愛的な要素もあって、ということで、まあざっくりいうと異類婚ものです。ざっくりしすぎというこもありますが。わかりますね、大好物です。
多分、機械とつながっている女の子ということで、「攻殻機動隊」草薙 素子とかの原型です。いまならいっぱいいるヒロインたちの最初の1人です。
でも、最初の「歌う船」の感想は、おもしろいんだけれども、やっぱり古いなぁ。なんかものすごくあらすじみたいな話だなぁでした。
いや、今のラノベとかだったら、この短編1話だけで10巻はいかないまでも、5巻ぐらいは書くと思います。
以下、ネタバレありです。
真面目なやつ。
まあ、わたしら一般ピーブルは、「哲学的な何か、あと数学とか」を読んでいたら、それで充分な気もする。
テストも何もなく、モジベーションをあげるためだけにこういう「数学史」とか、「科学史」みたいな聞き流す授業があったらいいと思うのだが、やってみるとけっこう難しいのかもしれないと、今は思っています。
単純に「効率」だけを考えると無駄な感じがするので(←ただし、感じがするだけで本当は有効かもしれなかったりするけれど、それをはかるのは難しいですねぇ)。そして、それを入れる時間もないか。
まあ、知識のおもしろさというのは、一定以上の知識の上に成り立っているみたいところはあって、その一定を超えられるかどうかで、世界は違って見えると思います。
ほっとくと人間は、自動化と単純化をしてしまう生き物です。そして、そこに論理とか論理的な思考というのはあんまりないんじゃないかと思います。
まあ、自動化というのは、本当に便利になることではなく、なんにも考えなくても処理を回せることだったりします。
だから、ある人にとっては、例えばExcelの操作で、マクロで一瞬にできちゃうようにすることが自動化ではなくて、ひたすら何時間かかっても、セルからセルにマウスでデータをコピペすることが、自動化だったりします。
子どもが、立式するときになんにも考えずにとりあえず足し算の式にしちゃうのも、多分、自動化。
だからまあ、その自動化したいという欲望自体は、多分間違ってはいない。でも、たいがいにして自分が理解できないことや、もう自動化がすんですんでしまっている物事に対し考えなおしたくない思いが強すぎて、方法は遠回りになっていたりします。
単純化についても、多分一緒で、人間は自分がわかっていないという状況に、あんまり耐えられない。
そのために、単純化して理解したふりをしたり、その問題に気づかないふりをしたり、まあ、本当に気づかなかったりもすきる。
ということで、本書の「教育」の問題。
教育の問題は、大事なのに短いスパンで直接自分に不利益が返ってくることはない(ように見える)ので、とってもいじりやすいかも。
どんな方法にも、いい面、悪い面はあるけれど、極端でわかりやすい意見は、とっても、耳触りがよくて、人気が出やすい。
なによりも、子どもに厳しくしようが、優しくしようが、まあ、自分に直接そんなには関係ない。(まあ、子どもが実際にそのことで直接困っている親にとっては、とんでもないことではあるのだが)
だから、どっかででコロナで休校にして人気が出たりしたら、その人気にあやかろうとする一国の首相(ご冥福をお祈りしますが、やったことの成否はしっかりと精査されることを望みます)が、誰に相談せずに、ある日いきなり夕方の記者会見で、
「明日から、全国の学校を休業します」
なんて、いうこともあります。
そうなると、もう、メチャクチャ。
そして、あっちも良ければ、こっちも良いというのが、今の教育で、極端から極端に印象だけで振られていく。
これは、激しく同意します。
そして、ぼくたちは、
「どっちが正しいの?」
となってしまう。
そこに、ちょっとまて、その考えでは永遠に平行線か、ニヒルになっちゃうから、考え方全体を変えてみないとというのが、この本の趣旨です。多分。
教育書というよりは、教育について語るための前提の哲学みたいなお話です。
書かれていることは、メチャクチャもっともです。が、こんな面倒くさいこと、人間にと言うか自分にできるのかと聞かれると……。
極論にいかずに、今の社会が求める丁度いい地点を考えようという、ロウ-ニュートラル-カオスなら、ニュートラルにいこうという考え方で、確かにその通りなのだが。
でも、まず人間の安定って、実は自動化にあったりしないかな。思想であっても、自動化しないということは、かなりストレスなのでは……。
それから、ニュートラルの位置って、実は、みんな違うよねぇというのもあります。
今やっていることも、極端から極体への移動に見えているけれど、もしかしたら、ただ単なるこのニュートラルの位置の取り合いであったりはしんいのかなぁと考えてしまいます。
まあ、これはどうしても、特に年を取ってきて、自分の考え方を動かすのが苦手になってニヒルになっている証拠なだけだという気もします。
まあ、昔からニヒルは格好良いという感性の持ち主だしなぁ。
まあ、教育は少なくとも政治からは一定距離以上離れていて欲しいと思う。
こんな便利なものを手放す気はないだろうとは思うけれど。