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オール・ボール・コール・ゲーム(おはじき)

3か月ぶりに、小学校4~6年生の子どもたちを集めての「囲碁・将棋クラブ」が、行われました。
もう、わたしは、なくなってしまっていたのかと思っていたよ……。

えーと、普段は、ギプフ・シリーズや、「ラミィキューブ」なんかを会場に持って行くのですが、今回は、あまりにも久しぶりすぎて、しかも、あるのに気づいたのが急だったので、持って行くのを忘れてしまいました。

まあ、置きっぱなしの「ブロックス」が2セットと「インバース」、「アバロン」なんかもあって、あとカードゲームがいくつか……。

カードゲームは、あんまり「囲碁・将棋クラブ」向きではないかなぁ……どんな基準だ?

で、まあ、これでは、人数をさばけない。ということで、紙コップとおはじきを使って、急遽、「オール・ボール・コール・ゲーム」を遊びました。

実は、これは、最近2人対戦で、小学校2年生の子とよく遊んでいます。
あんなかっこいいコンポーネントは用意できないので、紙コップを自分の前に4つ、相手の前に4つ、それから、安全地帯をやっぱり紙コップで2つ。
各紙コップのなかに、おはじきを3つずついれて遊んでいます。

これ、2人ですると、すごく簡単に勝負がつくのと、ルールがすごく単純なので、1回やったら覚えられます。
そして、考えどころもすごく考えやすいので、子どもたちにとっても、おもしろいようです。

はじめは、2年生の子どもたち相手に、わたし、けっこうずっと負け知らずだったのですが、何回もやっているうちに(家でも、お家の人相手にしてる子もいるらしい)、3回に1回ぐらいのわりあいで、わたしに勝てるようになってきた子もいます。

今回は、年齢の高い4~6年生の子ともたちですし、たくさんの人数をさばかなければならないということもあり、いきなり、4人対戦です。

正式ルールと同じように、1つの紙コップには、おはじきを5つずつ入れて、スタートです。

最初は、子どもたちの基本は、安全地帯できっちり止って、手数を確保するということです。
とにかく、きっちり、安全地帯で止まって、連続手番を取ろうとします。

でも、終盤で、友だちのおはじきが少なくなってくると、自分のおはじきを相手のコップに送る「攻撃」の意味が見えてきます。

……はじめてやったときは、まあ、えてして、そう気づいたときには、自分の陣地には相手を攻撃するだけのおはじきが残ってなかったりするのですが……。
今回は、わたしが、自分の1番端のコップに、おはじきをためまくってますから(笑)

「うわー。もうすぐ、上がるぞ」

という声を聞けば、

「ドッカーン」

という感じで、攻撃です。
ときどき、おはじきをため込みすぎて、自分の紙コップまで、攻撃がもどってきたりもしますが(笑)

それを見ると、他の子たちも、ちょっきりだけではなくて、自分のとなりのプレーヤーにとどくだけのおはじきを持つということが、それなりに大切だということが見えてきます。

なかなか、勘が良くて、ビックリしました。

1人上がると、そのプレーヤーが使っていた紙コップと安全地帯1つを取り除いて、続けていきます。
このあたりは、やっぱり、製品版で遊んでみて、感動して欲しいところですね。

なんと、わたしは、3位あがりであったという。

なかなか楽しいということで、

「ぼくも、やりたい…」

という子が、多くて、3人ずつ2チーム作って遊びました。

1回遊んだら、もう、すぐに子どもでもインストができるというのも、このゲームのすごいところです。

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今回は、6月の日程がなかなか決まらなかったこともあり、「ぱふ・草津店」に、1枚もチラシを置かず、宣伝なしの開催でした。

実は、会場は3か月前から押さえられるのですが、3月はわたしが例の修羅場の真っ最中ということで、なかなか、予約に行くことができなかったのです。

チラシはできたら、2回分ぐらいの日程が載っていてほしいということで、チラシを作ってもらうのをスタッフの方にストップしていただいていたのです。
そして、結局、予約にいったのは4月でした。
うーむ。充分な宣伝がなかったので、大丈夫かな?

