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メイクンブレイク

「子やぎのかくれんぼ」を2回ほど遊んで(2回目は、1回目よりも難しくなります…)、次は、どれがいいかなぁ。

といっても、持って行ってるゲームの残りが、「メイクンブレイク」と「ハンカチ落とし」の2つだけなので、どっちかなのですが。

見せて、

「どっちやりたい?」

と聞くと、小学6年生のは、

「おっちゃん、『アフリカ』は、ないの~」

とリクエスト。
そうでした。この子とは夏に「アフリカ」をけっこう何回も遊んだのでした。
今、確認してみたら、なんと去年の夏ではなくて、一昨年の夏でした。
うーむ。よく、覚えていてくれたねぇ。ちょっと、嬉しい。

「ゴメン。今日、『アフリカ』は、もってきてないんや」

まあ、持ってきてても、1年生の子がいるので、「アフリカ」は、ちょっと無理かもしれないけどねぇ。
また、年齢がちょっと高いときには、「アフリカ」も、遊びましょ。

「で、どっちやりたい?」

ということで、子どもたちが選んだのは、派手な方の「メイクンブレイク」でした。

これも、ルール説明は、簡単だねぇ。
日本語版がでるという話を聞いたのですが、もう出たのかな。木のおもちゃ屋さんで見かけたら、けっこう「買い」のゲームだと思います。

「まず、おっちゃんが見本をします。
 サイコロを振ります」

コロコロ。

「サイコロの目と同じところにタイマーをセットします」

子どもは、タイマーを無理矢理まわして壊そうとしますので、このあたりは要注意です(笑)

「『よーい、ドン!』で、タイマーを押して、カードをめくります。
 そして、カードと同じように積み木を積み上げます」

このあたりは、実際にやってみるのがミソです。

「完成したら、『ハイッ!』って言って、みんなに見せます。
 見ている人は、それがカードに描いてあるのと同じだったら、『OK』って、言ってあげて下さい」

「OK!」

「『OK』と言われたら、次のカードをめくって、また、作っていきます……。
 タイマーが止まったら、時間切れです。
 あと、できた点数分のチップをもらえます」

とこんな感じです。

カードは、赤い数字のカードと青い数字のカードがあって、実は、赤い数字のカードの方が難しいんです。
今回は、大人と6年生の子は赤い数字カード、小学1年生は青い数字カードで遊びました。

「えー、ぼく、子どもやのに~」

と6年生の子は、ブツブツ言ってましたが(笑)

さて、実際に、ゲームスタートです。
そういえば、パスのルールは説明してませんが、その方がおもしろい気もするので、いいか(笑)

これは、やっぱり、遊び慣れているわたしともう1人の大人が、すごく有利でした。
まあ、年末にぱふ・宇治店で、子どもに混ざってひたすら積み木を積み続けていた積み木クラブの会員ですし(笑)
サイコロも3ばっかりだすし。
ふ、2人とも、大人げな~。

子どもたちの方ですが、このゲームを遊ぶには、慣れ以外のハンデがあることが判明しました。
特に1年生の子なのですが、コタツが普通のコタツならよかったのかもしれませんが、なんと、掘りゴタツだったんですね。
そうすると、どうしても掘りごたつは、大人の座高にあわせて作ってあるので、子どもにとっては、高すぎるんです。
普通のコタツなら、正座をしたり、身を乗り出したりすれば、そのあたりの調節ができるのですが、掘りゴタツの場合は、足を下に投げ出してしまっているので、その調節ができない。
だから、ちょっと、手が届きにくいんですねぇ。

さらに……、これは、積み木なので、天板にキズが~。
そっとすると、ちょっと面白味が、欠けたような気分になってしまいます。

まあ、それでも、1年生の子は、制限時間「3」で、果敢に作っておりました。

えーと、6年生の方の子ですが、なんと振ったサイコロが「1」。
そして、けっこう難しいお題が続いてしまいました。

えーと、特に赤い数字のカードの方ですが、そのまま順番にのせていっただけではつくれらないお題もあります。
上をのせてから、手を放さないとといけないものや、組んでから積み上げないとつくれないものがあるんですね。
そんなお題が、なぜか、この子のときに、連続して出たという……。

