みどりのマキバオー6
精神的な支柱を失って、さまようマキバオー。
でも、もっと辛いのは、自分が乗馬を許可したばっかりに、そういう結果を導いてしまった飯富調教師だと思います。
でも、彼は、マキバオーたちのために、そして、なによりもチュウ兵衛のために、悲しみを抑えなければならなかったのです。
その部分が、京都の夜の話で、ちょっと見える。
男だ。渋い。
精神的な支柱を失って、さまようマキバオー。
でも、もっと辛いのは、自分が乗馬を許可したばっかりに、そういう結果を導いてしまった飯富調教師だと思います。
でも、彼は、マキバオーたちのために、そして、なによりもチュウ兵衛のために、悲しみを抑えなければならなかったのです。
その部分が、京都の夜の話で、ちょっと見える。
男だ。渋い。
なんというか、泣けるだけではなくて、かっこいいのです。
そして、喜びの絶頂から、どん底に突き落とすこの話の運び方。
今を生きるマキバオーと仲間たち。
素晴らしい。
1巻目から、おぶさんとかは、めちゃくちゃチュウ兵衛に気を遣っていて、それは、いったいなんなんだろうと思っていました。
4巻目読むまでは、わたしは不覚にも気づきませんでした。
それは、「信頼」だったのです。
「生まれて間もないマキバオーをずっと支えてきたのはあいつなんだ!!」
だからこそ、マキバオーのことは、チュウ兵衛に相談して、と考えてきたのですね。
菅助とマキバオーの間にあるものも、同じです。
「みどりのマキバオー」というのは、人と人(いや、動物なんだけど)との信頼の物語なんだなぁと思った。
菅助のムチに泣かされます。
そして、絶対、ギャグだと思っていた「イヌ走り」も、実は伏線。
すごい。
昔、
「『マキバオー』?オレ、あんな絵のマンガ読まない」
とか言っていました。
そのとき、すすめた友だちは、
「あんな絵やけど…あんな絵だからこそ、このマンガは、いいんだよ!!」
と熱く語っていました。
そして、今、他の人に、同じ様にすすめる自分がいます(笑)
例えば、マキバオーや、騎手の菅助が、小さいこと。それは、ギャクではなくて、きちっとした意味があるんですよ。
そして、その事が、物語としっかりと結びついています。
「函館山の誓い!!」は、おぶ調教師が言われたようなことを、最近、わたしも言われたことがあるので、身にしみました。
なんで、手前らが、こいつらの限界を決めちまうんだ?
オレは、こいつらができるようになると信じてるよ。
手前の判断で、転ばないように先回りして、世話してやんのが親切で、いいことなのか?
人それぞれに対応するというのは、そういうことじゃねぇだろう?
それがわからないのなら、ずっと、わたしとは理解し合えないかもしれない。
自分のことをどうこうしたいと言っている訳じゃない。でも、こいつらがなんか少しでもできるようになったら、自分でできることが増えたら、うれしいじゃないか。
そういう欲望なら、確かにある。