ということで、ちょっと、心配しながらの開催だったのですが、それにも関わらずスタッフあわせて33名という参加がありました。
宣伝をがんばった1回目、2回目に比べると、ちょっとさみしいか。これぐらいなら、ギャラリーではなくて、最初の小さいお部屋でも、大丈夫かも。
でも、いつまた、爆発的に人が増えるかもしれませんので、ギャラリーを使わせていただきます。

でも、今までは、どうしてもスタッフの手が不足するという感じだったのですが、これぐらいの規模だとスタッフも、充分に対応できてよい感じだと思いました。

今回は、宣伝を全くしなかったということから、リピーターのご家族ばかりになるのかなぁと思っていましたが、なんと新しく参加してくださったご家族が6家族もありました。

初参加のご家族が、どうやってこの会を知られたのかを聞いてみると、

  • 前回、来てくださったご家族からお話をきいて参加してくださったご家族が2家族。
  • 「ゆうもあゲーム会・京都」に参加してくだっていて、近いので草津の方も参加してくださったご家族が1家族。
  • 2か月前、「ぱふ草津店」に置いていただいたチラシを見て、今日始めてきてくださったご家族が1家族。
  • インターネットを見て来てくださったご家族が1家族。
  • スタッフの知り合いのご家族が1家族。

という内訳でした。

子どもたちの平均年齢は、6歳ぐらい。
やっぱり、就学前から、小学校1、2年生ぐらいの子が中心でした。

と、なぜいつものように、ゲームの話をせずに、概要の説明ばっかりをしているかというと、あまりにも、前のことすぎて記憶にないためです……。
最近は、こんなのばっかりですね。
記憶のあるうちに書くべきですが、このスタイルだとなかなかそういうわけにもいかないのです。

あと、どうしても、草津では受付業務の役割になってしまうので、集中してゲームに参加できないということもあります。

わたしは、「おなじはど~れ」をものすごく小さな3歳か4歳ぐらいの子と遊んだのと、ゲーム会終了間際に来た子たちと「オバケだぞ~」を遊んだぐらい。

「オバケだぞ~」は、ただし、途中でちょっと帰る方の名札の回収などをしに受付の場所に行っていたら、どんどん手番が進んでいて、帰ってきたときには自分のコマがさっぱりわからなくなっていました。

これとか、「にわとりのしっぽ」とか、集中して遊ぶ必要のあるゲームは、無理ですね。

あとは、1人でさみしく「ハイパーロボット(第2版)」を遊んだりしていました。
1人で出来るので、そういう意味では飽きないよいゲームです。しかし、1人でやっていると煮詰まるという問題もありますね。

あとは、すぐに離れられる積み木がどうしても、中心になっちゃっていました。
ちょっと、ストレスが(笑)
これが、「まだ遊びたい人は、普及に向かない(byベテラン・スタッフ)」ですね。

それでも、子どもたちが、ゲームを選びながら、

「あー、来てよかった!」

と言ってくれたのを聞くと、感動して、一気に、そういったモヤモヤが吹っ飛んでいくので、現金なものです。

もっと、遠慮なく言ってくれ~~。

図書館ということで、こわいのは、騒音。
あんまり、防音設備がないので、くれぐれも周りに迷惑のかからないように言われています。
もしかすると、騒音次第では、次回からこの会場を使えなくなることも……。
と、最悪の事態も考えていたのですが、図書館の方にも、活動に理解を示していただき、これからも、この会場を使わせていただけそうです。

1回目、2回目のときは、けっこう子どもの年齢層がよめなくて、難しめのゲームをチョイスしていたまですが、今回は、子どもたちが楽しめそうなゲームを中心に持って行きました。
遊びやすいものが多かったようです。

記録を見てみると、1番遊ばれていたのは、「カヤナック」や、「沈没ゲーム」などだったようです。

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なくしてしまった魔法の時間 安房直子コレクション1

「ゲイルズバークの春を愛す」で、結構、味をしめたので、読んですぐの感想を書いています。

といっても、大好きな安房直子の作品集ですから、それがなくても、しっかりと1つずつ書いているかもしれません。

安房直子の作品を意識したのは、中1のときに廊下に飾られていた中3の人の描いた絵でした。
多分、その頃、中3の最後には、ポスターカラーで、「課題なし」の絵が描けたんだと思います。

