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X-MEN アンキャニー

売れているためか、京都の「談」に行くまで見つけられなかった「麻宮X- MEN」です。

でも、この本だけ読んでも、全然人のつながりとかが見えてこないので、1冊の本としてはイマイチです。
話的にも、大きな話と大きな話の間のつなぎの話みたいな感じです。

昔の小プロのXマン・シリーズのように、ある程度まとまった巻数がでてほしいなぁ。
麻宮騎亜が描いているとかそういうのは、関係なしに。

うーむ。
ウォーレン、ペイジに手を出したら犯罪だろう。
とか、いろいろ今をしれたのは、よかったのですけどね。

でも、その分、ここには出てこないジェネレーションXの連中や、ガンビーとローグがどうなったとか、そういうのもすごく気になります。

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X-MEN6 アルティメット

ベッツィが出てきたと思ったら、いきなり死んでしまったという。女の子たちは、もっと無口なイメージがありますが、このシリーズでは、よく話します。

うーむ。でも、暴力でしか止められないこともあるかもしれないなぁと思います。
教授の考え方も、「人殺しは良くない」でも、「圧倒的な暴力で相手を制圧して、その後、説得というのはしかたない」という考え方でないかな。
まあ、話し合いのテーブルにつかすためには、それも仕方ないと思っているはず。

でも、本当に暴力で脅されてついたテーブルで話し合いができるかどうかというのは、難しいと思います。

本当にこわいのは、実は、教授自身が自分の能力をじつは制御できていないんじゃゃないかという可能性。
無意識のうちに、周りの人を操っているということはないのかな。

実は、マグニートーが最後に教授を励ましたりするのでさえ、教授の(無意識のうちの)自作自演じゃないなんていえるんでしょうか?

マーク・ミラー,Mark Millar,
アダム・キューバート,Adam Kubert,
クリス・バチャロ,Chris Bachalo,
柳 享英
新潮社
発売日:2003-08
 

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アルティメット X-MEN 5

ガンビー登場。
レミー、かっちょいいわ。
でも、なんで、わざわざ、今まで使われて定着している「ガンピット」という名前を使わずに、「ギャンビット」にしたのかは謎。なんか、訳者のこだわりがあったのだろうか……。
そして、彼は、メインストーリーには、全然かかわらないという(笑)

昔のXメンに比べると、ちょっとジーンの性格に違和感を感じてしまいます。

あと、エグゼビアが、エリックの頭の中をいじくりまわしているのですが、あれは、わたしはある意味殺してしまうよりも残酷だと思うのですが?

マーク・ミラー,Mark Millar,
アダム・キューバート,Adam Kubert,
エッサド・T・リビック,Essad T. Ribic,
柳 享英
新潮社
発売日:2003-08
 

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指輪物語1 旅の仲間 上

おや、こんなにわかりやすい話だったか?
というのが、読んでるときの印象です。

以前読んだ文庫版は、今出ているものとは違って、全6巻で、やったらめったら字が小さいやつでした。
読んだのは、高校ぐらいのときか?
その時は、なんか、おもしろいけど、わかりにくい話やなぁと思っていました。

その頃は、野伏ってなんやろうとずっと思っておりました。
TRPGを遊ぶようになって、ある日突然、

「ああっ『野伏』って『レンジャー』のことなんや!」

と気がついたりしました。
今日、本屋さんで、あってるかどうか、原著を覗いてきました。フォーク・なんたら・レンジャーで、確かに、「レンジャー」のことのようでした。

まあ、他にも「馳夫」って何よ?
とか、いろいろあったわけですな。
映画では、「韋駄天」と訳されていたようでした。足が速いという意味か~~。

そして何よりも、以前これを読んだときは、「ホビットの冒険」を読んでいなかったんですねぇ。

別作品、読まなくても楽しめる……

なんて、書いてあったかどうかはわかりませんが、やっぱり、読んでないとそれ前提に物語が始まっているので苦しかったんだなぁ。
今回は、「ホビット」を読んだ後なので、理解できる部分が多い。

でも、「ホビット」は、「指輪」以上に色気のないお話です。
「指輪」は、それでも、ところどころそれでも印象的な女の人が出てくるのですが(特に「王の帰還」のあのシーンとかね)、「ホビット」に出てくる人ときたら、ホビット、ドワーフ、ドワーフ、ドワーフ、ドワーフ、……、魔法使い、ですからねぇ。
多分、あの頃読んでたら、途中で挫折していたと思います。

トールキンという人も、堀井雄二と同じように、あんまり物語とか、冒険のなかに「女の子」を入れたくない人なのかもしれませんねぇ。

神話的物語は、その傾向あるのかな?でも、パーネット・スワンとか、サトクリフを読んでいたり、ギリシア・ローマ神話読んでみたりする限りは、あんまり女の子が活躍しないという印象は受けないんですけどねぇ。

1巻に出てきた女の子って、ゴールドベリだけでは……。あの子、ストーリーには、なんも絡んでないし。いてもいなくても、一緒?

1巻終わって、まだ裂け谷に到着してないんやとか、いろいろ、読み返してびっくりです。

ケビン・クロスリー=ホランド,亀井よし子,読書ふたりのアーサー,ソニー・マガジンズ,ホワイト

ふたりのアーサー2 運命の十字

1番最初に読んだ本格的なアーサー王と円卓の騎士の物語は、マリオン・ジマー・ブラットリーの「アヴァロンの霧」の4部作でした。

それで、けっこうイメージが形作られているので、わたしのアーサー王と円卓の騎士のイメージは、ちょっとゆがんでいます。

その後、マロリーの「アーサー王の死」や、ホワイトの「永遠の王」などをよんだのですが、ちょっと違和感を感じていました。

でも、今年になってからよんだ、サトクリフのアーサー王三部作や、この「ふたりのアーサー」は、あんまり違和感がないです。

「アヴァロンの霧」で強烈に植えつけられたアーサー王の世界観は、多分、キリスト教的な世界とケルト的な魔法の世界の混沌とした混ざり合いだったのだと思います。
そして、そのテーマは、「ふたりのアーサー」のなかでも書かれていて、それが懐かしい感じを抱かせているのでしょう。

現実の十字軍に参加しようとしている少年アーサーと予言の石のなかのアーサー王の物語。
主人公の少年自身が自覚的なように、いろいろなはざまのなかに、世界はできています。
隠された真実。正しいことへの憧れと自分の弱さ。まぶしい女の子達。自らの未来と責務。

次巻で完結ということで、続きが楽しみな物語です。