真・餓狼伝5
爽やか筋肉物語。
基本、体躯会系のノリって好きじゃないのに、格闘マンガが好きなのはなんでだろうと思います。
まぁ、子どもの頃、プロレスの黄金時代だったというのが大きいのだろうなぁ。
梶原一騎がいたことも、多分、大きい。
そろそろ夕食ということで、ねぇさんは、用意。
ちょっと空いた時間に、すぐにあそべるとゲームということで、和邇之児さんとカナイ セイジさんの「R-Rivals」です。
「ラブレター」は凄いゲームで、4~5人の子ども達とゲームを遊ぶときのド定番です。まあ、子どもだけでなくゲーム慣れてないよという人と遊ぶときは、このゲームを最初にすることが多いです。
でも、2人で遊ぶときは同じカナイ セイジさんの「RRR」が好きです。
「ラブレター」、「RRR」ぐらいから、カナイセイジさんのゲームを知ったので、初期のゲームはやりたいけれど品切れな状態で遊べなかったのです。
「R」は、そんななかの1つで、遊びたいなぁと思っていたのですが手に入らないゲームでした。でも、最近、この「R」をリメイクした「R-Rivals」が出たのです。1
「R」に追加ルールをつけたものみたいです。
情報としては、「ラブレター」の様にたった16枚のカードだけをつかったカードゲームらしい。でも、「RRR」様な2人用の対戦ゲームらしい。
ということで、これだけで、けっこうワクワクします。
それぞれのプレーヤーは、8枚ずつのカードを持ちます。お互いに、同じカードです。青い国と赤い国。
8枚全部が手札です。プレーヤーは、それぞれ1枚手札を選んで、同時に公開してカードの強さを比べます。
1度使用したカードは、もう使用できません。次のカードを選んで、また勝負します。
4回先に勝利した方が、勝利です。
カードには、数字かかかれていて、基本的にその数字が強さを表します。だから、基本はトランプの「戦争」みたいな大きさ比べです。大きな数字が勝ち、小さな数字が負けます。同じ数字だと、勝負は保留になり、次の勝負に持ち越されます。
でも、それだけではありません。カードは、それぞれに特殊能力を持っています。
この世界で、最強の8という強さを持つ「王子」のカードは、2の強さしかない「姫」のカードに負けてしまいます。
その他、絶対に勝負を保留にしてしまうカードや、本人はたいした数ではないけれど、次の勝負を有利に進めるカード、相手と数字を入れ替えてしまうカードなど、いろいろです。
遊んでいる感じは、4回勝負のじゃんけんをしているみたいな感じです。まあ、時間も5分ぐらいで終了する簡単なゲームです。
すごろくやさんの「ぐーすか、ぱーすか」に似たプレイ感かな。
けど、けっこう迷います。
わたしが迷うのは、スタートですねぇ。
「王子」は、後に出せば出すほど、相手の「姫」とバッティングしやすくなります。なら、最初から、出して置いたらどうか。そうすれば、「姫」はただの2点のカードになって苦しいはず。
とか、
いや、それを読んで「姫」とか「王子」で合わされるとまずいので、「道化」から始めて、2回戦目に「王子」でとるか?
とか、
いやいや、2点取れる場面があれば、「相手」も全力でくる可能性があるから、そこは「姫」を出す……いや、「姫」はあまりにもリスキーか?
とか、いろいろ楽しいです。
そして、ゲームが進むにつれて、お互いに手札が減っていきますので、最終的には、二択的な展開になります。
これは、あんまり「もう絶対に勝てないやん」という感じにはならずに、負けても「あっちだったか~」という声が出そうになってけっこう楽しい。
今回は、わたしが勝った記憶が。
他のゲームの手番決めとかに使ったらいいと思ったけど、2人用なのね。
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キュービスト
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映画見てきて、その後に本を読みました。
本は、複数の出版社から出ています。ハードカバーの青い本が気になったけど、文庫本があるので断念。
こういう翻訳文学で、児童文学なら、新潮文庫が堅いかなということで、新潮文庫版をチョイスしました。
岩波版の「です・ます」調の翻訳にも、ちょっと引かれたのですが。
まずは、映画の感想ですが、すぐに原作本を購入して読んでいるのからわかるように、かなり気にいりました。
映画を見にいく数日前に、多分この映画のプロモーションとしてテレビで同じ監督の「借りぐらしのアリエッティ」をやっていて、そっちは、ものすごく「なにか足りない」感が多くて、これは、「マーニー」見にいくのやめた方がよいかもしれないなぁと思ったりしていたのですが。
「マーニー」は、「アリエッティ」とは、比べものにならない位の完成度でした。
「トトロ」は、びっくりするぐらい事件がほとんど何も起こっていないにもかかわらず、見入ってしまう映画でした。