「課題なし」。なにを描いたって自由なんです。
もー、アイドルの顔から、マンガのキャラクターまで、メタクタの無法地帯です(笑)
特に、わたしたちが中1の時の3年生というのは、もう、本当にワルい人たちばっかりですから、すごい出来(笑)さすがに、ヌードはなかったけれど、けっこう、きわどい水着とかは、あった記憶があります。

まあ、放課後の3年生の廊下を歩いて、

「いいなー。俺らも、好き勝手に絵を描きたいよな~」

なんて言いながら、絵を見て回っていたわけです。

その中に、1つ。
忘れられない絵がありました。

それは、縦長のキャンパスに描かれた作品でした。
青紫色の霧のような不思議なひしがたの窓。
その窓のむこう側には、花束を抱えた1人の髪の長い女の子。顔は、大きな麦わら帽子の影になって見えません。

扉の横には、詩のような言葉。

桔梗の花で 指を染めて
その指で 窓をつくると……

絵の題名は、「きつねの窓」でした。

そのとき、なにか記憶の底から、

「このお話、知ってる…」

と訴えかけるものがあったのです。

それから、毎日、3年生がいなくなるのを見計らって(1年生が3年生の教室のある廊下を歩くなんて、怖くて出来ないような中学校でした)、その絵を眺めに行っていました。

どこで、「きつねの窓」なんて話をしったのか?
多分、小学校時代の教科書だと思います。
ただし、わたしの教科書ではなくて、おそらく兄貴がもっていた教科書に載っていたようです。

子どもの頃にすり込まれた好みと、大人になってから出来上がった好みとがあると思うのですが、安房直子は、こうやって、子どもの頃にすり込まれた好みです。

心にトゲとしてひっかかっていた、「きつねの窓」、「夕日の国」、「小さい優しい右手」、「北風の忘れたハンカチ」といった話が、実は同じ作者の作品だと知ったのは、なんと大学の時に、児童文学の講義をうけたときでした。

好みの話っていうのは、確かにあるのですが、ここまでひっかかっていた話全部が、同じ作者だとは思ってもいませんでした。
しかも、話自体は、よく覚えているのに、いつ読んだのか?どうやって読んだのか?だれかに話して聞かされたのか?ということは、まったく覚えていないんですね。

大学になって、安房直子の名前を知って、作品を読みあさりました。
でも、そのころには、そろそろ絶版になり始めていたりして、なかなか、読めない作品も多かったです。

ずっと、安房直子の全集が出ないかなぁと思っていたのですが、偶然、復刊ドットコムで、この安房直子コレクションが、出ていることをしりました。

けっこう、経済的に苦しいときでしたが、購入を決めるのは、速かったです。

日本のなかで1番好きな作家。
わたしにとって、安房直子は、そんな作家さんです。

さんしょっ子

「さんしょっ子」は、ストーリーだけ追って読むと、実は、ちょっとかみ合っていない話だと思います。

でも、安房直子のなかで、大好きな人に読んで欲しいなぁとわたしがオススメするのは、この文句なしに「さんしょっ子」です。

すずなの心の中に秘められた想い。三太郎のすずなへの想い。そして、さんしょっ子の三太郎への想い。

秘められた悲しみは、透明な朝の空気のように綺麗です。

思わず、すべての文章を声に出して朗読してしまいたくなります。

ひとりでさびし ふたりでまいりましょう
見わぁたすかぎり よめ菜にたんぽ
妹のすきな むらさきすみれ
菜の花さいた やさしいちょうちょ
九つ米屋 十までまねく

本当に、欲しいと想っているものは、手に入らないもの。
子どもの頃にわたしに刺さった、安房直子作品のトゲは、多分、この作品の頃から、その物語の底に流れ続けているのだと思います。

きつねの窓

最初にも書いたように、「きつねの窓」は、安房直子という作家の印象を強烈にわたしにすり込んだ作品でした。

あとで、大学の課題として自分たちで紙芝居をつくったりした記憶もあります。
あの紙芝居は、結局、わたしの元に返ってこなかったなぁ……。

むかしは、このラストを読んで、過去ばっかりを見つめる「きつねの窓」が消えてしまったことは、主人公にとっては、しあわせなことだったんじゃないかなぁ……とか、思っていました。

