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栗本薫・中島梓傑作電子全集9 エッセイ

マンガ青春記

マンガの記録というよりは、栗本 薫の青春記という感じですねぇ。
マンガ家になりたくて、そしてなれなかった女の子の物語。

ところどころ、わかるなぁと感じるところもあるし、爆笑してしまうところもあります。まあ、うらやましかったりするところもある。結局、けっこう裕福な家で大事にされて育ったんだなぁというのもわかるしね。

息子に夢中

息子が産まれたエッセイ。そして、その子も今や40代ぐらいとか考えるとなんというか時の流れは凄いなぁと。

1歳から2歳ぐらいまでかな。そして、そういいながら、あんまり育児エッセイな感じはしないです。
どっちかというと、「わたしは、やるぜ」みたいな決意表明と、親になってわかったことがあるという感じのお話です。わたしは、変わったみたいな。

いやそれでも、「親になってわかったことがある」はあんまり強調しすぎると、自分が親であることの優越感に簡単に変わるし、どうなんよという感じはします。
そして、今まで割と散々、「経験しないとかけないなんてあり得ない」とか、自分でいってなかったかと……。
まあでも、栗本 薫の場合、どれもが本気なんだろうなぁとも感じる。

そして、エピローグ的にめっちゃ盛り上がった後に、突然、私小説が始まるという謎展開。
はじめ、別の話になったかと思って、いったん読むのをやめようかと思ったのですが、その後に、「息子に夢中」のあとがきがはじまります。
まあ、なんでここに入れたかは、なんとなく意図はわかるんだけども……。
しかし、夫と本人も、酷え……という感想しか、わたし出てこないです。えーと、嫁が妊娠出産している間に浮気しているカップル。そんな男、信用できるか。まあ、本人たちがよければそれでいいのか。
まあ、優しさは後ろ暗さの裏返しのような気もします。

その後、子どものプライバシーということを考えて書くのはやめたというのは、正しい判断だと思います。
うーん、西原さんのところを見ても、なかなか、思春期の子どもは難しい。

アマゾネスのように

前半の怒濤の仕事話から、後半の怒濤の食事話に(笑)

えーと、基本、病人って、食事しか楽しみがないみたいだなぁというのが良くわかる。
そして、それにひっぱられたように入院が終わってからも食事の話が続きます。

とりあえず、元気になってめでたしめでたしな感じで終わります。

がん病棟のピーターラビット

「続・私闘学園」に続いて、本棚整理をしながら、Kindleに読んでもらいました。
この「がん病棟のピーターラビット」から後は、そんな感じです。まあ、軽い内容ではないのですが、エッセイなら読み飛ばしても大丈夫かみたいな感じがあるのは確かです。
逆にこれが、栗本 薫の小説だったら、そういうことは多分、絶対にしない。というか、そんなことしたら、まったく書いている内容がわかんなくなると思います。

食事の話は、紙の本で読んだのを覚えていた。
まあでも、テレビもみなくて、暴飲暴食をしなくても、飽食と贅沢のの申し子みたいな人ではあるなぁと。

基本、凄い良いところのお嬢さんで大事にワガママに育ったのが伝わってきます。

なんか、「わたしは気にしない」とあえて言っているところは、実はメッチャ気にしているところなのかもしれないと、ちょっとイジワルに思ってしまう。

転移

テンションは、「息子に夢中」、「アマゾネスのように」、「がん病棟のピーターラビット」、「転移」と、どんどん元気が落ちていっているのがわかるのは、ちょっと辛い。

文章も、なんというか、はりつめたところがなく、盛り上がりもない感じです。エッセイで盛り上がりと思うけれど、中島 梓のエッセイって、どっかでなぞの盛り上がりがあるだけれど、それがなかった。

というか、多分、本当に体がしんどい状況で、書くための粘りみたいなものも、ごっそりなくなって、それでも書いていたんだろうなぁと。

お母さんとの一節は読みながら、

「でも、あなた、お母さんそっくりで、お母さんそっくりの配偶者を選んでるじゃん」

という印象をうけたのですが、どうなんでしょうねぇ。
わたしは夫を優しくなるように育てて、母親はただただ優しい人に甘えただけだったというのは、ちょっと認識がズルいと思う。

