なくした右手がつくりだすもの

こうの史代,この世界の片隅に,映画,読書

この世界の片隅で 下

原作を読む前に、映画を2回見てきました。
もちろん、ものすごく良かったというのもあるのですが、最後の右手の意味はなんだったんだろうというのが、ものすごく気になったからでもあります。最初、ホラーかと思った。

それは、映画のラストの歌が「みぎてのうた」であることや、この原作を読むことで、腑に落ちました。

今まで、ずっといろんなことをしてきて、いろいろなものを生みだしてきた右手は、なくなった後も、物語を紡ぎ続けていた。過去の物語も、未来の物語も。
1つは、りんさんの生い立ちという過去の物語だし、もう1つは、母親を亡くして北條家に来た女の子の話でもある。さらには、鬼いチャンが人買いになる話も含まれている。もっといえば、「この世界の片隅で」という物語全体すら、その右手が語った物語だといえると思ったりしました。
もしかしたら、全ては、ただのすずさんの妄想なのかもしれない。でも、それは世界を変化させていく力を持っているのかもしれない。
そう思って見たとき、ものすごく唐突に見えるさぎのエピソードも、実は、見えていたのはすずさんだけなんじゃないかと思えてきたりします。あの絵、さぎの部分だけなんか浮いている感じがするんですよねぇ。

最後の「しあわせの手紙」は、「みぎてのうた」の元になったものです。
こっちの方が、長くて詳しい分、ドキッとする表現も多いのですが、好きです。
読むたびに、うなずきながら、そういうふうに生きられたらなあと思います。