最後の弟子・ジョンは、ミュータントの理想郷の夢を見るか?

映画,X-MEN

X-MEN ファイナル デシジョン

「X-MEN」は、わたしが最初にはまったアメコミで、特別、思い入れが強い作品です。

もともとは、カプコンの対戦格闘に出ていたキャラクターとして認識していて、小学館プロダクションから出ていたコミックシリーズで、詳しく活躍を知ったという感じです。

その後、「スパイダーマン」や、「X-MEN」の映画に出会ったということで、はじめからいろいろな知識を持っていたので、出会い方としてはラッキーだったのではないかと思います。

「X-MEN」は、マーヴルの他のヒーローたちと比べて、メチャクチャ地味です。その地味さは何かというと、1つは、X-MENが、1人の主人公がいない群像劇だということもあります。まあ、「ファンタステック・フォー」とか、ヒーローチームが主人公になる作品はいくつかあるのですが、それにしても、「X-MEN」は、学校の人たち全員が超能力者ですからねぇ。
もちろん、最初は4人か5人の普通のチームものだったようですし、ストーリーの中心人物になるのは、その時時によって数人なんですけどね。今回の映画では、ローガン、オロロ、キティ、あと復活したあの人あたりが主人公格。エグゼビアとマグニートーは、いつも通りの別格という感じです。でも、それで収まりがつかなくて、派生シリーズが、たくさん出ていたという……。
まあ、みんなが超能力者ということで、「ヒーロー」っていう感じではないのです。

それから、地味な部分のもう1つは、X-MENたちミュータントが、他のスーパーヒーローたちと違って、社会的に迫害されている存在だということも、関係していると思います。
もちろん、他のヒーローたちも、人から誤解を受けたりすることはあるのですが、それでも、彼らは人々の「ヒーロー」なのです。でも、ミュータントたちは、ヒーローというよりも、アウトローな感じがつきまといます。
名作「マーヴルズ」のなかで言われているように、

「彼らは、マーヴルズの暗黒面なのだ…」

という受け止め方をされています。

でも、その地味さ、ある意味、暗さは、実は「X-MEN」の魅力そのものだと思います。

映画「X-MEN」、「X-MEN2」は、その地味さ、暗さを、上手に表現していたいい映画でした。

さて、今回の「ファイナル デシジョン」です。

ついに、ミュータントパワーをおさえる薬が開発されました。その薬の名は、「キュア」。
その薬で治療をすれば、ミュータントは、超能力を失うかわりに、「普通の人間」として生きていくことができる。

しかし、ミュータントパワーは、本当に消し去るべきものなのか?
そのミュータントパワーのために、人と直接ふれあうことができないローグにとっては、それは普通の生活を取り戻すための福音であった。
しかし、ミュータント至上主義をとるマグニートーにとっては、とうていその薬は受け入れることはできない「敵の武器」であった。

自分の能力は、治療すべき「病気」なのか?X-MENたちに動揺が走る。
そんななか、マグニートーは、ブラザーフッドを組織し、人類に宣戦布告する。

てなあたりは、予告編で流れているところ。

では以下、ネタばれありです。

けっこう、原作のいいシーンを取り込んだいい映画でした。

これで今までの「X-MEN」の一連の流れは終了(また、キャラクターを新しくした新作はできるらしいですが)ということで、テーマ的にも、「X-MEN」の本質をついていると思いますし、ストーリー的にも、「もう、やっちゃえーー!!」的なものを感じました。

まずは、いきなりセンチネルとの戦闘!!そして、ファストボール・スペシャル!!

いや、デンジャールームの中での話だったんですけどね(笑)

まあ、ジーン・グレイの復活は想像していたのですが、まさかいきなり、サイクが死んじゃう(というかジーンに殺されちゃう)とは思いませんでした!!
そして、ジーンの力は暴走して、あろう事か、エグゼビアまで、殺しちゃいます。

おいおいおい!!

