陰陽師 太極の巻
「二百六十二の黄金虫」は、「陰陽師」の1冊目を読んだときの気分を思い出させる一編でした。
以前は、けっこういろいろな物語の運び方があったのですが、最近は、もう完全にパターン化しています。
意識してそうなっているというよりも、落ち着くところに流れたら、こうなったという感じでしょうか?
ところで、博雅って、歌がさっぱりわからないっていう設定なかったですっけ?
それは、マンガだけだったかな?
作者自身は、めちゃくちゃ明確なものを、めちゃくちゃ明確なビジョンで描いているにもかかわらず、読者には幾通りもの解釈の仕方がある。
わたしの好きな「名作」は、そんなのが多い気がします。
例えば、マンガでは、永井豪の「デビルマン」。例えば、映画では、アナ・トレント主演の映画「ミツバチのささやき」。
小説では、なんだろう?最近読んだ、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」がそうかもしれない。
みごとなぐらい、語る人、語る人によって、物語の解釈がかわっていく物語というのがあります。
そして、この岡野版「陰陽師」も、そんな物語の1つなのかも。
多分、岡野玲子自身は、説明するのさえめんどくさいぐらい明確なことを自分では描いている。
でも、その受け取り方は、人によって違う。
原作との大きな違いは、晴明のこの世への錨が女の子であることだと思います。
それは、原作にない深みをこの作品にあたえています。1