でも、今の年になると、自分がこんな窓を持っていたら、やっぱり手放すことは出来ないのだろうなぁと思ったりもします。

空色のゆりいす

目の見えない女の子と「色」のお話。
これは、この本で始めて読みました。と思ったら、講談社文庫の「ハンカチの上の花畑」に載っていますか?
あれ、読んでるはずですね。
でも、新鮮な気持ちで読めました。

目の見えない子と「色」のお話は、「マスク」というライオン症の男の子の話にもあって、あれも大好きでした。

女の子が、ばら色のいすにこしかけるところ。「赤」を感じるところ。
それから、だんだんうすれていくゆりいすにすわって、ため息をつくところ。
思わず、涙が出てしまいました。

実は、その2つの場面をここに書き写そうと思ったのですが、もう1回読み返してみて、もったいなすぎるので、やめることにしました。
ここで、その短い言葉だけを読むよりも、やっぱり、物語全体を味わって欲しいと思います。

「赤」を感じるところは、生き生きとはねるような描写です。
これも、もったいなすぎるので、ここには引用しませんね。

そして、ため息をつくところは…。
けっこう切ないシーンなんです。
でもそれは、幸福な記憶というものは、どんなに薄れてしまっても人の心に残るのだというメッセージも含んでいる気がします。

そして、最後の1行まで大好きでした。

これは、わたしにとっては、あんまり印象に残らない小品という感じですね。

でも、「耳のなかにある秘密」とか、「耳のなかをのぞくと海岸が見えて」というのは、けっこう好きです。

夕日の国

この話も、作者知らないまま、いつ読んだかもわからないまま、ずっと気になっていた話です。

「きつねの窓」を探す過程で、このお話にもたどり着いて、

「同じ作者だったんだ!!」

とびっくりした覚えがあります。
まあ、ある程度、好みに一貫性があるということでしょうね。

咲子は、ルビではちゃんと「さきこ」って書いてあるのですが、自分のなかでは勝手になぜか、「さっこ」と変換されています。
このモジャモジャ頭の女の子は、けっこうわたしのタイプの女の子の原型かもしけない……。と書いて、神坂知子のシルクロードシリーズの金目のツヴィとか、大島弓子の「たそがれは逢魔の時間」の邪夢とかのことを思い出して、自分が思っている以上に本当にそうだと気づきました……。
これが、もしかしたら、原点かも(笑)

でも、今回、イラストを書いている北見葉胡さんの絵の女の子よりは、ちょっとバタくさいイメージがあります。
でも、北見葉胡さんのイラストも、ちょっと大人ぶったところがでていて好きです。

これは、子ども心になんというか、女の子の魅力を感じさせてくれた物語です。
印象に残る物語で、感動タイプとトラウマタイプがあるとしたら、これは、完全にトラウマタイプ。
最後も、けっこう「どうしようもない現実」を子どもの前に見せてくれます。

だって、作者自身がそう信じているのなら、あの描写はしないだろう~。

でも、たとえ「夕日の国」が、女の子のついた嘘であっても、その世界があって、その世界が本当に見えたことは、主人公の男の子にも、読者にも残るわけです。

作り話をしてしまう人に惹かれるのは、実は、その人のなかに「孤独感」を感じるからかもしれません。

だれも知らない時間

太鼓の練習の時間をもらうことと、壺のなかの女の子のことは覚えていたのですが、結末をなんにも覚えいませんでした。

というか、安房直子さんの作品は、パーンと印象に残るシーンが、1枚の絵みたいにあって、それ以外の部分は、けっこう残っていないこともありますね。

この話のでは、それは、壺のなかの女の子の姿です。

ときに、このカメは、すごく怖くも見えるし、すごく優しくも見えます。
「時間」そのものなのかもしれません。

雪窓

なんとなく、話としては通っていない気がします。
全部を見通してお話を作っていく人と、書きながらお話を生み出していく人とがいるのですが、多分、安房直子さんは、後者なのだと思います。

だから、ときに自分でも思っていない方に物語が転がっていく。
でも、転がっていく先をとてみ信じているのだなぁとも感じます。

雪窓の屋台のなかの手袋をした女の子。
歌うようなセリフ。
多分、何年かたてば、ストーリーは全部忘れて、そんなシーンだけが残るのです。

どうも、わたしは、フレームのなかの女の子のイメージに弱いようです。
そして、安房直子さんは、初期の作品では、小さなものの中に世界を写し取るということに、情熱があるみたいです。

