マルドゥック・スクランブル3
なんか、けっこう非道い話になったなぁと。
人であるが故に、簡単に溺れてしまう。自分が憎悪していた対象といつしか同じものに変化していく恐怖。
これは、原作の文章の方を読んでいないのでわからないのですが、冲方 丁って、割とそれを熱くかく人だと思うのですが、マンガは、それをけっこう、淡々とかいています。
最終巻。
ふんわりとした着地。
これねぇ、いやな感じでかかかれている大人達も含めて、誰も間違ったことを言っていないということに気づいて欲しい物語ではあります。
だれの中にも、いい面もあれば、受け入れられない面もある。自分の中ですらそうなのだから、他人ならもっと。
それでも、好き嫌いを越えたところで、一緒に生きていかなければならないとしたら、どうやって、自分や他人を受け止めればいいのか。受け入れながら、それでも自分らしく生きていくにはどうしたらいいか。それぞれに、出す答えは違っているかもしれない。
今、どうしてもコイツが許せないと思っていても、何年後かに読み返したら違う考え方をしている自分にあえるかもしれない。その変化すらも、自分自身の選択なのだと思います。
何度も読み返し、大切にして欲しい物語です。
将也が眠っている間の登場人物達を1人1人丁寧にかいていく6巻目。
将也と西宮さんの物語だった映画版では、ここもバッサリとカットされた部分です。
でも、もしかしたら物語を膨らませていくときに、作者的にはここが1番大切にしたところかもしれないですね。
そして、変われるところあるし変われないところもある。変われないところも抱えて、それでも生きている。
西宮さんのお母さんと植野さん。植野さんと結弦。
将也のお母さんの西宮さんに対する態度も、すごいと思いました。大人だっていっぱいいっぱい生きている。それが、子どもにも伝わればいいなぁ。その上で、やっぱり子どものことを大事だと思っているし、成長して欲しいと思っている。
そして、かかれていく1人1人の内面。選択。
今回、マンガを読んで気づいたのは、もしかしたら子ども時代、
「わっ」
といった将也の声だけが西宮さんに直接聞こえた声だったのかもということ。