じゃりン子チエ1
高畑監督の「かぐや姫の物語」を見て来て、そういえば、テレビ版の「じゃりン子チエ」は、高畑監督だったよなぁと思いだしながら読んでいます。
アニメーション版が、かなり原作に忠実なので、同質のおもしろさがあります。でも実は、アニメーションの方がちょっと深い気がする。これは、基本・原作が好きなことが多いわたしには、珍しいことです。
昔、チエちゃんのアニメといえば、西では最強と思われていたもんです。
なんせ、最終回が放送された週の次の週から、第1話がもう1回再放送されていたりしましたから。そういうしあわせなループが、永遠に続くのかと思っていたことがぼくにもありました。
これは、その中の猫たちの番外編です。「どらン猫小鉄奮戦記」ということで、小鉄が主人公です。
しかし、小鉄 は、何でああんなにすかした性格になったんだろう。 その謎の一端があきらかに……あんまりなってないかな。
読んで思ったのは、幅広いなあということです。
でも、本領ではないと思いました。
ちょっと、一条ゆかりの「こいきな奴ら」を思い出しました。1977年から1983年までの作品が掲載されています。時代的にも、もしかしたら、一緒なのかも。
中山星香というひとは、かなりしっかりとした「自分のかきたいもの」があって、でも、それはその時代の少女マンガの枠からは、はみ出してしまうものだったようです。
それで、少女マンガという枠組みは崩さないで、そこに少しずつ自分のカラーをいれていくことで、読者や、編集者の枠を広げていったみたいなところがあります。
この本に入っているお話は、そんな時代のお話なのかなぁと思います。
だから、作者にとっては、不本意とはいわないまでも、「かきたいことが全部かけた」とは、微妙に言えないのではないかと思います。
でも、そうしてできた物語が、決して悪いものではなく、多分、その時代にとっては、バランスのいいものにしあがっていると思います。
もちろん、本当の傑作は、自分を解放したときにできるのだと思いますが、こういう試行錯誤の時期というのは、とても大切なのだと思います。