太陽の黙示録17
金があるのはわかったのですが、土地はどころにあるんだろう?
面白いなぁと思いながらも、2年ほど放置状態になっていたのは、「のぞき屋」のときにも感じた若干の生理的なイヤな感じが原因だろうなぁと思います。
多分、山本 英夫とは、気が合わないと思わす何かがあります。
でも、「のぞき屋」を読んだことで(まだ1巻だけだけど)、この人が、何にこだわっているのかということはとっても良く理解できた。
この2つの話って、アプローチの仕方は違うけれど、同じお話だという気がします。
と書いて、今、「のぞき屋」1巻の感想を見てきたら、ほぼまったく同じことが書いてあった。
ダメだオレ……。
名越の方ではなくて、伊藤という人間をかいていくようです。
でも、こうやって、周りをかいていくことによって、名越という人間が浮き上がってくるとすれば、それは、すごい力量だと重います。
終わった。終わった。
みずから史料にあたって、その当時を想像できる賢い人(つまり江川 達也みたない?もしくは、江川 達也のみが?)のみが、歴史をきちんと認識することができる。
でも、それができる人間こそが、学者であるのではないかと思うのですがねぇ。
まあ、もちろん問題は、学者が、真の学者たりえていないところにあるのかもしれませんが。
今日の糧にならないそんな知識は、学者でなければ、やっぱりそれほど必要とは思えない。
だいたい史料というけれど、それを読み解くには、当時の自体への理解(言葉遣い一つをとっても)も必要です。
それがねつ造された物でないかどうかを確かめるすべも必要だとすれば、専門家(学者)を信じないのなら、それを確かめる例えば科学的な方法も、自分で勉強して、自分の手でしなければならないし、そこに至る理論の検証も、自分自身でしなければならなくなってきます。
その先にあるのは、人を自分以外信用しない永遠の孤独では?
今の江川 達也は、孤独なのか?
そういえば、アシスタントをすべて解雇したとも聞いた……。
心地よい物語は、嘘。
だから、わざわざこの物語を、心地よい物語にしなかったのだろう。まあ、全部計算済みだと。
このマンガがおもしろくなかったことに対する、まるで後出しじゃんけんのような結論なんでしょうか。
わたしは、物語の力を信じているので、物語の否定論には、与しない。
惰性?
もう、最後に向けて、字ばっかりです。