まあ、3周ぐらい遊んだのですが、ちょっと難しいかなということで、今回は、点数計算はせずに終了でした。

初めての子なら、6年生でも、青色のカードでよかったかも。ちょっと反省。

ジャック・ローソン,Jack Lawson,
アンドリュー・ローソン,Andrew Lawson
カワダ
発売日 : 2007-05-16

佐藤秀峰,読書ジャック,ブラックジャックによろしく,モーニングKC,佐藤 秀峰,講談社

ブラックジャックによろしく9

心の病の難しさは、その境界をどこにおくかということが、わからないことだと思う。

優しい世界であるならば、多少の違いはおおらかさのなかで隠されるのですが、お互いにギスギスした世界の中ならば、やっぱりちょっと人と違っているというのは、生きにくい。

生きている文化の差異によっても、狂気と正気の境目は動いていく。

できることなら、優しい世界で生きたいけれど…。

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ゲイルズバーグの春を愛す

短編集です。
最近のわたしは、読んだ端から、忘れていきます。

これは、貸してもらった本ということで、1作ずつ読むたびに、感想を書いてメールで送っておりました。

ということで、その1作ごとの感想を載せていきたいと思います。
このちょっとずつ書きためておく方法は、けっこういいかも。

ゲイルズバーグの春を愛す

古い建物、街並みのなかに、何かが宿っているというのは、とっても、素敵な、好きなテーマで、雰囲気のよいお話でした。

ただ、その宿っているものが、街を変化させようとする人を傷つけてしまうところは、ちょっと、悲しいなぁと思いました。

優しい街並みは、それを守ろうと思う人にも、変化させようと思う人にも、優しくあって欲しいと思ってしまうわけです。

でも、それでも、どうしたって、街はかわっていくのだなぁという、時間に対するとらえ方(あきらめではなく)は、「なっとく」です。

ということで、これからの作品、なかなか楽しめそうです。

これが好きなら、きっと大野安之の「ゆめのかよいじ」とか、気に入ると思います。
古い校舎と、時間から取りのこされたような村のお話です。

悪の魔力

原題は、「Love,Your Magic Spell Is Everywhere」。
「悪の魔力」……どっから、出てきたんだ?

今、エキサイトの翻訳サイトで原題を訳してみると、「愛、あなたのマジック期間はどこでもあります」。
これも、変だ。
多分、Spellは、スペルで、「呪文」。
だから、「愛、あなたの魔法の呪文は、どこにでも」みたいな感じですね。

でも、訳者が、「悪の魔力」という題名をつけた理由も、わからないではないです。
多分、これは、アメリカ人と日本人のうけとり方の違いではないかと思います。

眼鏡は、いいんですよ。
アメリカ人だろうと、日本人だろうと、こんな素敵な眼鏡があったら、かけます。男なら。

でも、問題は、感情の方です。
ここで、この話は、簡単に魔法を使って、感情をいじっているわけですが、このあたりが、日本人にはあわなくて、「悪の」という題になったのではないかと思います。
やっぱり、薬の力や、魔法の力を使って、相手を振り向かせても、いいことないと思うんですよねぇ。
そうすると、最後に、自分に魔法が返ってきて、へんな女とくっつくというのは、このお話の「教訓」なのかもしれません。

でも、この女の子が、本当にハズレくじみたいに、へんな女だったかというと、そんな感じはしないんですね。
変身前の「超・少女 明日香」みたいで、かわいいじゃんとか思ってしまいます。
まあ、眼鏡をとったら美人というのは、少女マンガの王道でもあるわけですし。
まあでも、男の方は、あんまりいいヤツじゃないし、友だちにもなりたくないですね。

すごく、好意的に解釈をすると、この2人は、魔法にかかる前から、お互いに好きになっていたのかも。
魔法なんて、思いこみにすぎないのかも。
描写の積み重ねがあるので、2人のシーンだけ追いかけていくと、そんなふうにもとれるんですが……。
そうすると、他の人にかかった魔法の部分が、邪魔になっちゃうんですよね。

もしかして、1番正解は、なーんも考えずに、あーハッピーエンド、相思相愛になれてよかったね。
なのかも。

あと、この男、ダメだと思うのは、こういうところ。

「たしか去年、彼女は夫のハーヴェイとともに結婚二十五周年を祝ったはずだったが、
彼女の腰の右側には、縦四インチくらいの赤いハート型の刺青があり、そのなかに青で”ラルフ”という文字が彫りこんであったのだ。
ぼくは、その事実を、四分の一世紀もり長い間ハーヴェイの目から隠してくるのに、どれほど苦労したろうかと考えさせられたのだった。」

多分、今の時点で、ハーヴェイは、このことを知っているし、当然、受け入れているのだと思うのだが……。

アメリカ人は、どんな感想を持っているんでしょう?

