一度きりの大泉の話
「少年の名はジルベール」読んでから、こっち読んでいます。
多分、2人とも、何が起こったのかはものすごく正確に理解していると思います。
そして、それぞれに書けるかぎりのことを書いたのが、この2つだったのだなぁと。
蜜月時代があった。その中で「精霊狩り」などの名作が生まれて、やがて、お互いに相容れなくなって。
そして、覆水盆に返らず。
その真ん中に、やっぱり増田 法恵さんがいる。この人もまた、語り継がれる伝説の人なのだなぁと思います。
70年代の傑作SFマンガ。
ほぼまあ、コレ知ってるよね的な作品です。で、どれも好きです。はじめて読むのは、筒井 康隆のと佐々木 淳子の作品ぐらいかな。佐々木 淳子は、ものすごく気になっていたけれど、ずっと読んでなかったマンガ家さんです。
まあ、あの時代の少女マンガは、特に凄いですよねぇ。もちろん、入っていない名作もいっぱいあるけれど。
好きなやつが1冊にまとまっているというだけでも、価値ありかな。
山田 ミネコの「冬の円盤」が入っているのが、ものすごいチョイスだなぁと。萩尾 望都の「あそび玉」にしても、竹宮 惠子の「ジルベスターの星から」にしても、最高傑作というよりも、原点な感じの作品が選ばれているのがわかります。
この選び方も、一貫していて納得感があります。古典感がでている。
筒井 康隆のマンガとかは、もっと他の入れる余地があっただろうと思ったりもしますが……。
おもしろい。
天才が、しのぎを削っている感じがあります。ときには、精神的なダメージを受けながら。
そして、その真ん中に、増田 法恵という人がいる。
ものすごいイメージをもち、まわりに影響を与えながら、完璧主義過ぎて自分では作り出せない人。
多分、「わたしが作った作品は、 竹宮 惠子」と言いたい気持ちもあるのではないかと思う。1そして、ある面から見ればそれは真実。
竹宮 恵子は、表現したいことは渦巻いているけれど混沌としていて、それをどう形にしたらいいかで悩む。未熟でもいいので、ひたすら創造していく。増田の言葉が、そのグツグツした渦巻きに形を与える。
萩尾 望都は、常に揺るがない表現の核があって、それは誰の言葉でも揺るがない。意味があるのは、表現したものだけで、表現されていない物語に、あまり価値を感じない。でも、ものすごい繊細な感受性をもっていて、そのくせ、天才故に嫉妬心や猜疑心がわからない。
そりゃ、名作が生まれるわと思うし、そりゃ、別れていかないと生きていけないわとも思います。
多分、なにも嘘は書いていなく、ある意味、懺悔も入っているのかもと感じながら読みました。
ということで、これは竹宮 惠子サイドからみた、大宮のあの頃。次は、萩尾 望都「一度きりの大泉の話」。
萩尾 望都も、でも、2人のことが好きだったのだと思います。だからこそ、封印までしなければならなかった。
増山さん、2021年の6月にお亡くなりなっていた様ですね。
わたしは、「神の子羊」の続きが読みたかった……いや、読みたいです。
世代によって、感じ方とか、重要と感じる作品は違ってくるとは思うのですが、どの世代から、神と思われているというのは凄いことです。
そして、今もかき続けている。
わたしにとっては、「11月のギムナジウム」や「トーマの心臓」が、やっぱり1番中心にあって、その周辺に「精霊狩り」とか「ビアンカ」とかの一連の作品があるのですが、ある人にとってはそれが、「半神」であったり、「残酷な神が支配する」だったり、「ポーの一族」だったりするのだろうというのは、ものすごく理解できる。
その作品を読んだ時期によって、その価値が大きく変わってしまうぐらいに柔らかにできているのが萩尾 望都の作品だと思います。