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波のまにまに

昔、読んだとき、

「なんじゃこりゃ」

と思ったことがあります。「波のまにまに」は。

最終回だけは、コミックの書き下ろしで、パターンが変わっているという話をどこかで読んだような気が。あれ?それは、岡﨑 京子の「Pink」だったっけ?

今読んでみても、内容は、あんまりないよなぁ。内田 春菊のかく女の子の色っぽさだけがあるような話。
もしかすると、内田 春菊は、読者を見下して書いたのかもしれないとも思います。

「内容なんかなくったって、裸が出てくりゃいいんだろ、けっ!」

わかんないけどね。

でも、今にして思うと、男が最後にたどり着いたところ、ずっとお寺だと思っていたのですが、金物屋で、背負ってたのをとってもらってたのねとか、けっこう細かいところまで、しっかりかいてある。

だから、それはそれで、楽しんでかいたのかもしれない。

ホラーの方が、多分、本人としては力はいっているんだと思いますが、わたしは、この人のホラーは、ピンとこないのです。

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西の善き魔女5 銀の鳥プラチナの鳥

西の善き魔女の4巻目。
でも、今までのように、フィリエルとルーンの物語ではなくて、今回は、アデイルの物語です。
フィリエルとルーンのお話は、次の6巻目で、完結するそうです。

ながれとしては、ここにこの本が4巻目として入るよりも、一気に本編をすすめてくれた方がいい気がするのです。
こういう、主人公が違う物語がいっぱいあって……という物語ならば、いろんな主人公の物語を平行させてという方法もいいと思うのですが、これ1巻だけですからねぇ。どっちかというと、メインのストーリーを追いかけたい気分です。

で、メインのストーリーに納得してから、ご褒美のように、

「実は、あの時はね…」

としゃべり出された方が、嬉しい気がします。

今まで、何回もかたちをかえて出版されてきた「西の善き魔女」なので、商売的には、これが正しい形なのかもしれません。「外伝」って、やっぱり、本編ほど売れない気がするし、特にこの「銀の鳥プラチナの鳥」は、主人公も変わっているしで、本編の間に紛れさせるのが正しいのかも。

でも、そういう配慮というのは、このお話に対して、失礼な気がする。
これって、極上のご褒美になるのなぁ。

ということで、この本は5巻としてここにあるということ以外は、不満のない楽しめる物語でした。

個性が全く違う2人の女王候補。
このモチーフは、アンジェリークを思っていたのですが、魔女っ子メグちゃんも思い出したりしていました。

もちろん物語は、一方の女王候補の側からかかれるのですが、必ずしも、どちらかが、正義で、どちらかが悪というわけではありません。

「西の善き魔女」でも、レアンドラは、決して邪悪なわけではないような気がします。1

アデイルの物語で世界を動かしていきたいという思いは、作家の思いでもあるのではないかと思います。

では、次はいよいよ、本編最終巻です。

  1. まあ、清濁併せ呑む大人としてかかれている?ので、アデイルや、フィリエルなどの少女から見れば耐え難い面もあると思うのですが。 []

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春菊

デビュー直後の作品集ということで、ちょっと、ウケをねらっている感じなのが、アリアリな作品が多い気がします。

でも、この人の絵は、このころから、けっこう出来上がっているのですね。上手いわ。

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凛が鳴る

はじめっからダメ男で、本性出した。それまで、わたしは騙されていた。
てな感じですが、わたしは、この女の子たち、男をダメになるように育てている気がします。

はじめは、自分が相手から好かれるために、「尽くす女」を演じていて、急に恋が冷めたときに、それに甘えている男がいやになっている感じがします。

まあ、どんなことがあっても、女に手をあげる男は、ダメだけれど。
それでも、自分は男に手をあげなかったかとか……。

相手が豹変しても、甘やかしても、それにのらないような強い人間が、理想像かな?どんなときでも、テンション変わらない。
でも、それって、愛されてるとは思えないかも。

まあ、世の中には2種類の人間がいて、ずっと何回でも恋愛できる人間と、1、2回だけの恋愛しかできない人間。
内田 春菊はあきらかに前者だし、後者の人間には、そのパワフルさがうらやましくもあり、理解不能でもある。

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陰陽師 太極の巻

「二百六十二の黄金虫」は、「陰陽師」の1冊目を読んだときの気分を思い出させる一編でした。

以前は、けっこういろいろな物語の運び方があったのですが、最近は、もう完全にパターン化しています。
意識してそうなっているというよりも、落ち着くところに流れたら、こうなったという感じでしょうか?

ところで、博雅って、歌がさっぱりわからないっていう設定なかったですっけ?
それは、マンガだけだったかな?