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北神伝綺

「かりん歩」。そして、ちょうど今、柳田 國男の「山の人生」も読んでいて、しかも、ラジオの「カルチャーラジオ 文学の世界」で「遠野物語を読み解く」(新谷 尚紀)を聞くという、全部全然意図していないのにというのに、「最強の繋がる楽しさ」を体験しています。

まあ、前に書いたとおり、自分の興味というのはけっこう狭いんだから、それが、ギュッと重なることは確率的に高くなるんだろうとは思いますが、なんか、不思議な感じがします。

そて、「北神伝綺」ですが、マンガ版は1回読んでいるはず。でも、こんな話やったかぁというのが、今回の感想です。
いや、前読んだときは、「MADARA」シリーズの外伝ぐらいにしか思ってなかったのかも。もっかい、マンガを読み直してみなければと思いました。
めちゃくちゃおもしろい。
柳田 國男が、めちゃくちゃ異能者です。ほぼ、そのまま「文豪ストレイドッグス」に出てきても大丈夫なぐらい。
大塚 英志のフィクション、容赦ないなぁという感じです。史実の側面を自分でわかっていて歪曲というか誤読していくみたいな。

そして、ストーリー自体は、ほぼ何にもなくて何にも進んでいないんですよ。これも、凄いな。
だいたい、柳田、けっこう怯えたりして、北神に「このことをフィールドワークしいこい」とか言っているのですが、ほぼ、真相も何もかも、お前、自分で知っているだろうという。
で、なんでそんなことを北神にさせているかというと、答え合わせですらなく、多分、「物語をそこにあらわにする」ためだけにさせています。

語ることは騙ること。
柳田が集めてきたような世間話とか、伝承とかは、多分、話されるごとにどんどん変質していきます。
もちろん、話す人の気質でも変化していく。
また、ときには、聞き手の気質によってすら話される内容は変質します。請われて話されるものがたりは、多分、聞き手にとって聞きたいことに近づいて行く。それは、聞き手が改ざんするという意味ではなくて、自然とコミュニケーションとして、話し手が聞き手にあわせて変化させてしまうこともあるのではないでしょうか。

そして、もちろん柳田は、そんなこんなことは承知していた。それでも、その話の中だけではなく、そう話されなければならなかった状況そのものにも、目を向けていこうとしていたのだと思います。
でもそうやって、語っていくことは、とても陰謀論とも親和性が高いということも、このお話は、警告しているのかもしれません。
文系の学問の楽しさって、多分のいろんな点と点が繋がって、なにかの形に見えたときにそれを発表し合う見たいな楽しさが本質にあるのだと思うのですが、たしかにそれは、とても、陰謀論と似ています。

どこからが学問で、どこからが陰謀論なのかは、わたしにはわからないなぁ。
今回、「北神伝綺」と「遠野物語を読み解く」の2つから思ったのは、柳田のなかで、その2つを分けるものというのは、「世間をよくする」かどうかだったのかなぁと思ったりしました。

それでも、フィクションとしての「北神伝綺」の柳田は「世間をよくする」ために、山人を滅ぼすことに加担したりしているし、「遠野物語を読み解く」の方でも南方 熊楠の「猥雑なものの民俗」を否定した話がでてきていました。
やっぱり、人にとって「世間をよくする」は、いろいろ違いがある。

まあ、柳田が「山人」の研究から離れたのは、単純に、興味が移ったというのが多分本当のところだと思います。

いや、この「北神伝綺」は、兵藤 北神の話ではなくて、柳田 國男のお話なんだなぁと思います。

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遠野物語 新版 付・遠野物語拾遺

今、インスピレーションがピピッと来て、荒俣 宏の「帝都物語」という題名は、この「遠野物語」からきているのではないかと気づきました。
違うかな?