まあ、人がズルいと思うところは、多分、羨ましいと感じているからで、わたしも、そういうところが羨ましいと思っているんだろうなぁと思います。

エッセイは、自分のことばっかりかいてあって、お前なんかに興味ないみたなことがかかれていますが、いやそれ、キミが言うなやという感じはちょっとします。

弥勒

私小説みたいな感じ。
コレ読むと、あぁ「レダ」も私小説だったんだなぁと。
というか、いつでも、「何者かになりたい自分」と「何者でなくても無償で愛されたい自分」と「何もかであるという自負心」とが、いつも、メチャクチャ、葛藤していたのがわかる。

その葛藤の大きさは、本人にしかわからないのだけれど、まぁ、そんな悩みなんて、みんなあるよとも思う。
でも、それも認められない。自分の悩みは、「特別な選ばれたる者の悩み」であって欲しいというのもあるかなぁ。
まあ、純文学とか、私小説というのは、そういうものですねぇ。矛盾しているん誰度、「自分だけが…」とい共感を読者に持たせることができる。
その意味で、どれぐらいの年代でこの話に触れるかというのは、とても大事な気がします。
わたしにとっては、ちょっと遅すぎたかな。

大きなストーリーはなくて、ひたすら自分の内面だけをえぐり取ってくるみたいな感じで書かれています。
でも、結局、このめんどくさい、救いなく般若の知恵だけを持ってしまった小さな女の子は、ママはそれでも自分のことを愛していたと救われて往生したんだなぁと、「転移」まで読んで思ったりもしました。

ラザロの旅

「弥勒」よりも前に書かれた私小説。
テーマは、同じく「選ばれし者の恍惚と不安二つ我にあり」みたいな感じです。

まあでも、そうやってひたすら自分に沈んでいけるというか、浸れる者だけが、本物になっていくのかもしれません。
もちろん、浸った結果、ダメになる人生が、その周りに100億倍ぐらい死屍累々とあったうえで。

鎌倉殿の妻

高校の文芸部の作品。
まあ、普通に商業誌の小説として成立しているよねという。

それだけで、おもしろさがあるかというと微妙ではあるのですが。

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レダ3

なぜ、レダが特別だったのかが語られる3巻目。完結編です。

今までは、ずっとレダを救済する話だったのですが、ここで一気にお話が広がっていきます。
凄い。

無垢なレダのままでいたいけれど、それでは決して救われない。そう気づいた作者は、レダではなくて、イヴの成長に全てを持っていきます。
自分自身がレダではなくて、イヴになろう。特別な存在であろうと。

この読んでいる感じって、昔読んだ栗本 薫の「Run with the wolf」 と似ている気がします。
どっちも、変わっていくことへの苦しみと憧れ、そして、力強さを書いていて、あぁ、この人の書いていく話は、ずっとこうだったんだなぁと改めて気がついた感じがします。

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レダ2

「普通」でありながら、「特別」と呼ばれたいと。
栗本 薫の心が叫んでいる。
多分、自分を1番投影しているのは、主人公のイブではなくて、レダなんだろうなぁと、読みながら思った。

非凡な才能を持ちながら、それでも、自分自身をこんなにも信じ切れない。だからこそ、イブや、アウラ、さらにはファーイースト30という、あらゆる角度から「レダ」を特別だと言い続けてくれる存在を「レダ」の外側に作り続けずにはいられない。

そんな感じがした。

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レダ1

語る語る。
多分、栗本 薫にとって、SF(ファンタジーとかを含めない狭い意味のSF)の本質は哲学にあるのだろあなぁと感じさせる1冊です。
世界のあり方とその中の自分のあり方。文化と文化のぶつかり合い。そこにある強い感情。

そして、そこから何が生まれてくるのか。

多分、そういうことに興味があるのだと思います。