てまり

これも、「小さなものの中の世界」の話だ。
そして、夢がつながっている話。

今読んだところなのに、最後の印象が残っていなくて、今、どんなだったっけと読み返しました。

ファンタジーであるのに、どこか現実と通じている。
現実と通じているからこそ、ファンタジーの部分が、ものすごく切ないです。

赤いばらの橋

小学校の時、部屋に兄貴のお古の子ども向けの世界文学全集みたいなのが並んでいました。
それから、従姉の家からもらってきた本も。

ただし、本は、新しい方が魅力がある。
ということで、自分の選んだ本は、けっこう読んでいたのですが、この手のお古の本には、全然、興味がなくて、普段は並んでいるだけでした。

子どもの頃、朝、不思議と休みの日曜日には、早く目が覚めました。6時ぐらい。
親は、休みの日は、ゆっくりと寝ていたので、起きてくるのは8時ぐらい。
で、その2時間というのは、なんというか、不思議な「秘密の時間」だったわけです。

外に散歩にいったりもしていた記憶もあるのですが、そんなときは、普段あんまり読まない本棚のお古な本を引っ張り出して、読んだものです。

今にして思うと、「小さい魔女」や、「巣立つ日まで」とか、ルナールの「にんじん」など、おもしろい話は、自分の選んだ本よりも、こっちの方にたくさんあったような気がします。

そのなかの1冊。従姉の家からもらった本の中に、「北風のわすれたハンカチ」というのがありました。
このころはまだ、作者を意識して読むということはしていなくて、これが、安房直子さんの作品であることを知ったのは、やっぱり大人になってからでした。

この「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていた1編です。
たしか、3編のお話が入っていたのですが、これが1番印象の薄い話です。

もう1つの「小さいやさしい右手」の印象が強すぎるということもあるのですが。

でも、この話も、「小さいやさしい右手」も、なんか、なんでお母さんがあんなにいじわるなのかが、よくわからないんですねぇ。
無条件な悪意?

昔話なら、ままははであったとか、いろいろ意地悪な理由がつけられているのですが、いっさい説明なしで、抑圧するものとしての母親が描かれています。
このあたりは、けっこう子ども心に怖かったようです。

小さいやさしい右手

これも、「北風のわすれたハンカチ」のなかに入っていました。

子どもの頃の印象は、怖い話(笑)
よく切れるカマで、右手を落としてしまうシーンが、やっぱり、強烈に焼き付いています。

だから、ラストはほっこりと暖かい「北風のわすれたハンカチ」の作者とは、違う人なのだと思っていたようです。

今読み返してみても、やっぱり、怖いです。
でも、怖いのは、魔物ではなくて、人間なのかもしれません。

「ぼくには、とってもできないな。」

そう言う魔物の心は、自分の心とやっぱり重なります。
だれにとっても、多分、そうであるように。

そして、このお話は、大人に向かってではなく、子どもに向かってこそ語られるべきお話なのだと、そう感じました。

子どものなかに、小さなトゲを残します。
そして、いつか、そのトゲのことを思い出し、深く考えるときがあるのです。

北風のわすれたハンカチ

素敵な青い馬に乗ったお客さんがたちが、メチャクチャ迷惑な人たちなので、ビックリした思い出があります。

「これは、ひどい……」

と子ども心に思ったものです。
そのころ読んでいたファンタジーは、けっこうほのぼの系が多かったのでしょう。
だから、女の子のお客さんが来たときには、とってもホッとしたものです。

ハンカチをテーブルに載せて、魔法がかかるかどうか、試してみたと思います。
もちろん、北風のわすれたハンカチではなかったので、ホットケーキは、出てこなかったのですが。