「遠野物語」を読むのは、2回目です。
NHKで、「100分で名著」という番組があって、これが最近のお気に入りなんですが、それで取り上げられているのを見て、また読みたくなったのです。

言葉的には、若干読みにくいのですが、読むたびにいろいろ想像が膨らみます。
こういう話が伝わっていくシステムがどんどん失われていくのは、とても悲しいことだと思います。

でも、今のネットの広がりは、「お話」がテキストとして半永久的に残っていくので、もしかしたら、ぼくらは、新しい「遠野物語」的な世界を獲得していけるのかもとも思います。

拾遺集は、今回はじめて読みましたが、褌を盗む話とか、今のマンガにもありそうなホラっぽい話が楽しかったです。

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「捨て子」たちの民俗学 小泉八雲と柳田國男

わたしも、よく橋の下って言われたような気がします。

大塚 英志は、どうしても最近は政治的な語りになってしまいますね。これも、小泉 八雲と柳田 國男のファミリーロマン的な言動をみていく本なのですが、どうしても、それが、国粋主義的な方に向かう部分を必死に否定しています。

まあ、真面目な本なので、ウソを紛れ込ませてはいないとは思いますが、大塚さんの本だからねぇ(笑)偽ハーンの話とかは、けっこう出来すぎていると思ったり。
まあ、最終的には、「本当のこと」を知りたければ、自分の足で調べなさいということでしょう。もしくは、この与えられた物語で納得するか。

うーん、小泉 八雲も、柳田 國男も、あんまり読んでいるわけではないですが、けっこう好きなんですよねぇ。でも、その好きな部分というのは、たしかに、大塚 英志のいうように、「日本人」という幻想に支えられている部分はあるのだと思います。

でも、だからどうなんだろう?

とも、思ってしまうのは、あんまりにも無責任で、モラルがないのかな?

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黒鷺死体宅配便6

おっ、ひいた。
このマンガ、いろいろ謎はあるんだが、こんなに明確にひいたのははじめてかな?
でも、次の巻になったら、すっかり忘れられたようになっていて、宅配業が始まっていたりして。

唐沢の後の人の正体が、いよいよ明らかになるのかな?

最後についている外伝によると、柳田 國男の時代の人間らしい。
でも、正体は、やっぱり、さっぱりです。

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柳田國男 ちくま日本文学全集33

柳田 國男の名前を知ったのは、きっと大塚 英志経由だと思うので、高校生ぐらいの時かな?多分、大塚 英志のマンガを民俗学的に読み取るという評論のなかだったと思います。

そして、「遠野物語」は、高校の時の読書感想文の課題図書の中にあった。実際にわたしが読書感想文を書いたのは、カフカの「変身」で、他の本は読んでいません。
そして、「遠野物語」と「変身」以外は、題も著者も覚えていないのだから、「遠野物語」は、そのときから、ずっと引っかかっていたのだと思います。

内容は、なんとなく聞き知っていた。なんか、昔話みたいな話らしいと。

大学で、「文化人類学」の講義をうけて、おもしろかった。そこで、日本にもよく似た「民俗学」という学問があると聞いた。その大家が、柳田 國男らしいという話も聞こえてきた。
「民俗学」というものの輪郭が、なんとなく朧気に見えてきた。

「遠野物語」。いつか読んでみたいと、新潮文庫の本も持っていたと思いますが、読む機会がないままウン10年。

今回、やっとこさ、その「遠野物語」と、柳田 國男の作品に触れることが出来ました。

昔話だと思っていました。
違っていました。
ここで語られる遠野のお話は、もっともっと身近なこととして語られていました。

そして、アウトローに生きることすら認めてしまう大きさ。
嘘を笑い飛ばして、生きていく強さ。

そこはかとないユーモア。

「草の名と子供」を最初に読んだとき、いや、草の名は子どもが考えたのではなく、大人が考えたのだろう。昔の人は、今の人以上に草と接している時間があったのだからと、思いました。
それから、フッと自分の間違えと、柳田 國男の正しさに気づきました。
そう、昔の子どもは、大人以上に、ずっとずっと草と接し続けていたのだと。そして、そのまま大人になっていたのだと。

この人の目は、決して優しい目ではないと思う。
でも、なんでも、受け入れてしまう大ききな大きな目です。

そして、今、自分がこの年齢だから感じられることもいっぱい入っていると思います。
出会えて、よかったです。