陰陽師 天鼓ノ巻
うむ。今、「逆髪の女」を読み返して、ホロッときていました。
「ものまね博雅」や、「鏡童子」など小品も、いい感じです。
ただ、これこの本のラスト2編。つまり、ラスト2編が連続で小品。
作品の並べ方は、もうちょっと工夫してもいい気がします。
鎌倉っていう舞台の雰囲気なのかなぁとも思います。
なんか、不思議な空気が流れています。
若草物語とか、広い時間にも物語が広がっていくのは、空間が閉じられた感じがするからかも。
閉じられた空間の中で、時間だけが行ったり来たりする雰囲気は、吉田 秋生の「櫻の園」によくにている気がします。
海街diaryの番外編というか、鎌倉の観光ガイドです。
長崎に行ったときにも感じたのですが、鎌倉とか、長崎とか、観光とそこに住んでいる人の生活が、自然に一体化している町というのは、なんとも不思議な雰囲気があるなぁと思いました。
住めば決して、「便利」な町ではないんだろうなぁと思うのですが、「ずっとここで、生活していきたい」と思わせるものが、どこにあります。
どこかその不便なところをひっくるめて、魅力的なんだろうなぁと思います。
「西の魔女が死んだ」を見てきました。
歌と梨木 香歩の原作から、かなり期待をして見に行きました。「バッテリー」とか、けっこういい出来でしたしね。1
ということで、深夜に車を走らせて、映画を見てきたのですが……。
期待が大きすぎたのか。けっこう、微妙な映画でした。うーん、惜しいといった方がいいかな?
自分の中で、「西の魔女が死んだ」という物語のイメージが出来上がっていて、ほんの少しでもタイミングがずれると違和感を感じてしまう感じです。
おばあちやんは、けっこうイメージ通りかな。わたしがイメージしていたのは、どうしても、ターシャの森のターシャなので、もっと年取っている感じかも。
まいは、もっと線が細くて強い感じがあって、昔の栗山 千明とか、後藤 久美子みたいな芯の強さを感じさせる子だと思いました。でも、今回は、普通の子のイメージが強かったかな。
凄く原作の言葉を大事にしていて、原作に忠実に作られているのですが、書かれた文字のもつ雰囲気と、それを映像にしたときの雰囲気というのは、明らかに違う物で、同じ物を伝えるときにも、違う方法が必要だったのではないかと思いました。
そのあたり、「バッテリー」はうまかった気がします。
多分、映像にしたときは、言葉って最小限に省いてもいいんですよ。原作の言葉を拾い上げていくのもとても大切なのですが、映像で伝わるところは、言葉を使わない方が良かったのではないかとか、いらない想像シーンとかは、なくても良かったとか……。
原作者にとっては、凄く誠実に作ってあるので、文句の言い様はないけれど……でも、ちょっと違う世界のような……。
だから、珍しく、ラストシーンも、泣いてないんですよ。
で、原作のラストはどうだったっけと思って、本屋で立ち読みしていたら2、3ページぐらいでだだ泣きになりそうになりました。
でも、ラストの歌はいいです。一発で手嶌 葵のファンになりました。
↑ テルーの唄のときは、スルーしていたのに。