あと、きっと、このお話を読んだ後、

「ホットケーキが食べたい」

なんて、言っていたんだろうなと思います。

大人になった今は、クマの孤独がとても心にしみて理解できます。
多分、わたしは、こういうヤツです。

ここまで、穏やかではないのが残念ですが。

エッセイ

エッセイを読む機会は、本当にすくないので、こんな風にいっぱい集まっているのは、とってもうれしいです。

そして、エッセイの言葉が、ファンタジーを作ってるときの言葉と、本当に同じだということを知るととても安心します。

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オール・ボール・コール・ゲーム

まあ、こんな感じで、まったりとスタートです。
最初は、小さい子が、積み木や、クーゲルバーンに興味を持ってくれて、少しずつ立ち止まってくれます。

そうして、人が集まってくると、ゴザの上に入ってくるのも、だんだん抵抗がなくなってくるようです。

「すいません。それ、教えてもらえますか?」

ということで、遊んでいた「オール・ボール・コール・ゲーム」をリクエストしてもらいました。

けっこうこのゲームは、遊んでいるところも、簡単そうで楽しそうに見えて、インストも、短い時間で出来るので、よいゲームです。

「小さい子でも、できますか?」

ということで、

「できます。できます。これは、なかなかに、いいゲームですよ~」

まあ、手に入りにくいというのが、難点なのですが……。

このゲームは、それから後、何回も、遊ばれていました。

色いろおふとん

「オール・ボール・コール・ゲーム」をやっているうちに、人がどんどん増えてきました。
最初のご家族と、もう1回遊んで、それから、もう1つのご家族にもリクエストされて遊んでという感じで、ひっきりなしな感じです。

「色いろおふとん」のインストをして欲しいということで、「オール・ボール・コール・ゲーム」がもうちょっとで終盤だったのですが、他のスタッフに変わってもらって、「色いろおふとん」の方に。

「色いろおふとん」は、簡単なゲームなのですが、簡単すぎるゲームなので、あんまりスタッフの保有率の低いゲームです。
小さいけれど、けっこうなお値段だというところも、ネックになっているかもしれません。

ということで、幼稚園ぐらいの子と、小学生ぐらいのこと、お母さんと、わたしで、遊びました。

サイコロをふって、出た色のおふとんを自分の妖精さんにかけていくだけのゲームです。
「黒」の目がでると、おふとんを取られます。そして、前自分が振ったのと同じ色が出ると、そのときは、おふとんをもらうことが出来ません。

1巡目は、「黒」をサイコロで出さない限り、全員、おふとんをもらうことが出来ます。
まあ、みんな順調に。

2巡目からは、おふとんもらえる確率は、ちょっと減っていくわけです。
まあ、お兄ちゃんが、「黒」を出して没収されたり、弟くんが、同じ色を出しておふとんがもらえなかったり。

3巡目。
お兄ちゃんが、1つゲット。わたしが「黒」を出して1つに。お母さんは、前に出した色と同じ色を出して2つのまま。弟くんは、また、同じ色を出しておふとんが増えません。
この時点で、おふとんの数は、1対1対2対1で、お母さんだけが、一歩リードしていて、まだまだ先は、わからない状態です。

その瞬間、弟くんが、

「いやや~」

と泣きじゃくり始めました。
いや、負けそうになって泣いた子は、何人かいるのですが、このゲームで、3周した時点で泣くとは!

早!

お母さんが、必死に、

「ほら、まだ、お兄ちゃんより勝ってるよ…」

とかなだめていますが、これは、負けているから泣いているのではないようです。
もう、ただ単に、自分の思い通りにならないから、泣いているだけですねぇ。
たとえ、自分がトップであっても、おふとんがもらえないのが2回続くと、耐えられないみたいです。

小さな赤ちゃんは、「お母さん」は自分の一部だと認識しているそうです。
自分の願ったことは、何でも、この「お母さん」によってしてもらえます。まあ、願いといっても、赤ちゃんの願いですから、ものすごく、単純で、本能的なものなのですが…。
で、そのときの赤ちゃんというのは、お母さんがなんでもしてくれるのですが、自分とお母さんの区別がついていないから、自分に、ものすごく万能感を持っています。
この時期に、万能感を持つのは、とっても大切なことで、それが、大きくなっていったときの他人に対する信頼感にもつながるようです。

でも、そのうちに、「お母さん」と「自分」は、違うものだということに、赤ちゃんは気づいて、精神的な成長をしていきます。

でも、この子の場合は、まだ、その「万能感」が、抜けていなくて、なんでも、自分の思うままにいかなくては、我慢できないのかもしれません。

泣いてしまった子を、

「始めたことは、最後までする!」

的なスパルタで、遊ばせる必要はないと思いますが(それすると、遊びじゃなくなる気もします)、そんな子にとっても、やっぱり、自分の思い通りにならないゲームという体験をすることは、とっても、よい経験であると思います。
はじめは、こんな感じですが、だんだんとこれでは一緒に楽しめないということが、わかってくると思います。

