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ヘルマン・ヘッセ全集8 ロスハルデ クヌルプ 物語集6 1914-1918

「ロスハルデ」、「クヌルプ」、「放浪」と、放浪する主人公、彷徨する魂のお話。
真面目な「車輪の下」とかとは対極のお話かな。それでも、「車輪の下」でも、やっぱり主人公が求めていたものは、魂の自由だったので、もしかすると、全部同じ話だといってもいいのかも。

もちろん、「ペーター・カーメンツィント」とかも彷徨するお話だと思うし1、ヘッセのかいたお話というのは、まあ、一貫しているのだなぁと。だから、ヘッセが好きなんだなあと思います。

わたしの中では、夢枕 獏の主人公が(特に「キマイラ」とか、彷徨するのと、同じカテゴリーに入っていたりします。

でも、今回読んでみて思ったのは、本当に根無し草になりたいと思っているのではなくて、故郷を中心にグルグルまわっている。
まあ、スナフキン的な彷徨なんだなぁと。

あと、「放浪」を読んでいて気づいたのですが、この人、真面目なときほど神様から遠ざかって、自由に勝手気ままになればなるほど神様に近づいて行く。なんというか、不思議な矛盾というか、ジレンマがあります。

でも、たしかに、心のままに無理なく生きることが、神様の御心にあった生き方であるのかもしれないと思ったりします。

クヌルプの最期の神様からの全肯定は、まあ、彼自身の思い込みかもしれないのですが、それが感じられたらしあわせであろうなぁと思うのでした。

  1. 「青春彷徨」なんて訳題もありましたね。 []

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ヘルマン・ヘッセ全集7 ゲルトルート インドから 物語集5 1912-1913

さて、けっこう再読を楽しみにしていた「ゲルトルート」です。「春の嵐」ですよ。

前半、割とストーリー覚えてたのですが、ゲルトルート、全然、出てこねぇ(笑)
いや、あのソリで怪我したところとか、めちゃくちゃ印象に残っていたのですが、あの女の子、ケルトルートじゃなかったんだ(爆)

そして、後半も、ゲルトルート出てきて良い感じになったかと思ったら、男の友情みたいな話になってました。
なんか、ゲルトルートと良い感じになったことは覚えていたけれど、男なんて、なにひとつ覚えていないという。

多分、中学校ぐらいのときに読んでいるんですけれど、まあ、好きなところを好きな解釈しながら、つまみ食いして読んでたんだろうなぁと。

まあでも、わたしにとって読書って、そういうことだと思っています。多分、今も。
だから、自分にとってどれぐらい共感できたり、感動できたり、おもしろかったかというのが最優先で、その作品そのものの価値とかは、実はどうでもいい。

そして、「ゲルトルート」は、今回読んでもおもしろかったし、中学生時代のあの時期、確かになんらかの憧れをもって読んでいたことは確かなのです。

インドのやつとかは、若干、有色人種への偏見が、それでもあるようには感じます。
まあでも、その時期の白人の偏見に比べたら、ましというか先進的だったんだろうなぁと思います。

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ヘルマン・ヘッセ全集6 物語集4 1908-1911

「物語集」4。
「都市」みたいな変な小説もあるけれど、まあ、ほとんどは、愛すべきキャラクターたちの物語です。

「クジャクヤママユ」は、高校時代の「少年の日の思い出」の刷り込みが強くて、あっちの方が完成されていて好きです。
あれ、翻訳家がかなり改変しちゃった小説みたいな話も聞いたような気がするのですが、それは、間違えなのかな。

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ヘルマン・ヘッセ全集5 車輪の下 物語集3 1906-1907

「物語集3」。
次は、「ゲルトルート」だと思っていたのですが、5巻、6巻は、物語集でした。
ということで、「車輪の下」から「ゲルトルート」までの間、同時期にかかれた短編集という感じです。

なんとなくですが、ヘッセ自身の書きたい物語と売れる物語の間で、ちょっとずつ調整をしているような様子も感じられるかな。
「ある文通」とか、「友人たち」は、それが綺麗に整理されて表現されている気がします。

自分のためだけにかいていたら、多分、ここまで愛される作家にはなってなかったんだろうなぁ。
そういうところも、実はヘッセの好きなところです。

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ヘルマン・ヘッセ全集4 車輪の下 物語集2 1904-1905

さて、心配していた「車輪の下」ですが、楽しく読み終わりました。
というか、割と記憶にあるよりも、明るく緩いぞ。まあ、頭痛という重低音がずっと鳴っているのですが。

まあ、そもそも初めて「車輪の下」を最初読んだのは、小学校高学年か中学校ぐらいのはず。

部屋に兄貴のお古の子ども向けの世界文学全集みたいなのが並んでいて、まあ、暇なときにそれをパラパラ読んでいる子どもでした。土に日の朝とかは、親が起きてくるのが遅かったので、そういう時間があった。
その手の全集を買ってもらっている人は何人か知っていますが、それ読んでたというのは、うちのねぇさんに出会うまではあったことなかったです。

その中に「ああ無情」というのがあって、まあ、「レミゼラブル」なわけですけど、メッチャ印象的なシーンが、ジャンバル・ジャンが、自分の正体がばれてしまうのも気にせずに、馬車かなんかの下敷きになったおばあさんをたすけるシーンでした。

で、「車輪の下」という題名を聞いたときに、なぜか、

あぁ、あの本の本物、大人版なんだ。

という、閃きが(笑)大いなる勘違い。
で、読んで見たら、いっこうに銀の燭台を盗んだりしないし、少年時代ばっかりだし、ということで、期待したのと違っていた記憶が。
その期待したのと違っていたというのが、なんかつまんない印象として残っていたとしかいいようがないな。

ラストは確かに悲劇なんですが、それでも、いろいろなものを優しく楽しく書いているし、やっぱり美しいなぁと感じながら、しあわせな感じでいっぱいになりました。
「デミアン」までは、やっぱり、ヘルマン・ヘッセって、作者自身が思っていたり、読者に思わせたいと感じていたほど屈折していないようです。屈託がない気がします。あの「デミアン」の屈折したところも好きなんですけどね。
「デミアン」の感想でもキット書くと思いますが、「デミアン」書く時には、幼い頃から2つの世界があるのがわかっていたみたいなこと書いているけど、キミ、以前の作品にそんなこと書いてなかったよねというところも、好きです(笑)

このころのヘッセって、けっこう年寄りが好きで知ったかぶりな感じで書いているけれど、まあ、鋭いけれど見通し甘いところがあって、やっぱり、自分の理想を投影していたりと老いを書いていても若さを感じてしまう。

紡木 たくのマンガが、ほんのちょっと未来からなのに、ものすごく「追憶」の物語であるのと同じように、追憶がものすごく今のとなりある感じがいいなぁと思います。