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フランバーズ屋敷の人びと2 雲のはて

フランバーズ屋敷の人びとの2巻目。
読んだのは、多分、中学時代。
1巻を小学校高学年で読んで、図書室で、新書の2巻、3巻を見つけて読んだはずです。

で、この巻の内容なのですが……まるで覚えてなかったりします。
というか、わたしの記憶の中では、2巻はじまった時点で、もう、ウィルは死んでいて、クリスチナは未亡人だったような気がしていたのですが……。
それ、多分、3巻目の内容ですねぇ。

ということで、ものすごく新鮮な気分で読んだ2巻です。

読んで、納得したのは、多分、この2巻に書かれていること、愛についての不安とかそういうことは、中学生の男子の頭の中には、残らなかったのだと思います。
そして、ところどころの飛行機を飛ばす描写は記憶に残っているのに、その時のクリスチナの恐怖はまったく記憶に残っていない。
きっと、当時は、ウィルとクリスチナの2人のうちのウィルにだけ共感していたんだろうなぁと想像できます。

自分に、そういう前しか見えてない時代があったんだということを感じさせる今回の読書というのは、なかなか、興味深かったです。

でも、今ぐらいの年になると、クリスチナの不安や、最大のライバル(飛行機)をこそ認めなければならないというクリスチナの矛盾、そういうことは、とても良くわかる。
好きな人が、自分以外の物をみているというのは、まあ、仕方ない部分はあるけれどさびしい感じもする物です。

ものすごく走り抜けた感じのある婚約期間の物語でした。
このまま、2人が結婚生活に入っていって、どんどん年老いていって、それでも巧くやっていけるのかどうかというのは、その当時は疑いもしなかったのですが、今読んでみると、けっこう危ういかもしれないとも思ったりします。

まぁ、お互いを認めて、いろんな事に慣れて、何事もなくすごせる可能性も、高いとは思うのですが、どこかで耐えられなくなっている可能性も否定できないと思います。
また、この「フランバース屋敷の人びと」という話自体が、人って、けっこうそんな完璧な存在ではないよということを突きつけてくる話でもあります。
そして、でも、ろくでもない人でも、どこか魅力があるんだよと、それを知らせてくれる話でもあります。マークとかな。

マークは、やっぱり、男は顔が大事なのか……とか思っていた記憶があります。自分の顔にコンプレックスがあったので(笑)今でも、まあ、あるけどねぇ。
まあ、わたしは次男なので、長男の圧力というのはいつもあったわけで、そういう意味で、やっぱり、次男坊のウィルには、共感しやすかっのかもしれません。

人生に、何度も何度も読み直して、その度に新しいことが見えてくる本というのがあるのだと思います。
読み捨てるなんて、もったいないです。

読み捨てられない。だから、例えば、携帯とかで読むのに抵抗があるんだろうなぁ。機種が変わったら、読めなくなるじゃないかと思ってしまう。
だから、わたしは、本の形をしたものが好きなんだろうなぁ…。