クルーエット夫妻の家

これは、すごく気に入りました。
かつてどこかで造られた家が、時代を超えて再び造られて、その「家の思い」が、転生してくる話といったところでしょうか。

物や、無生物にも、やっぱり「思い」というのはあって、それに取り込まれることは、それほど悪いことではないと実は思います。

まあ、物語としては、「行って」、「帰ってこない」物語というのは、もしかすると、ものすごく不健全なのかもしれませんが、昔からわりと、そういう物語の方に惹かれてたりしています。
それが、心穏やかなものならば、過去でもいいので住んでみたいなぁと思います。

まあもちろん、それは、けっこう後ろ向きな欲望だなぁということは、知ったうえでですが。

でも、主人公の設計士は、はじめは、けっこう家の魂の話をしていたのに、後半は、けっこうドライです。
現実に生きる人にとっては、正しい態度なのだろうなぁと思いつつ。
きっと、ある種のうらやましさも、感じていたのではないでしょうか?

おい、こっちをむけ!

幽霊の話は、実はけっこう好きなのです。
ということで、この話も、けっこう楽しみながら読みました。

気になった点は、何故、幽霊が自分の名前をこれほど強調するのか?
暴走族が着ているような服を着てまで、自分の名前を強調する幽霊って?
やっているとこは、地味なのに、服装だけ派手?

オチを読んでなっとくしたけど、なっとくいかーーん(意味不明)

いや、笑ったんですけどね。

うーむ。
作家は、作品を残すことができなかったことを惜しんで幽霊になるのか?
自分の名前が残らなかったことを惜しんで幽霊になるのか?

どっちかというと、前者であって欲しいです。
まあ、後者でも、おもしろい作品が作れれば、その人の人間性は、実はちっとも、かまわないのかもしれませんが。

独房ファンタジア

いや、てっきり、扉が開いて逃げちゃう話だと思ってたんです。

でも、典獄に、約束するじゃないですか、そのあたりから、ちょっと、違うぞという感じがしてきて……。

最後は、扉が開いているのは、わかっていたのですが、奥さんには、「やられた」と思いました。

これは、まさに伝説にふさわしい一編です。
題名は、「ファンタジア」ではなくて、「伝説」と訳してほしかった。

時に境界なし

わたしも、主人公と同じ様に、「小さい悪事なんてどうでもいいじゃないか」と思っているので、この警部の情熱は、理解できない。
「小さい悪事なんてどうでもいい」は、ちょっと言い過ぎかな。
もちろん、その事で、当事者が立ち直れないショックを受けてということはあり得るし、
当事者が、その事にたいして、怒ったりするのは、理解できるのですが。

まあでも、なんのつてもないところに、リスクも覚悟で行ったんだから、帳尻はきっとあっていると思ってしまう。
笑って、野球観戦をしてるけど、きっと苦労したんだと思います。

まして、別の事件の犯人として裁くなんて、まともじゃないと思います。

最初は、手紙を送っても未来ははじめっから決まっていてかわりませんでしたというオチかと思いましたが、あのオチは、ちょっと笑いました。

でも、戸籍も何もないんだから、ちょっと無理があるだろう……。
まあ、ギャグとしては、まあまあかな。

大胆不敵な気球乗り

昔、仕事場の懇親会で、「マディソン郡の橋」っていう映画を見て、さっぱり、理解できなかったことを思い出します。
じつは、こういった恋愛の機微は、全然、わからないのです。

