評価と贈与の経済学
割と対談者の2人が、同じ方向をむいている対談です。
その意味では、おもしろいんだけども、お互いに共通の項が多すぎて、その部分の説明がないので、若干、説明不足な感じのところもあります。
そこ、もうちょっと突っ込んで話て。みたいな。
新しい家族の形。家族をもっと拡張していった形。
その人間関係がわずらわしくて、家族を解体してきたはずなのに、人間って、なかなか難儀ですわ。
これも、元の音源を聞いたかな。
新聞記者のインタビューというか質問に、岡田 司夫が答えてます。
この新聞記者さんが、自分の感想に自信がなさそうなのが、なんとも。
そして、権威(岡田斗司夫)に、正解を聞いて恥をかかないようにしておこうとしている感じが……。
まぁ、多分、わたしも時々、そういうことをしちゃっていることがある気がするから、気になるんだろうなぁ。
本当は、感想なんて、自分の感想なんだから、正しいも間違っているもなくて、表明すればいいんだよと思うのですが。
どっか、解釈が違っているために、こんな感想になったのかも、しれない。間違って、笑われたらどうしようというの、働いてしまうんですよねぇ。
そしてまた、この「風立ちぬ」という映画が、一部の人間に、そういう不安をかきたたせるお話であったということだと思います。
岡田 斗司夫みたいな人が、ズバッと言葉にしてくれると安心する。
うーん、「でも本当に必要なのは、自分でそれを整理して言葉にする力かも」と書こうと思ったけれど、「本当にその力は必要なのかな?だれの意見を聞けばすっきりするか知っているだけでもいいのかも」とも思った。
不安なときは、強い言葉の人についていきたくなるよねぇ。
でも、不安な状態のままで、ゆらゆら、フラフラしているのにも、もしかしら意味があるかもしれない。
あぁ、言われてみれば確かに。
これ、映画見た直後のモヤモヤを、ものすごく理論的に理解させてくれる。
そして、岡田 斗司夫は、ものを作る側の人間なので、当然、「風立ちぬ」は高評価になるんだなぁ。
わたしは、多分、ものを作ることよりも大事なことがあると思っていて、だからまあ、サラリーマンなんだろう。
思えば、この「風立ちぬ」は、「ハチミツとクローバー」のハグちゃんの選択と同じ選択をしているのだと思います。
その選択をする人は、人としてはどうしようもないと思う。
もちろん、自分の思うがままに生きているからといって、つらさがないわけではないのもわかる。
そして、そういうどうしようもない人でなしから、すごい作品が生まれる。
多分、人でなしだから生まれるわけではないけれど、人でなしの部分が生み出していることも多いのだろうなぁと思います。
大筋は、そうなんだと思うのですが、これを全部に適応するのは、危険だなぁと。
「いい人」であることと情報を公開することがセットになっているのですが、情報の公開の方は、やっぱりかなり抵抗とリスクがありますね。
自分の出した情報でも、コントロールできなくなってしまうことは多々あるわけで、どこか組織に所属していれば、良いことがあるよりも、悪いことがないことの方を重要視されます。まあ、特に公務員とかは、そうですよね。
うーん。
でも、自分で情報を出したくないと思っていても、出ちゃうときは出ちゃうから、積極的にいい情報を出しとけというのが、この本の趣旨ですねぇ。
多分、フリーランスで働いている人は、それが正解かも。
あと、コミュニケーションが苦手なので、これはわたしの命綱にはなり得ないのです。
だから、やっぱりお金とか、家族とか大事。
まぁ、家族を大事にするというのは、それだけでいい人ではあるのですが。
PHYさんが生きていけるのは、PHYさんの才能で、まぁ、才能のない人は、真面目に生きるというのが肝心だと思います。
それこそが、「いい人」につながっているんだよとわれれば、まぁ、いい人戦略というのは、「楽して生きる」とか「得をする」というのとは違うということがわかります。
丁度いいところは、「無理をしない」かなぁ。
「いい人」になることで、自分が少しでも楽になるなら、それはありだし、楽にならないなら無理してはいけない。
まぁ、ほんのちょっとたけ心に置いてくらしていくといいかもしれない。
おもしろいです。
エンターテイメントとして楽しめて、そして、役に立つというのを徹底している。
そして、この人は、どんどん前に進んでいくな~。ちょっと見ないでいると、前とは全然違うところにいる感じがする。
だから、言うことも、やることも、
「前とは違うじゃねぇか!!」
ってことも多いんだと思います。
でも、追いかけてみるとそれが全部、流れとしてつながっているのがわかって楽しい。
このあたりの、まったく逆の主張になっているのに、流れとして(物語として)正しいというのは、小林 よしのりとかにも言えると思う。