ジーンは、実はあんまりにも力が強すぎたために、エグゼビアがリミッターをかけていたようです。それも、どうやらジーンには内緒に。
このあたりは、わたしがどうしてもエグゼビアを受け入れられないところです。

だいたいにして、この人、世界最強のテレパスで、人の心をどうとでも操ることができちゃいます。

もちろん、マグニートーとか、危険なミュータントはいっぱいいるんですけれど、マーヴルの世界の中では、多分このこそが1番の危険人物です。
アメコミの方の話になってしまいますが、マグニートーとかも、結局、この人に洗脳されて癈人みたいになっちゃうんですよねぇ。

でも、基本的には、それはしない。モラルに反するから、しないことになってる。
けど、「本当にしていないの?」というのは、X-MENのメンバーですらときどき疑っています。

そういうふうに疑われること自体が、洗脳していない証拠でしょうか?
でも、優秀な人間だけ自分の手元に残そうと思ったら、そういう人間にだけわからないように処置を施せばいいはずだから……。

げんに、ちょこちょこと、やっちゃってるんですよねぇ。この人。
この「できるのにやらない」。でも、「ときどきやっちゃってる。それは秘密」というのが、この人のなぁ信用ならないところだ。 

このエグゼビアの矛盾が、今回の映画では、けっこうしっかりと表現されていたように思います。

「キュア」に対する態度も、マグニートーは、かなり一貫した態度をとっていますが、エグゼビアは、どうしたいのか見えてきません。

うん、今回の映画は、「X-MEN」のもつ矛盾を噴出させた感じの映画だなぁと思います。

で、その矛盾の抱え込み方そのものが、「X-MEN」らしくてよかったです。

「キュア」も、ミュータントたちの矛盾を噴出させるなかなかいい道具でした。

「障害が個性だといって、障害を持つものは、それをうけいれなければいけないのか?」

もちろん、どうしようもないことは、受け入れざる得ないのですが、それを治すすべがあるときどうするのか?

例えば、わたし目が悪いので、メガネをかけています。それは、どうしようもないことですし、それほど生活に支障があることでもないので受け入れています。でも、目が普通に見えるようになるのなら、数百万円払っても、多分惜しくない。 

まあ、目が悪いとかは、すごく限定したことなのである意味考えやすいのですが、今回は、ミュータントパワーすべてを治療してしまいます。
目だけではなく、耳だって、足だって、なんだって治るよという感じです。
でも、そのかわりに、サヴァン症候群の子は、驚異的な計算能力だってなくしちゃうかもしれない。
もしかすると、「キミは、足が速すぎるから治療が必要」とか言われるかもしれない。
そんな感じでしょうか?

ローグとかは、あきらかに、ミュータントパワーのせいで生活に支障をきたしています。
この先、力をおさえることができなければ、一生、人とふれあうことなど出来ないわけです。

他のミュータントたちは、微妙。ある意味、その能力で人々に貢献してきたという誇りもあるだろうし、意識しなければ、力を使ってしまうことも少ない。
まあ、ハンクとか、外見が見るからにかわってしまう能力者については、なおればいいなぁと思っているはずです。

マグニートーたちにしてみたら、なんでこんな便利なものを手放さなければならないのかという感じです。

結局、ローグは力を手放し、ハンクはあえて治療を受けずに「それでも受け入れられる」ということに賭け共存の道を選び、マグニートーは、人類の手によって無理矢理キュアを打たれてしまうというけっかになるのですが。

そう、この映画、これだけ矛盾を噴出させて、ケンケンガクガクと話し合ったり、悩んだりしながら、なんと、結論は、観客にまる投げです。

まあ、最後、ハンクが、人類との共存の道を選んで、なんか、「終わり」らしい終わりにはなっているのですが、なにひとつとして問題は解決されていません。

そう、選ぶのは、わたしたち自身なのです!!

熱いわ。

ローガンは、相変わらず、損なくじを引きまくりです。オロロは、今回、成長した感じかな。準主人公という感じでエグゼビアの理想を継いでがんばっています。
あと、エンジェルは、……注射がそんなにイヤだったのか……??

残念なことに、今回も、ケイジャンことガンビットは出て来ませんでした。

で、エンディングが終わってから、ちょっとだけどんでん返しのカットが入ります。
やっぱり、わたし、エグゼビアを受け入れることが出来ないです。