「アリエッティ」は、逆に、いろんなことが起こっているわりに、感想が「それで?」みたいな感じの映画でした。人間関係や物語のなにかもかもが宙ぶらりんのまま、でも、アリエッティは引っ越しして終わりってどういうことよという思いが。まあ、それがリアルと言っちゃあリアルなのかもしれないし、あの小人がでてくるファンタジーでリアルさを感じるというのはある意味、すごいことなのかもしれませんが、なんか、もっとちゃんとしたお話に出来るだろう感が強かったのです。
で、「マーニー」ですが、動きだけでいったら、その「アリエッティ」よりも動かない映画です。でも、ドラマは、「アリエッティ」よりもあるのです。
まあそれは、こっちのストーリーが、わたしにとって好みのだというだけかもしれませんが。
基本、わたしの物語を読むって、感情移入なんだけど、それが、いきすぎちゃった感じ、引きずられすぎるぐらい引きずられる感じがあります。
映画を見ていて、あの画面に映っているのが、杏奈か自分かの見分けがつかなくなっちゃってる感じになりました。
だから、本当は、いい映画かどうかなんてわかんないんですよ。
でも、いい映画かどうかなんでどうでもいいぐらいに、自分の深いところに刺さったのは事実です。
だから、映画が、あのいい感じのところに、無難なところに着地してくれなかったら、今頃、うつになっているんじゃないかとすら思います。
魔法の輪の外側にいるって、わたしの中では、みんなの周りに輪があってそこに自分が入れていないイメージではなくて、自分の周りに輪があって、そこに自分しかいないイメージなんですよねぇ。
輪の中には自分しかいない。そして、ここが外側だ。意味わかんないかもしれないけれど。
まあでも、その輪の外側にいる感覚というのは、けっこう誰もが感じている普通の感覚という気もするんですけどね。
そして、輪の中に入るっていうのは、誰かの輪に入れてもらうことではなくて、実は、この自分に向かって閉じている自分の輪を少しだけ広くして、少しだけだれかを入れるっていう事なんですよねぇ。
それが、わたしらにはどんだけ抵抗のあることかを思い知らせてくれる映画でもあります。
だから、最初は、そのわたしのいる(杏奈のいる)「外側」に入ってくるのは、たった1人だし、マーニーのような「秘密の友だち」であるのです。
その存在が事実や、生身の人間であったかどうかは問題ではないのです。
その時に、自分の全身全霊をかけて、「信頼にたる人と出会うことが出来た」という経験は、事実であろうとなかろうと、るその人のなかの真実なのですから。
まあ、いつ杏奈が、廃墟になった湿っ地屋敷で、白骨化したマーニーに出会うんだろうかとか、映画みている間は、ちょっと思ってもいましたが。
マーニーが何者であるのか?
孤独な少女が生み出したただの想像上の「秘密の友だち」なのか、それとも、実在の存在なのか。
そこは、「トトロ」同様、ものすごく上手にぼかされています。
どっちの解釈も、ものすごくしっかりとできる。
ある人は、これを本当に不思議な少女と過ごしたそういう物語として受け取るだろうし、また、ある人は、不安定な杏奈の心と記憶が生み出した幻の少女だと解釈するかもしれない。
そして、このどっちの解釈も可能なファンタジーというのは、けっこう大事なことなのではないかと思います。
ただのファンタジーは、ファンタジーを信じる人のためだけのものですが、こうやって、ファンタジーじゃない解釈をいれることで、ファンタジーなんだけれど、すべての人に起こりうる物語として形が作られています。
わたしは、わたしが好きと思っている人には、この映画見て欲しいと思います。
それで、どんな感想を持つのか話したいなぁと思います。特に不器用に生きている子たちと。
あと、プリシラ・アーンのあの歌がものすごくいいですよねぇ。
あれも、心に突き刺さる歌です。
というのが、映画の感想です。
ストーリーとかは、これ読んだだけではさっぱりわからないと思います。
アリエッティダメだった人も、見てみてね。
で、ここから本の感想です。
実は、映画は、ものすごい繊細なお話で、多分、本の方はそこまではないだろうなと思っていました。
それは、たしかにそのとおりだったのですが、本の方が明確に見えてくるものもあって、そこが面白いなぁと感じました。
その1つ目は、映画の杏奈と本のアンナの違い。
感じ方や、置かれた状況は、ほぼ同じなのですが、けっこうわしのなかで、印象が全然違いました。
実は、「思い出のマーニー」の本を読んでいる間、ずっとわたしのなかに、似たような印象の本として浮かんでいたのは、「自閉症だった私へ」なのでした。
そう考えて物語を読むと、アンナの人との接しにくさや、ワンタメニーとの関わり合い、マーニーとの関係、たくさんのこだわりが、なぜ彼女にとってマーニーが必要だったのか、ものすごく理解できる様に感じます。
「暗闇の速さはどれぐらい」も、そういう主人公の物語でした。
と思って、ねぇさんに、
「これって、『自閉症だった私へ』に似ていない?」
