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宇治の結び 下 源氏物語

荻原版「源氏物語・宇治十帖」である「宇治の結び」完結です。

いや、「宇治十帖」は、源氏の一生が終わった後、間におもろない「匂宮」、「紅梅」、「竹河」の3編が入ってしまっているために、メッチャ損をしていると思います。
いわゆる、匂宮三帖ですね。
あの3編が、しかも源氏が死んですぐのところに入っているために、
「やっぱり源氏が死んでしまったら、物語がおもしろくなくなった……」
って、言われてしまいます。
まあ、わたしも、そう思っていました。

でも実は、それに続く「宇治十帖」は、おもしろいです。読み直しのきっかけを与えてくれたのは、俵 万智の「愛する源氏物語」でした。
で、今回、「宇治十帖」を読んで、「宇治十帖」というのは、「源氏物語」というお話をさらに進化させているところがあると感じました。

ちょっと、前半と後半の違いを話したいので、源氏が生きているときの物語を「源氏物語」と書くことにしますね。

「源氏物語」は、各帖、ゆるやかな繋がりはあっても、基本的に1帖1話完結なお話です。めちゃくちゃ長い「若菜」はあるけれど、どっから読んでも読めるようになっています。まあ、玉鬘十帖という例外っぽい部分だけが、ちょっと長編小説している感じです。

一方、「宇治十帖」については、ほぼ完璧に長編の小説として連続しています。めちゃくちゃ、構成が考えられて書かれています。
特に、「浮舟」から後の「蜻蛉」、「手習い」、「夢浮橋」の流れは、凄いです。「蜻蛉」で、完全に浮舟の事後処理をして、多分、それまでの「源氏物語」だったらそこで終了していたと思うのです。
それが、「手習い」で、実は生きていましたってオイ。
それまでの「源氏物語」においては、まあ、出家が最大の苦しみから逃れる手段であり、出家が赦されなかった人も、死でなんとか苦しみの連鎖からぬけられるというのはあったと思います。
でも、そんなことでは救われない。出家してすら、「まだ若いし還俗できるよ」とか言われてしまう。
それは、物語のなかのリアルが、多分、現実に追いついた瞬間ではないかと思います。

出家しようが、どうしようが、世の中のしがらみはどうしても追いかけてくる。それは、出家した後も、俗世から離れることができない定子をみていたその時代の人たちのリアルな思いだったのではないでしょうか。
だから、「清少納言でございます」の最後の定子の最後の願い(というか空想)を最初読んだときに、あぁ、ものすごくそれはアリだなぁと思ったのでした。

多分、清少納言が「枕草子」のなかに定子の光を写したように、紫式部もまた「源氏物語」のなかに定子を写していたのかもしれない。
源氏物語の作者が、紫式部1人であっても、複数人いたとしても、やっぱり、強烈に、宮中の中心としての定子として、意識はされていたのだろうなぁと思います。

昔は、途中で終わっているように感じた「宇治十帖」ですが、今読むと、ここで終わりになっているのは、とても、意味あることだと思います。
この物語として開いていく終わり方も、「源氏物語」にはない、物語の進化です。

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宇治の結び 上 源氏物語

今は大好きな「宇治十帖」です。
なんだろう、荻原 規子の源氏物語も、ヘッセ読んでいる時と同じく、不思議な多幸感があるんですよねぇ。
その多幸感は、登場人物の心情とはシンクロしていない不思議な読んでる自分に生じる感情なのです。

「紫の結び」は、あきらめた静かさが、それが不思議に読んでるわたしになんていうか落ち着いたものをくれています。
「宇治の結び」では、薫のどうしようもなさと女君の嘆きが、なんだろう、いつの世も変わんないなぁという、そして、けっしてそれが嫌な感じではないという不思議な気持ちになります。

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つる花の結び 下 源氏物語

「つる花の結び」完結。

うーん、近江ちゃん好きだなぁと思うと同時に、玉鬘って、最後までつまんない女だよねぇと思ってしまう。
まあ、つまんないは言いすぎか。美人というだけで普通の人だなぁと。

なんか、匂宮三帖は、いろんな試行錯誤しながら、主人公を決められない感じがあります。そんな部分も、外伝的です。

次は、宇治十帖。

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つる花の結び 上 源氏物語

中の品の物語。本当は、こっちよりも先に「宇治の結び」があったみたいですが、なんか間違えてこっちを先に。
なんか、もしかしたら、このあたりの掌編の方が、メインの「源氏物語」の流れよりも少し先に書かれた部分があるのではないかというお話には、ちょっとありうるかもと感心しました。別に、この流れ全部を先に書く必要はなくて、ちょっと掌編を書いて、大長編を書いて、落ち穂拾いをしてというのは、確かに充分考えられる気がします。

なんだろう、新しい解釈とかがあるわけではなくて、ただ淡々とお話が流れていくだけなのですが、なんでこんなに読みやすいんだろうと感じています。
そして、ヘッセ全集とこの荻原源氏は、読んでいるとものすごい多幸感が溢れてくるんですよ。理由は、謎なのですが。

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紫の結び3 源氏物語

紫の結び完結。

この後、中の品の姫君の話も、宇治十帖も書きたいと作者があとがきで書いているので、ちょっと期待しておこう。

でも、末摘花の話と夕霧と女二の宮の話は、この中には、はいってこなさそうですね。

末摘花の姫君のお話は、この「紫の結び」の中で書かれるべき物語だったのだと思ったのだけど……。
いやいや、この2編は、どの「結び」とも違う、また別の物語として特別に書かれるかもしれないということを期待しておこう。

「千年の黙」は、源氏物語の「雲隠」の巻に、仏事の秘伝みたいなことが書かれていて、藤原道長がそれをもとめるという話で、わたしは、それをどんだときは、なんのこっちゃと思っていました。でも、今回、この「紫の結び」の「若菜下」の後半あたりから、「雲隠」までを読んで、たしかに、狂った藤原道長が、この物語にそういうことを求めてもおかしくないのかもと感じました。
今まで読んでいた「源氏物語」って1、紫の上が亡くなった後って、けっこう省略されているんだなぁということが良くわかりました。
たしかに、光源氏が、匂宮や薫と遊んで寂しさをまぎらわしている場面というのは見たことがあるけど、仏事のこまごまとしたことは、絵にならないし、話としてもそんなに興味が出るところでもないから。

でも、今回、その部分がゆっくりと描写されていることによって、なんか、新しい発見でした。
まあ、原作の古典を読めということなんですけどね。

この物語全体にながれている不思議なのおっとりとした雰囲気も、よかっです。
現代とは、リズムが全然ちがっている。
それをここまで、表現している現代語版の源氏物語は、わたしにとっては初めてです。

多分、これが原作の雰囲気なのではないかなぁと感じました。

瀬戸内 寂聴さんの源氏物語は、けっこう気性が激しい感じがするし、「愛する源氏物語」は大好きですが、これよりも、色彩が明確で現代的な感じがします。ちょっとしか読んだことないのだけれど、どちらかといういうと谷崎 潤一郎訳の源氏物語を思い出しました。

どれぐらいの年齢の子が、この本を読んだらおもしろいのかというのは謎なのですが、「源氏物語」に出会う本としては、ものすごく適した1冊であると思います。

  1. 所詮、1番詳しいのが「あさきゆめみし」であったりするわけですが []