家族が大事なら、

「私はお前を愛していたが、お前の夢を叶えることは出来なかった」

なんて、悲しいセリフを死に際の旦那に言わしたらアカンと思うし、火遊びでないのなら、何もかも捨ててついて行く以外の選択肢はないだろう。

「あれだけが、真実の思い」

とか自分のなかだけで美化して、日常のむなしさを誤魔化すのは、いただけない。
という感想をもったわけです。

さて、話もどって、「大胆不敵な気球乗り」です。

こちらも、ほんの短い間の冒険の日々を書いたものですが、あれ?これは、全然、シヤじゃないや。

ストーリーを話すと、きっと同じような感じになると思うのだが、なんでだろう。
あぁ、こっちの話は、「浮気」ではないかな。

やっぱり、お互いに家庭を持っている男と女が出てくるし、確かに、その不思議な体験の期間中には、お互いに好意をもっているのですが、でも、この2人は、恋愛をするのが運命ではなくて、気球に乗ることが運命だったんだと思います。

だから、彼女が、彼に、

「わたしも空にのぼりたいわ」

というシーン。そして、それを彼が理解するところは、すごくなんか、好きです。

そして、冒険から帰ったあとも、いいなぁと思います。
冒険の日々が、日常を曇らせるのではなくて、日常であること、平凡であることの幸福さを思い出させてくれます。

「彼は望みをすでにかなえてしまい、もうそれを必要とはしていなかったのだ。」

それを必要とはしていない。この部分が、すごく大切なところだと思った。
やっぱり、無い物ねだりではなくって、平凡な今に、足をつけて生きていくのは、大切です。

と、理屈をいっぱい書いていますが、これ、今までの物語よりファンタジーっぽい(というよりメルヘンぽいか?)、優しい雰囲気があって、そこに反応しているのかもしれません。

大好きなロバート・ネイサンの「夢の国を行く帆船」を思い出しました。

コイン・コレクション

一言で、切っちゃいます。
そーんな、都合のいい話が、あるか!

まあ、笑い話、ホラ話のたぐいですね。

ただ唯一。
大人になったハックルベリー・フィンの話は、読みたいかも。
その世界のマーク・トウェインが、この世界のトウェインのように、晩年、人間不信に陥っていないことを祈ります。

愛の手紙

時間を越えた恋のお話。
これまた、大好きなロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」を思い出しました。
これも、時代を超えた恋愛物語です。
でも、「愛の手紙」は、2人が1回も出会えないというところが、なんとも言えない切なさを出しています。

古い机の隠し抽戸のなかの手紙。
なんて、魅力的なアイテムだろう。

多分、周りから見れば、こっけいであったり、理解不能であったりするのですが、「一生を懸けるに足る恋」というのは、多分、こんなものなのかもしれません。

たった数回だけの手紙のやりとり。
それは、たとえ短くても、永遠にも匹敵する時間。
そんな時間がもてたのならば、後悔することはないのかも。

佐藤秀峰,読書きら,ジャック,ブラックジャックによろしく,モーニングKC,佐藤 秀峰,講談社

ブラックジャックによろしく8

医者が(というか、人が)、本当に人が死んでいくということにそこまで真剣に向き合うことが可能かどうかわたしは、疑問に思っています。

例えば家族であるならば、それは、1回だけむきあう死です。

でも、医者は、何回も何回も、それと向き合っていかなければなりません。

もちろん、今までの時間を一緒に生きていた家族と、病気になってから知り合った医者では、その人がいなくなったときの悲しみには、差があるだろうから、その悲しさを比べてみたりすることは出来ません。

でも、日常的に死と向き合っていくということは、どこかで、感情を殺していかなければ出来ない仕事のような気がします。

辻本さんの経過は、実は、「あきらめ」、「死をうけいれる」という普通の癌患者の経過のパターンと違っていなかったのではないでしょうか?

「その状態を『悟った』状態というのは、間違えではないか?」

という疑問には、未だに答えが出ていません。
もちろん、答えが出るわけでもないのですが……。

昔は、もし自分が死ぬとしたら、そのこりの時間を知っておきたいと思っていました。
でも、最近は、知らない方がいいのかなぁとも思っています。

父は昔、「告知してほしくない派」でしたが、最近、「告知という道もありかなぁ」と言っていました。

年とともに死に対する感じ方や、考え方も、かわっていくのだと思います。
だとすれば、あとは、告知されるにしろ、告知されないにしろ、周りの人間をどれだけ信頼していけるのかという世界になってしまうのかもしれません。