と聞いたら、
「えぇっ、あのレイプされたりひどいことされる話だよねぇ」
と言われてしまった。
えぇ、「自閉症だった私へ」って、そんな話だったっけ?それは、わたしの印象の中にはまったく残っていないのだけど。
まあでも、たしかに虐待の話とかはあったですが。
それよりは、自閉症スペクトラム障害を持った人同士が、自分と同じ感じを持つ人を見つけて理解し合って静かに過ごしている様子や、石の小さな差異がわかったりという部分が印象に残っているのですが。
そして、アンナが過敏な部分や、言葉をそのままストレートに受け止めてしまうところは、どこか、作者が自閉症スペクトラム障害を持った子どもをイメージして書いたのではないかなぁと感じたのでした。
もちろん、作者が、そういう障害のことをしっていたかどうかはわからないのですが、多分、その時にモデルになった人物や出来事の一部に、そういう人がいたのではないかなぁと思ったのでした。
多分、アンナとワンタメニーは、お互いが同じところがあるということを感じたのではないかと思うのです。
だから、お互いに気むずかしい感じ同士なのに、自然と接している。
少なくとも、そういう関係が成り立つということをリアルに知っていたのだろうなぁと思います。
そういう「理解しにくい人」をそれでも理解したいと思ったときに出来た物語が、この「思い出のマーニー」ではないかと思います。
自閉症スペクトラム障害を持った人を健常者は理解しにくいです。
基本的に、「心の機能」が理解しにくい自閉症スペクトラム障害といわれていますが、「自閉症」について書かれた本を読んでいると、けっして、他人の「心の機能」が理解できないのではなくて、おそらく別のルールで「心の機能」が動いていることがわかります。だから、同じ障害を持った人(同じルールで「心の機能」が動いている)同士なら理解し合えます。
実は「人の心がわからない自閉症の人」というのは、自閉症の人の心がわからない健常者という意味でもあります。
でも、理解できなくても、少しでも知ることや、想像することが出来たら、多分、その人の居場所をつくることができる。
それは、治療とは違う考え方として、一緒に生きていくことが出来るのではないかなぁと思います。
障害が、オープンになっていく過程で、その言葉なんかを侮蔑の言葉として使うことで自分の不安を解消しようとする人間というのは、いつも一定数はいるのですが、そこで止まってその言葉を禁止して終わるのではなくて、その「違い」こそを共同体の強みとしていくことは可能なんじゃないかなぁと思うのです。
実は、健常者、障害者といっても、スペクトラムって一続きの連続体で、どこかに明確な切れ目があるわけではありません。
だから、だれもがなんらかの偏りをもっていて、なんらかの生きにくさをもっています。自閉症スペクトラム障害の人は、その生きにくさが人よりも強い。
人よりも強いといっても、人同士でどれぐらい辛いのか心の中を比べることはできませんので、まあ、外から客観的に見て判断するしかないわけです。
多分、ある時代、「障害」と呼ばれなかった差異でも、時代と共に「障害」とよばれることもあると思います。
「障害」って呼ばれても、それはいいのかもしれないと思います。その差異を知ることこそが、第一歩で、みんな自分なで同じで、自分と同じように感じ考えると思うことが実は差別を生んでいるような気がします。ただ、その「障害」を排斥するための言葉として使わずに、一緒にお互いが楽しく暮らしていくためには、どうしたらいいのかということを考える言葉として使われて欲しいと感じます。
そして、少し自分よりスペクトラムの向こう側にいる人だがいるなと感じるときに、もしかしたら、その子は、こんな風な「マーニーのいる世界」を見ているのかもしれないと想像することは、多分、お互いに生きていく上でとても楽になる考え方だと思います。
映画の彩香は、ちょっとオタクの入ったアクティブな女の子でした。
でも、本の方のプリシラは、ちょっと気むずかしい女の子としてかかれています。プリシラもまた少しかたよったところがある女の子なのだと思います。
彼女の家族は、プリシラやアンナを、いてもいなくても同じように扱います。それがとても、アンナを安心させる。
そういえば、下宿のおじさん、おばさんもそうですね。
まあ、映画では見てて、あんまりにも気にしなさすぎだろうとか、思ったりはしたのですが。
でも、そこに愛情がないわけではない。
見守ってくれているという安心感はものすごくある。
それは、この家が、子だくさんの家だからという感じで本では書かれていて、それは、確かにそうだなぁと。
ある意味、手がいき届かないからこそ伝わる愛情もあるのかもしれないと思ったりしました。
映画と本とどっちが好きかといわれれば、断然、映画なのですが、原作本のマーニーも、いろいろと生きることを考えさせられる1冊でした。
ちなみに、今までで1番衝撃をうけた、原作と映画で違う物語は、「私の中あなた」です。