青い花3
鎌倉っていう舞台の雰囲気なのかなぁとも思います。
なんか、不思議な空気が流れています。
若草物語とか、広い時間にも物語が広がっていくのは、空間が閉じられた感じがするからかも。
閉じられた空間の中で、時間だけが行ったり来たりする雰囲気は、吉田 秋生の「櫻の園」によくにている気がします。
鎌倉っていう舞台の雰囲気なのかなぁとも思います。
なんか、不思議な空気が流れています。
若草物語とか、広い時間にも物語が広がっていくのは、空間が閉じられた感じがするからかも。
閉じられた空間の中で、時間だけが行ったり来たりする雰囲気は、吉田 秋生の「櫻の園」によくにている気がします。
登場人物けっこ多いんですが、それぞれ端役まで1人1人丁寧に造られているというか、なんか、本当に生きている感じがして、凄いです。
杉本家の四姉妹が、素敵だ。
好き。
その感情は、綺麗で楽しいものばっかりではないけれど、その少しドロドロしたところ、どうしようもなくもどかしく、顔から火が出るぐらい恥ずかしさもひっくるめて、誰かに肯定されたい。
そう思うのは、ワガママでしょうか?
女の子にあこがれる女の子のお話。
演劇のお話とかあって、どこか吉田 秋生の「櫻の園」を思い出されるところもあります。
でも、お話が続くので、あれほどピンと張り詰めたものはないけれど、その代わりに、ほんわかとした雰囲気があります。このスローテンポな雰囲気が、いいです。
これは、絵柄が生み出すものかもしれません。
1巻目の感想を載せたのが、9月ですねぇ。
で、その直後から2巻目を読み始めたはずですが、今までかかったのは、途中で思いっきり修羅場をはさんでしまったせいですね。
1話ごとの感想も、読んだ直後には書けなくて、かなり後になってから、書いたものになってしまいました。
それでも、1話ごとに感想を書いていくのが楽しいのは、やっぱり安房直子さんの作品が好きだからなんでしょうね。
こういう単純な不思議さが好きです。
こんな魔法なら、わたしたちの周りにけっこうあるのではないかと思えてきます。
ライナスの毛布のように、ギュッとウサギを抱きしめる女の子。
ウサギと女の子の間に、どんな物語があったかは、けっして誰にも気づかれない。
ひぐれのお客
すごいさり気ない話です。
ほとんど、ストーリーなんてない。
でも、
「色っていうのは、ふしぎなものだな。」
というのは、安房直子さんの色に対する感じ方の深さをきっと表していて、やっぱり、読んでいる方も、しあわせな気分になるのでした。
大好きなネコと別れなければならないのは、いつだって耐えられないぐらいにさみしいものです。
でも、人はネコと暮らすことをやめられない。
そして、想い出を蓄積させていく。
なんでも吸いとる吸いとり紙も、「想い出」までは吸いとらないのでした。
ますむら・ひろしさんの画集かなにかに、
「家出したネコは、時々、手紙を書いて欲しい…」
みたいな文章があったのを思い出しました。
突然、家からいなくなったネコが、こんな風にしあわせであってくれたら、わたしたちは、どんなに安心することだろう。
そういう優しいお話です。
なんか、奥さんも、うさぎ屋も、ちょっとモラルが壊れていて、オイオイと笑ってしまいました。
そして、安房直子は、自分の物語のなかに、いろいろな願いは入れても、「教訓」みたいなものは入れたくなかったのだなぁという気が少ししました。
人は、忙しさ、そして、収入が入ってくることを「しあわせ」だと思いがちだけど…。
もちろん、それがしあわせの1つの形であることは、否定できないです。
でも、別の形もあるのかも。
わたしは、ホッとするような生き方ができるといいなぁ。
なんていう優しい話だろうと思います。
童話のなかの無垢な動物たちは、さびしい心に感応するのかなぁ。
そして、優しい嘘は、つき続けることが出来ればきっと、最後には本当になるのでしょう。
日本的な風景と、発電所という組み合わせ。
こういう組み合わせの不思議が、安房直子さんの作品にはありますね。
そして、最後に、お手玉でおわるという。
いい風景だ。
読んでる最中は、いいかげんなオリオンにすごく軽いものを感じていたのですが、読み終わって、実は、これって、すごくリアルな話なのではないかと思ったりもしました。
なんだか、こういう生き方をした写真家って、本当にいそうだと思いませんか?
そして、その写真家は、星のなかに人を、人のなかの星を見つけたんです。
そんな気がする。
テーマが、前面に出ている安房直子さんにしてはめずらしい作品。
その分、実は、ちょっとドラえもんのような安易さがあると思ったりもします。
まあ、のび太くんは、努力しない人なので、この主人公とはちょっと違うか。
でも、エッセイを読むと、安房直子さんは、この作品をかかなければならなかったんだなぁということがよくわかる気がします。
夢オチ?とも思えるような、不思議な感じの話なのですが、1つ1つのイメージに、意味をつけていくことも可能のような気がします。
たとえば、スコップでほっていくと、おもちゃがいっぱい出てくるシーン。実は、ほっているのは地面ではなくって、記憶ではなかいと思ってしまいます。
そして、1番すごいと思ったのは、シャベルをおいて帰っちゃうところですねぇ。
その欲のなさが、実は、安房直子作品の透明さにつながっています。
人さらいの話だ(笑)
いや、ちょっと違うか?
こういう、どこかアヤシイお話は、やっぱり好きです。
「そこ」にしか、本当に幸福はなかったのか?
それは本当に幸福なのか?
という疑問は、どうしても残ってしまうのですが。
それでも、わたし自身も、そんなふうに連れて行って欲しいと思う気持ちもあるのでしょう。
ただ、その時の現実の生きづらさというのは、心のトゲとして残しておかなければならないと思います。
「あんたの味方は、もう妖精だけだよ。」
そういう恋もあるのだなぁと。恋は、盲目といいますから。
でも、その時、不思議と孤独感はないんだろうなぁ。
「しかたないさ。結婚していっしょに暮らすとなったら、どっちかがどっちかの大きさになるしかないさ。」
わたしのピアリピアリは、見つかったかな。
行って帰ってこない話。
実は、こういうお話にも、すごく惹かれます。
帰ってこない限り、彼らの物語は終わってないのですから。
母親の思いの話は、すごく共感しました。
やっぱり、わたしに子どもがいても、同じように育てるのだと思います。