このまま、なんの経験なしに、小学校などの集団生活を経験するというのは、なかなかに、この子にとっても、つらいものがあるのではないでしょうか。

だから、テレビゲームや、テレビの視聴など、1人遊びばっかりではなくて、たくさん子たちで遊べるといいですね。
たしかに、最初のうちは、テレビとかに比べると、はるかに大人の手が必要で、大変だと思いますが。

この子の性格がわかっていれば、「おみそ」なルールで遊んでも、よかったなぁと思います。

例えば、「色いろおふとん」ならば、その子の番がきたら、サイコロを振る。サイコロは振るけれど、それとは関係なしに、好きなおふとんを取ってもいい。
みたいなルールですね。
もちろん、1番に集まるはずですが、勝敗には、かかわっていません。
なんとなく、みんなと一緒にいて、遊んでいる雰囲気を楽しむみたいな感じです。
多分、本人も、「勝敗」にこだわっていた訳ではないので、それでも、よかったのではないかと思います。

「みそっかす」は、まぁ、差別用語のように取られてしまうこともあるのですが(確かに、あんまりいい言葉ではないかもしれませんが)、実は、いろいろな子が一緒に遊ぶためのものすごい工夫です。
そうして、おみそをしているうちに、ルールもわかってくるし、何よりも、まわりのお兄ちゃんたちは、自分の思い通りにならないことでも(ならないからこそ)、楽しめるんだなぁということも理解できてきます。
そうして、自分がおみそであることに不満を感じたら、おみそを卒業して、入っていけるわけです。

ただ、おみそのルールで遊ぶ場合には、一緒に遊ぶ子たちの納得が必要です。
おみそになる子にだって、どっちがいいかと選ぶ権利はあります。
また、一緒に遊ぶ子が、おみその子のことを「ずるい」と感じるのなら、やっぱりちょっと、考えなければならないと思います。
むかしは、それを「ずるい」という子は、あんまりいなかったと思うのですが……。
このあたりは、やっぱり、異年齢間での遊びの経験がへって、遊ぶのが下手になってしまったのかなぁ。

子どもには、遊びの経験をこそ、たくさん積んでいって欲しいものです。

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子どもたちの夏休みも終了しそうな8月28日(土)。
MMGテーブルゲーム会がありました。

でも、この日は、地域の一斉の草引き作業の日でもありました。
まぁ、草引き作業は、午前中だから、午後からのMMGには、関係のないはず……。

朝の8時半から、学校とか、そこら中の草引きですよ。

と思って、場所に行ってみると、いきなり渡されるノコギリ!!

「うーん。力のある人は、あの道にむかって茂っている木の枝をどんどん落としていってください」

だそうです。

しかし、よくは知らないのだが、両刃のノコギリって、こういう生の木を切るためのものでないのでは?

ギコギコギコ

しかも、あんまり切れないという……。
すっかり、草引きということで、適当なことを思っていましたが、ずっと腕を上に上げっぱなしで、木を切ります。

ギコギコギコ。バッサーーー!

「あぁ、じゃあ、あっちの木も、お願いします」

あれは、多分、サクラだと思うのだが……。
サクラって、切ったら枯れなかったか?

桜切るばか、梅切らぬばか。

という言葉を聞いたことがあるような……。
まあ、いいか。

ギコギコギコ

てなことを、11時ぐらいまで、していたわけです。
で、もう、そろそろ終わりかなと思った頃に、

「すいません。切った木の枝なんですが、50センチぐらいの長さにしてもらわないと、ゴミ処理場に持って行ってもらえないんです」

オイオイ。木の枝をノコギリで切るのは、わかります。しかし、なにが悲しゅうて、わざわざ切り落とした枝をまた地面で、切らんといけないのでしょう。

「折っちゃえ、折っちゃえ」

まあ、わたしと同じようなことを考える人も多いわけです。

しかし、敵は生木です。
これがまた、ものすごく弾力があって、折りにくいという……。

と、そんなこんなをしているうちに、お昼になってしまいました。

なにが書きたかったかというと、こんな訳で、今回のMMGには遅れてしまったというグチですね。