アイスエイジ9
大人に気を使っている子どもの問題は、もんでん あきこの「竜の結晶」のなかにも出てきていて、あの時は物語としては完結しも問題としては未解決なままだつたけれども、ちゃんと作者の中では保留されていて、ずっと考え続けられているんだなぁと思うと、不思議と嬉しい気がします。
しかし、旅先に人が集まるって、宮本 武蔵みたいな話になっているなぁ……。
というか、いきなに国出るとか、行動力がある人は違うねぇ。
なんか、本当にいやな感じに見えた方がいい人を、いやな感じにかくよな~。
物語的には、○なんだが、ちょっと、それは単純すぎるのではないか、う~ん、と思ってしまったりもします。
ステレオタイプな人間をかかなくても充分物語を進めていけるはずの人なのにと思ってしまうんだな。これは、ちょっと贅沢なのかも。
サリとの話がのっています。
この人と西原 理恵子は、本当に、そこにある「現実」としての子どもと戦場をかき出します。
そこに、作者の言いたいことはいっぱいあるのだけど、淡々とかいていく。その意味を考えるのは、読者にまかされている感じがする。
それはもしかしたら、自分の中でも無理に結論を出していないからなのかもしれません。無理に結論を出さずに考え続けて、自分にできることをやり続ける。
隊長とか、きわめて複雑な人間を、そのままでかいていくところに、凄さを感じます。
まあ、高柳先生も、結構好きです。
それは、やり直しはきくと思っているから。生きている限り。
その代償が、どうしようもなく大きいこともあるけれど。それでも、きっと。
うーん、これはだれかのインナースペースなのかなぁ。
としたら、1番怪しいのは、ユアンかなぁ。
ドッキリでしたみたいなオチ……には、ならないよなぁ。
ここまできて。