グーグーだって猫である2
ネコというのは、つくづく不思議な動物です。
時には、人間の気持ちが、全部わかっているんじゃないかと思えてきたりします。
どんなネコも、それぞれに、かわいらしさがあるのです。飼い主にしか、見せないかわいさもあるますが。
ネコというのは、つくづく不思議な動物です。
時には、人間の気持ちが、全部わかっているんじゃないかと思えてきたりします。
どんなネコも、それぞれに、かわいらしさがあるのです。飼い主にしか、見せないかわいさもあるますが。
この前、映画化されていた「グーグーだって猫である」です。映画の方は、まったく見ていないですが……予告編を見た限りでは、そんなに悪くはなさそうな感じでしたねぇ。
サバが死からお話が始まります。
大島 弓子の伴侶ともいえるぐらいのネコだったサバが亡くなって、もう、大島 弓子は、マンガ描かないんじゃないかと思っていたのです。
でも、グーグーどであって。
サバは、サバのまま、人間ネコの形に描かれていて、グーグーは、けっこうリアルなネコの形に描かれています。
そこには、ありのままを受け入れようとする大島 弓子の変化があるような気がします。
そして、元気に日常がおくれていることに、ホッとします。
なんか、いい気分になれます。
やっぱり、よいな大島 弓子。
でも、今でも、こんな恋愛ものがかけるというのは、本当にすごいです。感性が、枯れない。
大島 弓子自身の恋愛は、いったいどうなっているのだろうと思ってしまう。
大島 弓子を読むのも久しぶりだ。
もしかすると、10年ぶりぐらいかも。
わたしの知っている大島 弓子は、まだ、サバが生きているの時代で、グーグーは来ていない頃でしたので。噂では、グーグーは、ネコの姿をしているんだよと聞いていたのですが……。
今回、「グーグーだって猫である」が映画化されて、別に映画を見に行くわけではないのだけれどそのあたりの周辺の動きを見ていると、なんとなく大島 弓子を読みたくなってきました。
ということで、「ロスト ハウス」。
最初は、あぁ、こんな絵だったのかと若干はいりづらく感じました。
大島 弓子の絵柄が変化しているというわけではなくて、あんまりにも、わたしが、大島 弓子から離れていたからだと思います。
今のマンガ家の細かい線になれたせいか、すごく画面が白く感じました。
ストーリーも、「青い 固い 渋い」、「8月に生まれる子供」と進んで、えらいぎごちない展開だなぁと。
多分これも、わたしが最近、短編慣れしていないせいだと思います。
でも、だんだんと読んでいくうちに、リハビリしているように、ちょっとずつ大島 弓子の成分が、自分にしみこんでいくのがわかりました。
「ロスト ハウス」、「クレイジー ガーデン」とすすんで、もう1回、「8月に生まれる子供」を読み返したときには、どっぷりと浸ってしまいました。
年をとっても、むき出しの感受性のままに生きているというのは、どんなにつらいことだろう?そして、どんなに新鮮で楽しいことだろう?
多くを忘れるわたしたちですが、思い出すこともできる……はず。