バイバイ

俵万智,読書

サラダ記念日

これが、大流行したのは高校時代。
新しいものの好きで、流行もの好きの父が、これを買ってきた。

一読、これは、すごいと思いました。

その当時の国語の先生は、けっこう、否定していたけれど。

でもまぁ、万葉のころの歌って、こんな感じの素朴なものだったのではないかなぁと思ったのを覚えています。
言葉が古く為っちゃったので、今読むと伝わらなかったりするけれど、昔、歌った人たちはこれぐらいの距離感で歌ってダリしたのではないかと思ったのです。
まぁ、実際のところはどうなんだかわからないのですが。

それから、次の歌集ぐらいまでは、読んだりしていたのですが、いつの間にか俵 万智からははなれていたのですが、これも父が読んでいた「文藝春秋」で、「愛する源氏物語」の連載を読んで、また、読みたくなって読んでいます。

その時にしか歌えない歌だと思うけど、なんか普遍的なものもあっておもしろい。
そして、今読むと、昔読んだときほどポップな感じじゃないのでビックリした。
なんか、昔はもっと言葉の意味が、ダイレクトに映像になって浮かんでいた記憶があるのですが。

もしかすると、わたしは、今の方が昔よりも頭悪いのかも。


本日はお忙しいところを亡き父の葬儀にお集まり下さいまして、まことにありがとうございました。
また、入院中には多くの皆様にお見舞いをしていただきまして本当にありがとうございました。
今は、感謝の言葉を伝えるすべをなくしてしまった父に代わりまして、改めて御礼申し上げます。

元気な頃の父は、厳しいところもあったのですが、お茶目なところもあって、おいしいものを食べたら、

「あぁ、うまかった。牛負けた~」

とか、ダジャレを言ってみたり。
けっこう流行に敏感で、スターウォーズが流行っていたら兄貴を連れて映画を見にいってみたり。
近所にトイザらスというおもちゃやができて人だかりができていると知れば、わたしと妹を車に乗せて行ってみたり。
ある日、「サラダ記念日」が流行っていたら、急に買ってきてみたり、でも、ほんとうに楽しんで暮らしていて、こっちも楽しくしてもらいました。

本が好きで、特に歴史小説をよく読んで、本棚にたくさんの歴史小説が並んでいました。その父の本棚をながめながら、わたしたち、兄弟3人、その本を読んで育ってきたなぁ。けっこう好みとか、なんだかすごく影響されているよなぁと感じました。

若いときから、体自体はそれほど強くなく、けっこう何度か、大きな手術をくぐり抜けていて、おなかの手術の後を見せては、

「こっから、お前たちは生まれた」

と、ホラを吹いていた父も、去年の6月に入院して、7月に手術してからは、どんどん体がやせていきました。

それでも、一時は退院し、体も回復し、ちょっとつかれやすくなったけれど、家族で食事を食べに行ったり、大好きな畑仕事に行ったりしていました。

今年の1月には、親元に戻り、親戚の者達と楽しい時間をすごしたり、友だちに呼んでもらいごちそうを振る舞ってもらったりすることができました。

しかし、1月14日。検査のために病院にきていて、気分が悪くなり再入院。リハビリをがんばりながら2月17日には75歳の誕生日を病院で迎えました。

病状は、一進一退を繰り返していたのですが、先週の前の土、日あたりから、具合が悪くなり、しんどいとは言っていても、わりと我慢強く、絶対にナースコースをおさなかった父が、

「看護婦さんを呼んで」

と訴えるようになり、本当に我慢できないぐらいにしんどいのだろうと家族で心配していた矢先の25日。午前0時14分。息を引き取りました。

来年、金婚式やし、その時は子どもたちとそろって一緒に温泉にでも行こうな。そう言っていたのに残念に思います。

もっと父と語り合いたかった、もっと父からいろいろなことを学びたかったという思いがこみ上げてきます。
きっと今頃、頼りないわたしたちを、父はそれでも、ニコニコしながら見守ってくれていることと思います。

今回の式に際しましても、至らぬ点、たくさんお目についたことと思います。
どうか皆様、未熟な私どもに、今後とも亡き父同様にご支援を賜りますようお願い申し上げます。

故人が生前に賜りましたご厚情に改めて御礼申し上げますとともに、今後も変わらぬ ご指導をお願い申し上げまして、私からのご挨拶とさせて頂きます。

本日はご会葬まことにありがとうございました。